『源氏物語』きっての意地悪で嫉妬深い女。

右大臣家の娘であり、身分は高いのにどうしてこんなに性悪な性格なのかと、小説ながら驚いてしまう。いや、小説だからこそできた人物設定なのだろう。

おそらく、紫式部の周囲にいた似たような人をモデルにしたのかも。

 

 桐壺帝が、弘徽殿の女御より身分が低い桐壺の更衣を熱愛することで、数々のイジメや嫌がらせを行う。勿論本人が手を下すのではなく、彼女の下で働く女房達に命令して実行させたのは明白。

 

 愛による嫉妬だけでなく、桐壺の更衣が産んだ光輝くような美しい皇子に対しても憎悪の感情を持つ。

 

 というのも、弘徽殿の女御が産んだ皇子は皇太子になる予定なのに、源氏が生まれたことで、ライバルができてしまった。身分や出生順序からいえば、弘徽殿の女御の皇子が一番なのだけれど、もし帝が源氏を指名すれば弘徽殿の女御の地位は危うくなる。

 

 しかし、帝は弘徽殿の女御の皇子を皇太子と定め、源氏を臣下とした。

これは帝が弘徽殿の女御と、愛しい更衣が産んだ光る源氏との後継者争いの政争を回避すためと、占い師による占断で決めたことである。

 

 何といっても弘徽殿の女御は右大臣家の娘である。皇子の外祖父となった右大臣がどんな圧力をかけてくるか・・・。帝はそれを懸念した。

 弘徽殿の皇子は春宮(とうぐう=皇太子=現代の皇室では東宮と書きます)となり、のちに朱雀帝として即位。弘徽殿の女御は昇格して弘徽殿大后となった。この時、源氏は4歳。

 

 そういう地位を確立しても、更衣に対する憎しみは消えず、その憎しみは源氏に向かった。生まれたばかりの源氏を一時は可愛いと思っても、源氏が成長するにつれ、その美しさが増すと、憎しみは募っていった。

 

 桐壺帝は亡き桐壺の更衣を忘れられない。

更衣に似た藤壺中宮が入内すると、こちらを愛するようになり、弘徽殿の嫉妬と憎しみが藤壺に向かう。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のことわざどおりである。

 

 しかし、露骨な意地悪はできない。

弘徽殿は右大臣の娘だが、藤壺中宮は先帝の4の宮、つまり皇女なので身分は藤壺の方がずっと上である。おまけに元服前の源氏が藤壺を慕って中宮の部屋に出入りして一緒に遊んだりするものだから、弘徽殿は悔しく憎いのである。

 

 美少年の源氏が儀式のときに見事な舞を披露すると、人々はその巧みさと美しさを称賛するが、弘徽殿の女御は「あんなに美しいと死神にとりつかれる」みたいな呪詛を口にするのだった。

 

 源氏20歳の時、弘徽殿の大后の妹の朧月夜の君(おぼろづきよのきみ)と花の宴で知り合い、エッチしてしまった。

 密会は続き、右大臣家の朧月夜の部屋でエッチしていた現場を右大臣に見られる。源氏25歳である。

 これが何故問題かというと、朧月夜の君は皇太子の婚約者だったからである。そして、当時は女の部屋に入れるのは夫か父親だけだった。夫でもない源氏が娘の部屋に入るなど、前代未聞の型破りでタブーな出来事だった。

 

 弘徽殿の大后の怒りは沸点に達した。源氏は須磨に逃れる。

 

 この弘徽殿の性格の悪さを小説にしたのが内館牧子『十二単衣を着た悪魔』である。(画像お借りしました)