源氏の正妻・葵の上は、父は左大臣、母は桐壺帝と同腹の妹。

源氏とは、いとこ同士の結婚になります。

 

 当初、葵の上は、右大臣家から春宮(弘徽殿の女御が産んだ皇子で源氏とは異母兄弟)の妃にと望まれていたのです。妃になれば将来は天皇の后です。女としてこれ以上の出世や栄誉はありません。

 

 しかし、桐壺帝のお声がかりで源氏は左大臣家の婿になりました。帝にしてみれば、源氏の母親である更衣は既に亡く、左大臣が後ろ見(うしろみ=後見人)となっていろいろ面倒見てくれれば・・・と思ったのでしょう。

 

 左大臣にしてみれば帝の寵児である源氏を迎え入れることで帝とのつながりができますから、現在の自分の地位の安泰を約束されたも同然です。

 後ろ見になれば、衣装、食事、交際費、上役への付け届けなど一切の面倒をみなければなりません。それでも左大臣は後ろ見を引き受けました。親の地位安泰のために娘を源氏と結婚させたのです。

 

 源氏12歳で元服を済ますと、16歳の葵の上と結婚しました。

葵の上は自分が年上であることや、春宮妃になるためにそのように育てられたにも拘わらず、天皇の子とはいえ身分が低い更衣を母に持つ源氏との結婚はさぞ不満だったし、そんな自分を恥ずかしいと感じていたようです。

 源氏は源氏で、それまで遊びに行っていた藤壺の女御の部屋に元服したことで行けなくなり、好きでもない葵の上と一緒にさせられて不満だったと思います。

 

 政略結婚ですし、お互いに不満があるのですから、最初から良い夫婦関係は期待できません。

 当時は通い婚ですから、源氏は左大臣家に行きますが、葵の上はいっこうに心を開かず、皮肉を言ったり、源氏が誘ってもエッチに応じなかったり、時には体調が悪いと言って会おうとしなかったり・・・。

 源氏にしてみれば面白くありません。仕えている女房(高貴な婦人の傍で教育係をしたり身の周りのことに気を配ったりする女官)に、壁ドンならぬ欄干ドンでエッチしちゃうのです。

 

 この頃17歳の源氏はセックスマシンです。愛人宅を訪れてその家の女房の身体つきがセクシーだと、これにも手を出します。

 

 六条に「六条の御息所(みやすどころ)」という前(さき)の春宮妃で教養豊かな美人がいました。風流を愛でる貴人たちが彼女の家に集まり、絵本や歌、楽器演奏などをして楽しむサロンのような家だったのです。

 源氏も誰かに誘われてサロンデビューしたのです。源氏より7つ年上ですが、源氏は猛アタックして愛人にしてしまいました。

 因みに、幼い紫の上を拉致して自宅で養育し、自分の女にしたのもこの頃です。

そんな話が葵の上の耳に入れば、彼女は悔しく淋しい限りです。

 どうして耳に入るかというと、女房を介してです。

 女房は2つの家を掛け持ちしていたり、他家の女房と自分の家の女房が親戚や姉妹だったりするので情報交換が著しいのです。

 

 源氏の足が遠のいているとはいえ、葵の上は結婚10年目にして懐妊します。つわりが激しく気分も体調も悪い時でした。

 源氏が賀茂神社の斎院(さいいん=加茂神社に奉仕する未婚の皇女)の禊(みそぎ)の儀式のお供をすることになり、女房達が葵の上にこの見物をしきりに勧め、葵の上もやっとその気になり出かけたのです。

 沿道は人や車で溢れ、葵の上が乗った車が前に進めなかった時、六条の御息所が乗った車と喧嘩になったのです。有名な車争いです。

 これで大恥をかかされ笑いものになった御息所は、プライドを潰され、葵の上の妊娠や源氏の足が遠のいたことなどから、すっかり嫉妬の鬼となりました。

 生霊となって葵の上に取り憑き,彼女を衰弱させます。

 

 そんな葵の上を優しく介抱したり言葉かけをしたりする源氏。やっと夫婦らしくなりましたが、葵の上は男の子(夕霧)を出産して間もなく生霊に殺されます。

 

 因みに、葵の上と六条の御息所の生霊の話は、お能の「葵の上」の演目になっています。私はこれが大好きです。

 

 葵の上は可哀そうな人だと思います。もし、最初の予定どおり春宮妃になっていたら・・・、源氏に冷たい態度を取らなかったら・・・、性格がキツイわけではないのですから、もう少し素直な心の持ち主だったら・・・。

 彼女が悪いわけではないのに源氏の愛人の生霊に殺されるとは・・・。

夫の愛を十分に受けられない妻の悲しみに耐えていた分だけ、可哀そうな境遇だと思います。