当然、源氏は三晩通うことなく姫のことはほったらかし。当時の結婚は、三晩通って夫婦で三日夜の餅(みかよのもち=現在で言う三々九度の盃のような意味))を食べて、初めて成立したのです。三晩通いが無ければ遊ばれたことになります。

 

 姫は源氏から遊ばれたとは気付かないのです。よく言えば純真、悪く言えばおバカ。源氏が姫の所にあまりに長期間ご無沙汰なので、命婦は「姫様が寂しがっておられます。たまにはお訪ね下さいな」と頼みます。

 面白みに欠ける姫でもどこか美点はあるかもしれないと思った源氏は、ある雪の夜に、もう一度訪ねることにしました。

  

 以前と同様、張り合いのないSEXのまま夜が明けました。

 雪が止んだ朝の白い光の中で、源氏は「こっちにおいで」と姫を優しく窓辺に誘いました。だが、姫はこういう時のマナーを知りませんでした。座ったままにじり寄れば良かったものを、顔を隠さず立ち上がったばかりにその容姿容貌をさらすことになったのです。

 

 胴長の身体に着古して白茶けた袿(うちぎ)を着、父親の形見の黒貂(くろてん)の皮衣を寒さしのぎに羽織り、髪は美しいが顔は大きくて長めの鼻の先は赤くなっています。当時、姫が素顔をさらすなど、日の当たる部屋の鏡の前で他人に裸身を見せるのと同じくらい、あるいは東京・銀座通りを裸で歩くのと同じくらい恥ずかしいことでした。それに、毛皮は男性が着るもので女性が着るものではなかったのです。

 源氏はその異様な醜さに言葉を失い、逃げるように邸を後にしました。

 

  帰宅した源氏は、未だ幼かった紫の上に赤鼻の姫君の話をし、自らの鼻に赤絵の具を塗り、嘲笑したのです。魔けにもならないと。

 

  だが、源氏の財力はそんな姫にも注がれたのです。その後は一切訪れなくても、高級織物や金品を差し入れました。当時の経済力に劣る姫君たちは、生活援助を期待して経済力のある男を婿に望んだのです。そうすれば姫ばかりでなく、そこに仕える女房や家来たち全員が潤うからです。

先の命婦が源氏とこの姫を引き合わせたのも、そういう理由から。それまでの常陸宮家は、家具調度品や宝物を売って暮らしていましたが、もう売る物さえなくて粗末な食事しかできなかった貧困女子集団でした。彼女らは源氏のお蔭でドン底から脱出できたのです。

 

 しかし、その経済援助が途絶える日がやってきます。源氏が朧月夜の君との不適切な関係が原因で、須磨に隠棲(いんせい)することになったからです。

 常陸宮家は以前のような貧乏暮らしに戻りました。女房も一人去り、二人去り・・・の状態です。

 

 姫君には受領階級に嫁いだ叔母が居て、「ウチにおいで」と姫を誘いました。親切心からではなく、叔母には魂胆があったのです。姫君を自分の娘の女房にして、傅(かしず)かせようとしたのです。

 宮家の姫が身分の低い受領階級の娘の女房になるなど、とんでもない落魄(らくはく=おちぶれること)です。姫には皇女としての矜持(きょうじ)があり、叔母の誘いを拒否して、貧乏暮らしを続けたのです。

 

 『源氏物語』の中でこの姫だけは他の女君たちとは比べものにならないくらい、経済力、容姿容貌、教養、ファッションセンスの点で劣っています。だが、紫式部はこの姫に人生後半の幸福を用意していました。

 

 やがて、ほとぼりが冷めて帰京した源氏が見覚えのある古びた邸の傍を通った時、赤鼻の姫君の事を思い出したのです。「こんな侘しい暮らしをしても自分を待っていてくれたのか」と感慨を抱いた源氏は、自分の邸である二条院の隣に別棟を建て、姫君を引き取りました。

 人生後半の幸福を得た姫君は《最後に笑う女》となりました。(完)