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学白 gakuhaku

精神科医 斎藤学のコラム

窃盗癖について私の見解をまとめておきたい。

前回それをしようとして、精神神経学会・指導医研修会なるものの毒に当てられ、新幹線での帰途という貴重な時間を空費してしまったので、窃盗癖について述べるのが遅れた。今日、読者の一人から、前回の分量が異様に少なかったがどうかしたのか?と訊かれたので、帰りの新幹線で考えたことをほんの少しだけ書く。

あそこに集っていた者たちは私を含めて、創薬業者の使用人であることをつくづくと思い知らされ、それで滅入ってしまったのだ。例えば模範的な新人研修をしているとされる民間院長からの「指導」というものを延々1時間にわたって聞かされた。

いかにも地価の安そうな片田舎なのに巨大なビル群(これ自体非治療的)が建てられていて、中に数百人の患者(犠牲者)が詰め込まれ神経遮断薬のシャワーを浴びせられている様子。そのことに何の疑問も持たないらしい馬鹿まるだしの院長(?)が、自分に似せた無思慮な若い薬物販売員(専門医)を量産していることを得々と述べていた。

今、現在の精神科治療に関する私の批判は「私の雑誌」に掲載しておいた(斎藤学『「双極性障害」の真実』アディクションと家族,292-296,29巻4号,2014)。この雑誌は少数の人にしか読まれていないので、ここか、どこかに全文をupしようと思う。

         斎藤学「診断インフレの背景」より一部抜粋


     アディクションと家族,29巻4号『「双極性障害」の真実』

というところで、ようやく本題に戻る。書こうとしていたのは「所謂万引き」の臨床的考察だ。以下は、ある窃盗事件の被告に関して弁護士から依頼されて作成した「意見書」の一部を修正したものである。この文中で「当人」と呼ばれているのは、被告人のこと。

窃盗癖を一括して論じることは出来ない。少なくとも以下の4群が所在することを前提として加害者の処罰や治療を考えるべきであろう。
1)職業的窃盗者(boosters盗むことを生活手段としており、盗品の売りさばき先を確保している)
2)病的窃盗癖者(kleptomaniacsクレプトマニアと呼ぶべき精神科医の治療対象であるが、行為の基盤となる精神疾患が特定されず、境界性パーソナリティ障害などの人格的偏奇が認められるもの)
3)症候性窃盗者(symptomatic thievesうつ病、統合失調症、双極性障害など、行為の基盤となる精神障害の明らかな者)
4)愉快犯的万引き者(simple shoplifters職業的窃盗者ではないが、精神医学の対象となるような人格的偏奇や精神病的基盤が認められない者)

特に重要なのは1)と3)との区分である。特に3)を司法的処遇に委ねても効果が無いどころか、かえって当人固有の自己破壊的な罪責感情(「罪ある自分を罰して欲しい」)に奉仕することになることに注意を促したい。3)は容易に捕まるが、拘置所や刑務所に長く置いても、出所後に自殺未遂を繰り返したり、自殺に近い致死的事故を起こしたり、生き残れたとしても理解不能な高齢の窃盗累犯者を生むだけのことである。

蛇足ながら、当人における大うつ病性障害なるものを説明しておく。うつ病圏障害(かつて気分障害と呼ばれたもの)には種々の疾患が含まれるが、当人の場合は、昨今の所謂「新型うつ病」ではない。本件当事者が罹患していたのは、内因性うつ病ないしメランコリー親和型大うつ病性障害と呼ばれるもので、自殺や自己破壊的行動の危険を伴う病型である。(添付資料-2)大うつ病の診断は添付資料に挙げられた基準Aの9項目のうち5項目を満たすことによって確定される。

本件当人の場合「(1)憂うつ感」「(2)失快楽(以前には興味を示したものへの関心の欠如)」「(4)不眠ないし過眠」「(5)不安焦燥感」「(6)疲労感」「(7)自罰感」「(8)集中困難」「(8)自殺念慮」という8項目が2週間以上にわたって毎日確認されたため、大うつ病エピソードの渦中にあったものと見なされる。当人の場合、今回の発症は初発ではない。少なくとも3回の気分の落ち込みが観察され、それぞれに際して同じ対応手段(万引き)が諮られている。なを、病歴中には躁病性エピソードは存在しない。
大うつ病の罹患者が自傷他害事件などによってよる社会的波紋を起こす場合には内在する思考、信念(「うつ病性妄想」と呼ばれる)が作用しているものである。事件として具体化した場合、男性では突発的暴力・暴言が多いが、女性では自分を犯罪者として屈辱の極に至らせる万引き行為となることが多い。

注意をうながしたいのは、罪(反社会的行為)によって罪悪感が発生するとは限らないことである。逆説的ではあるが、非合理的な(理由の無い)罪悪感がまずあって、それに見合う犯罪が付随してくる場合があるという事実がある。
当該事件の犯人女性の場合、夫からの金銭にまつわる批判や叱責が絶えずあり、これに反撥しつつも、生来の小心から漠然とした罪悪感が生まれていた。この無意識レベルの罪悪感が、自己処罰的な窃盗・逮捕劇の基盤になったと筆者は考える。そういうわけで、このタイプの窃盗者、つまり症候性窃盗者は容易に捕まる。捕まって屈辱的な立場に身を置くことは自らの無意識的欲望の一部でもあるからである。

ここで検討の対象にされている女性は既述のように夫の不機嫌や怒鳴り声に過敏であった。今後の彼女の生活を平安なものにするためには、この種の「懲罰的超自我 punitive superego」を操作する必要がある。懲罰的超自我は当人の心的内面にこだまする自らを責め苛む声であり、その素材は当人が未だ幼く人語も理解できなかった時期に始まる大人の憤怒の声、それに伴って聞こえるガラスなどの割れる音などである。超自我そのものは誰もが備えていて、その洗練された一部は良心とよばれるものになる。しかし懲罰的超自我は洗練されることなく、常に自己を責め続け、思春期~早期成年期における自殺や自傷行為の原因となる。

上記を理解することが、この症例を治療する際の鍵となるように思われる。なぜなら、ここで当人と呼ばれる女性は、この種の懲罰的超自我を内包した人であり、それは彼女の乳児期~幼児期にまで発生を遡れるからである。当人の父親は会社社長を務めていたが、浮沈が激しい業界だったために、家計は常に不安定であり、それによる父母の口論が絶えず、激昂した父親が母親を殴打することも少なくなかったという。

従って、本件当人の治療にあたっては、父母への働きかけを含む家族療法的アプローチが望ましい。家族療法が課題とするのは個人の病理ではなく、家族成員間コミュニケーションの欠如や歪みである。そのため、家族療法は治療目標(この場合、当人の記憶の中の苛酷な家族成員間コミュニケーションの修正)に係わる家族成員全員がひとつの治療室に集結することが求められる。幸い、夫の単身赴任によって夫への恐怖感は薄らいでいる。また、効果的な入院治療と抗うつ薬投与によってコントロール不能な身体化障害や精神病様障害は消退している。実は当人にとってはどん底と感じられているであろう現在こそ、彼女にとって必須なパーソナリティ修正の好機なのである。

筆者は、こうしたケースの場合、適切な加療を欠いたままでの矯正はあり得ないと考えている。敢えて拘束、公判、刑務収容などの司法的処遇を優先した場合には、それに含まれる各場面において、自殺既遂やそれに替わる自己破壊行為が高い頻度で発生すると予見する。

そもそも司法権力は家屋侵入を繰り返すような危険で職業的な窃盗者(当然ながら捕まえにくい)の逮捕と拘束・更正に務めるべきであって、今回ケースのごとく容易に捕まる「病人」の矯正・更正ごときに注力するべきではない。

筆者の自験例においても2年に及ぶ長期にわたって刑務所に収容された女性の例があるが、刑務入所によって失われた社会的基盤の毀損は甚だしく、出所後の経過は極めて悲惨なものとなっている。彼女は出所後、実家には殆ど寄りつかぬまま強迫反復的に犯歴を重ねた末、交通事故により、所謂「植物人間」と化した。

治療者としての筆者は、いかに破廉恥な反社会的行為であっても、これを行為者の自己修正を求めるSOSと考える。本件はこの考え方の妥当性を証明出来る好例である。
木曜日に始まっている日本精神神経学会に最終日だけでも参加しようと、夜遅く大阪に着く新幹線に乗った。専門医登録の更新に必要な単位が幾らか足りないためだ。運転免許の方は今年の2月に74歳を迎えて返上したのだが、精神科専門医となるとまだ現役と思っているので取り上げられたくない。それに精神科指導医の講習会というのもあり、若い医師に来て貰おうとすると、この資格も持っていなければならない。それが毎年、学会最終日の午後遅くなので、金曜の夜に大阪入り、土曜日約半日のポイントを貰い、指導者研修なるものも受けて、大阪発新幹線の最終便で品川へ帰ろうというわけ。

一方、精神保健指定医(かつての鑑定医)というのもあって、こちらは去年の2月に更新済みで再更新は5年後。と、ややこしい。もっとも、指定医らしいことは後に述べる例外を除いてしていない。東京都に勤めていた20年前までは毎月1回救急鑑定の当番というのがあって、精神科救急の公的システムの一環を務めていた。また、数年に1回は各地の地裁に依頼されて、殺人事件加害者の精神鑑定もしてきた。こちらは一件につき50万円くれるが、1~2ヶ月にわたって全ての時間を症例の考察に費やさねばならない上に、公判廷に出席して被告側の代理人(弁護士)や検察官の尋問に答えなければならない。これらの殆どは印刷・公刊されていないが、例外的に一件だけ、加害者の了解を得た上で、匿名の症例として成書(『児童虐待〈臨床編〉』、金剛出版、1998年)の1章(第Ⅱ部第8章『精神鑑定:13ヵ月児を溺死させた母親』174~198ページ)とさせて頂いたことがあった。

            『児童虐待〈臨床編〉』(金剛出版)

児童虐待臨床編


この種の仕事(精神鑑定)は、1995年の秋に開業してからも何度か依頼されたのだが、残念ながら時間がない。もちろんこの仕事を嫌っているわけではない。ある個人が突然、ないし熟慮の上、悪行愚行といったものに走る。精神科医を業とするものにとって、この犯行がなぜ生じたかを考えることが愉悦をもたらさない筈がない。というわけで、今の私は似たような業務だが、国・裁判所の指示に基づかないものを恣意的に引き受けている。恣意的に、というのは私が現今関心を持っているものなら、という意味で、それらはパラフィリア(性倒錯)絡みのものか、児童期性的虐待の犠牲者だった者、それと摂食障害者の窃盗に限られている。

ここまでは金曜夜の大坂行き新幹線の中で書いた。帰途の電車の中で「摂食障害者の窃盗癖」についてメモしておこうと思ったのだが、土曜日午後の4時から4時間にわたって学会の指導医研修なるものに拘束されてから意気阻喪し、とても続きを書ける心境ではなくなった。以後は次回にまわす。ついでに言えば、やはり私は大規模過ぎる学会ギルドやそこで標準とされる専門家教育というものに合わない。この学会とは訣別しようと思う。
5月8日のグループSV(スーパーヴィジョン)の話がまだ終わっていない。その間にも日々は流れ、進み、5月22日(金)には第2回目のSVグループも終わってしまった。その翌日の土曜日の午後には母校・麻布学園のPTA総会に呼ばれて「スマホ時代の思春期のココロ」なる講演をしてきた。

あの学校の狭い校門を通るのは何年ぶりだったのだろう。確かフランス政府給費留学生の試験に受かって、フランス大使館の書記(?)の女性から一連の書類を出すように言われた中に出身高校の卒業証書というのがあって、当惑しながらあの門を通ったのが最後だったと思う。その時私は30か31歳のときだから今から40数年前。こういう計算をするたびに「おい、おい」 と思ってしまう。「おいおい、それは誰か他の人のことだろう」と。

話を戻す。5月8日のグループSVの際に最初の症例報告者となった研修生から出された症例の一つに自傷行為があった。この報告者(女性)は特別支援学級で高校生を担当している教師で、担当する高校生のIQは70台から40を切るものまで様々。症例のI.P.(identified patient/家族ないし組織の中で患者と目されている人、家族療法から発生した用語)も、この問題を抱えていた。体をカッターや鋏で斬る、突く。頭を壁に何度もぶつけるなどの自傷行為が繰り返されるとすれば、その行為はその個人にとって何らかの効用があるのだろう。

自傷を繰り返す人自身に訊くと「気持ちがスッとするから」という。不快な「ウツの雲」が頭の内外を取り巻くとき、大声で他人を罵ったり、我が身を切ったりすれば、抑うつ気分は多少改善する。「痛みは、それを感じる自己という意識を鮮明にする」ので、他人の思惑のアレコレのうちに曖昧化しかかった自分を取り戻す効果がある。

自傷の痛みは脳内のアドレナリンを賦活させ、やがては鎮痛・快楽物質β-エンドルフィンの湧出に至るのではないか。と言うのも、長い臨床経験の中で私は、「一斬りしないと眠れない」という人に会っているからである。20代半ばのその人は毎朝血糊の付いたシーツを引っ張りながら起きる。注意しないとその時点で血餅が剥がれ新たな出血が起こり、それについては慌てるそうだ。睡眠導入剤はこの際救いにならない。というのも、彼女の自傷行為は複数のクリニックで投与された数種の睡眠剤の影響下に行われているからだ。睡眠薬の効果で短時間寝てからひどい過食をし、その間のことを覚えていない、というタイプの過食癖は珍しくないが、この女性の習慣的自傷もそうした過食癖と同様、一種のアディクション(嗜癖)と見なされるべきだろう。そういうわけで自傷は心的苦悩を身体的疼痛という現実的で対処可能なものに転換するという利点がある。

自傷行為はまた、贖罪としても役立っている。そうは見えないかも知れないが、自傷者は自らを憎んでもいて、周囲の人々(親や配偶者)に申し訳ないと思っている。だから「自己処罰のために斬る(叩く)」と彼らが言うのは、あながち嘘ではない。

それに、壁に頭をぶつけるにせよ、手首などを切って流血するにせよ、自らの苦悩を分かりやすく表現できるという利点もある。ただし、このことを当人にほのめかすことをしてはならない。自傷癖を持つ人は常にそのことで自らを責めているので、それを他者から指摘されると、それとわかるほどに強引で致命的な自殺を図るからである。

自殺は自己表現の手段であると同時に、最も効果的な抑うつ・失快楽からの脱出法である。確か、そう指摘していたのはMarsha M. Linehan だったと思う。自殺は最も効果的な脱抑うつ法、だが副作用が強すぎる、と言うのは彼女らしいirrevarent(失礼な)、しかし気のきいた言い方だ。

自傷行為を自殺の試みから分けようとするあまり、そこにある死への憧憬を軽視してはならない。処方薬の過量服用といった比較的安易な自傷行為を繰り返した後に、目張りした自宅トイレの中で七輪炭団という、当時流行していた方法で、しかも細いビニール製(?)の紐を首と両手首に何重にも巻きつけ、紐の一端をドアノブに回して起座位で死んだ例があった。

最も壮烈なのは首や肘の動脈を斬るもので、この場合、噴き出した血が忽ち天井を真っ赤に染める。自験例で、これを3回(もっとやったのかもしれないが、私が知る回数)繰り返した女性がいる。1回やるとやや気分が安定するのだが、希死念慮は強く、実家の父親が泊まり込みで監視するという事態が続いた。最後の肘動脈斬りは娘が中学に入ってからと記憶している。娘が4歳だったときが初回で、これもトイレの中。気配を察したものか、ドアの外から「ママ、ママ!」と叫ぶ娘の声を、この人は聞いていたそうだ。この娘は今、上野の芸大にしか進学しないと浪人を続けている。その娘を困ったものだと言う女性の顔を見ながら、「こういう話が出来て良かったな」と私は思う。

どんなに血まみれであっても、自傷行為はいずれ止まる。私たち精神科医にとっての真のクスリは時の流れだ。だから私は時間を敵にまわすような治療法を取らない。

     〈参考〉「アディクションと家族」23巻4号 特集:自傷、自死

「アディクションと家族」自傷、自死
承前。イスラム教という父の母国の一神教にしがみついている中学生の話を聞いているうちに、私の心はチグリス川とユーフラテス川の間の湿地帯(メソポタミア)に発展した文明と宗教に向かって漂いだした。紀元前17世紀から同前10世紀の間のどこかで彼の地(アフガニスタン北部)の宗教伝承を系統だてたといわれているザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥーストラ)のこと。彼が神々の中から最高神と選んだアフラ・マズダー。この神が体現する太陽と火への信仰は、同じ頃(紀元前13世紀)、エジプト第18王朝のファラオとして王権を振るったアメンホテプ4世(イクナートン)のアテン(アトン、太陽神)信仰(アテン一神教)とどこかで繋がっているのではないか、というような私の頭の中をかねてから徘徊している思念が湧き起こり、そうなると症例提供者の声も遠い世界から聞こえて来るようになるので、これはまずいと自分から声に出すことにした。

ユーラシア大陸の中央部メソポタミアから始まった(のかも知れない)一神教が、時と場所を替えてエジプトからインド北部までを覆ったこと。ユダヤ人たちが編んだトーラー(キリスト教徒たちの旧約聖書)が、イラン・インド神話と呼ばれるもの(始原神による造物と造人、洪水神話など)を受け継いでいること。そしてジグムンド・フロイトの最晩年の著作のひとつ『人間モーセと一神教(日本教文社、吉田正己 訳)』(『モーセという男と一神教』(岩波書店、渡辺哲夫他訳))のこと。この中でフロイトはモーセについて次のように大胆な仮説をたてた。まずイクナートンはテーベの神官たちの排除による一種の宗教革命を行なった。その際、移住民であるユダヤ人たちを重用したが、イクナートン死後の反革命の際に厳しい弾圧を受け、排斥された知事モーセが自分の領民たち(12氏族)を束ねて、カナンの地を目指したとフロイトは考えた。

更に、ここがこの論文の最高の読み所なのだが、シナイ半島での放浪(40年続いた)の中、モーセは引き連れた民衆によって殺されたこと。これがユダヤ12氏族(祭司集団であるレヴィ族を入れると13氏族)にとっての「父殺し原罪」となり、この原罪負荷がヤーウェ(エホバ)への信仰という戒律を絶対化したこと。結果として民族純化、異民族排除の選民意識をもたらされた。フロイトはエホバ(ヤーウェ)の出自にも疑いを持っていて、シナイ半島での漂泊の日々の間に、ローカルな一地域でだけ畏怖の対象であったような悪神、例えば神格を付された火山への信仰などの要素が、この唯一神の属性となっているのではないか、と書いていたような気がする。そのように考えざるを得ないほどにエホバは非情苛酷な神である。まさに自然がそうであるように。

その神を信じきること(戒律に厳密に従う生活を維持すること)をエホバは強い、モーセに始まる預言者たちが彼らの肉体と声で、戒律からの違反をとがめ続けた。南ユダヤ王国(紀元前6世紀)の頃には12氏族は2氏族(レヴィ族を入れれば3氏族)にまで減り、彼らもバビロン捕囚の憂き目にあった。しかしその間も戒律はまもられ、そのうちユダヤ民族という血族があるというより、ユダヤ教の戒律を守るということがユダヤ人と見なされるようになった。このことは、恐竜が鳥となって現存しているような発展であったと思う。



                  アテン神(Wikipediaより転載)


紀元2世紀初頭、ローマ軍によってユダヤ居留民地域が破壊され、ユダヤ人たちが四方へ逃散(ディアスポラ)するようになると、この戒律維持の姿勢が各地で摩擦を起こすようになる。戒律を維持することで生じる「選民気取り」が移住先の人々を怒らせ、ユダヤ人を迫害させるのだろう、とフロイトは考えた。そう考えていた時のフロイト自身も家を追われて、何とカトリック教会に匿われていた。迫害さえなければ、もっとも忌むべき場所であったカトリック教会に。

『人間モーセと一神教』(日本教文社、吉田正己 訳)という論文はモーセ殺し(父殺し)という原罪は、それ自体、民族的なトラウマ(心的外傷)体験)であり、ひとたび封印(抑圧)されても、現実生活の中に回帰(フラッシュバック)してくる。その際には自らが殺めた対象が、赦しを求めての帰依の対象にもなり得る、と言う。このモチーフはフロイト自身によるもうひとつの論文『トーテムとタブー』の繰り返しである。

あの時私が30分ほどモジャモジャ言っていたことを書いてみるとこんなことで、だからその場にいた10名の研修生にわかる訳がない。それなのになぜ、そんな話をするのか、と訊かれても答えられない。そのイスラム教の少年が、学校給食を食べられないとか、ラマダンの掟に従って教師たちを困らせると聞いて、勝手に湧いた感動が私の口を支配したのだ。

先刻、そのスーパーヴィジョン・グループで3つのことを考えたと述べたのだが、まだ゛2つしか書いていない。3つ目については次回。
前回述べたように私の現在の関心は、回復者カウンセラーなるものの創出にむかっている。既にそれに近いことをしている人々がいることは知っている。そうした人々にとっては今更「創出」もないだろういうことになるだろうが、私が意図しているのは、日本社会の中にこうした「職種」を定着させたいということ、つまり、これで「食っていける人々」を輩出したいということだ。

そうなると、こうした人々の質の向上を目指して系統的な教育をということになり、昨年から「塾」のようなことをしている。今年の3月に、その塾の第一期生が卒業し、5月8日(金曜)からは卒業生らの臨床体験に関するグループ・スーパーヴィジョン(SV)も始まった。この試みが巧く行くかどうかは継続的なSVが保証されるか否かにかかっていると思うので、私も総力を挙げたいと思っているのだが、何分これはケース提出者の意欲次第というところがあるので心配していた。

で、その初日、午後6時から10名ほどの卒業者が集まり、うち3名から4ケースの症例提示があった。それがどんなケースであったかをここに記すわけにはいかないが、この2時間のグループSVを通じて私が持った感懐みたいなものをまとめてみることは赦されるだろう。そうした思いのうち2点だけを以下に書いてみる。

知能の発達遅滞のために一般高校に進学できない思春期の子どもたちを対象とした特別支援学級で教師をしている女性が隣のクラスを担当する20代の教師の絶望と恐怖を運んできた。そのクラスに所属する18歳(高校3年生)が、担任と二人になった時だけ大暴れしたり絶叫したりする。その都度隣から駆けつけると騒ぎが間もなく収まるということで、その20代教師は精神科医や向精神薬の出番と思っているようだが、云々とのこと。

このケースは多分、女児が性的刺激を受けているためのように思える、と私は言った。ある人に感じる性欲求が、それを感じる当人を当惑させたり、不安にさせたりするとき、当人はその「恋心(こいごころ)」を感じさせた者への攻撃を我慢できなくなることがある。

こうした光景は普段でもあちこちで見られるものだが、自験例でもっとも派手だったのは、今から30年ほど前、NABAのメンバーに対して、その父親が示した激怒だった。私と会ったとき彼女は30歳前後になっていたと思うが、かなり以前から優しかった父の態度がちょっとしたハズミに危険なほどの殺気を帯びることに気づいていた。どうやらそれが彼女の発する性的魅力によることも、少なくとも無意識では気づいていたと思う。というのは、この気づきこそ、彼女の過食を招いていたと思うからだ。こうした困難な状況に立たされた若い女性の中にはとんでもない肥満体(例えば160cmに足りない身長で、100kgを越える、など)になることがあるからだ。その女性はNABAに参加した時点ではノーマル・ウェイトだったから、意図的嘔吐の習慣を身につける必要があったのだろう。過食と嘔吐は肥満を防いだが、父親の憤怒の形相は収まらないことで困っていた。彼女には恋人がいたのに家から離れることを一日延ばしにしていたのは、憤怒の形相のままに自分に向かおうとする実父の想いにも執着していたからだと思う。「危ない、早く結婚して家を離れろ」と私は言い続けたが、結局あるひとつの事件を招いてしまった。

父親は刃物を扱う自営小売業を営んでいたが、ある日、届いた刃物の荷を開ける父親の背後を何気なく通り過ぎた娘は、父親の喉の奥から発せられる異様な呼吸音をきっかけに振り向き、父親の形相と、彼の手に握られた新品の刃物を見て、すぐに逃げ出した。それを待っていたかのように父は娘を追い、追い詰められた娘は裸足で店の外に飛び出した。父親の刃物は何度か空を斬り、最後のひとふりは彼女が着ていた白いブラウスの背を裂いた。この事件がきっかけで、彼女は結婚して家を出ることを決め、私は披露宴に呼ばれることになった。先日の症例の場合、女性と女性の性関係ということになるが、これもさして珍しいことではない。

この種の示唆は幾何学の際に役立つ補助線のようなもので、症例の提示者にそれと気づかせることによって問題の具体的解決ないし危険回避に役立たせようというものである。SVの担当者は役割を取り過ぎてはまずい。「この問題の存在に気づいていますか?」とだけ述べてあとの取り扱いについては症例提示者に任せるのが良い。その補助線が役立たなければ、更なる問いかけが発生してくるだろう。

もう一つのケースは、既に学校カウンセラーとしての仕事を始めている女性から提出されたもので、イスラム圏に属するB国の人と日本女性との混血少年が中学に進学してから登校出来なくなっているということ。母親は彼女の父の経営する工場に勤務し、B国人の父もそこに勤めている。とはいうものの婿に相当する仕事をこなしているわけではなく、少々居候ぎみのようだ。

詳しいことは書けないが、ここではイスラム教そのものが父親の役割を果たしているかに見えた。実際の父親が厳格に教義を守る人であるとは思えないが、この少年は父親の属性のひとつにだけ焦点を当ててこれを取り入れ、そこから周囲の全てを判断するという、困難な生活を選択しようとしているようだ。この自我理想操作は彼をいっとき強くするだろうが、やがて擦り切れるのではないか。

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