クレブトマニアと症候性窃盗者(その1) | 学白 gakuhaku

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精神科医 斎藤学のコラム

窃盗癖について私の見解をまとめておきたい。

前回それをしようとして、精神神経学会・指導医研修会なるものの毒に当てられ、新幹線での帰途という貴重な時間を空費してしまったので、窃盗癖について述べるのが遅れた。今日、読者の一人から、前回の分量が異様に少なかったがどうかしたのか?と訊かれたので、帰りの新幹線で考えたことをほんの少しだけ書く。

あそこに集っていた者たちは私を含めて、創薬業者の使用人であることをつくづくと思い知らされ、それで滅入ってしまったのだ。例えば模範的な新人研修をしているとされる民間院長からの「指導」というものを延々1時間にわたって聞かされた。

いかにも地価の安そうな片田舎なのに巨大なビル群(これ自体非治療的)が建てられていて、中に数百人の患者(犠牲者)が詰め込まれ神経遮断薬のシャワーを浴びせられている様子。そのことに何の疑問も持たないらしい馬鹿まるだしの院長(?)が、自分に似せた無思慮な若い薬物販売員(専門医)を量産していることを得々と述べていた。

今、現在の精神科治療に関する私の批判は「私の雑誌」に掲載しておいた(斎藤学『「双極性障害」の真実』アディクションと家族,292-296,29巻4号,2014)。この雑誌は少数の人にしか読まれていないので、ここか、どこかに全文をupしようと思う。

         斎藤学「診断インフレの背景」より一部抜粋


     アディクションと家族,29巻4号『「双極性障害」の真実』

というところで、ようやく本題に戻る。書こうとしていたのは「所謂万引き」の臨床的考察だ。以下は、ある窃盗事件の被告に関して弁護士から依頼されて作成した「意見書」の一部を修正したものである。この文中で「当人」と呼ばれているのは、被告人のこと。

窃盗癖を一括して論じることは出来ない。少なくとも以下の4群が所在することを前提として加害者の処罰や治療を考えるべきであろう。
1)職業的窃盗者(boosters盗むことを生活手段としており、盗品の売りさばき先を確保している)
2)病的窃盗癖者(kleptomaniacsクレプトマニアと呼ぶべき精神科医の治療対象であるが、行為の基盤となる精神疾患が特定されず、境界性パーソナリティ障害などの人格的偏奇が認められるもの)
3)症候性窃盗者(symptomatic thievesうつ病、統合失調症、双極性障害など、行為の基盤となる精神障害の明らかな者)
4)愉快犯的万引き者(simple shoplifters職業的窃盗者ではないが、精神医学の対象となるような人格的偏奇や精神病的基盤が認められない者)

特に重要なのは1)と3)との区分である。特に3)を司法的処遇に委ねても効果が無いどころか、かえって当人固有の自己破壊的な罪責感情(「罪ある自分を罰して欲しい」)に奉仕することになることに注意を促したい。3)は容易に捕まるが、拘置所や刑務所に長く置いても、出所後に自殺未遂を繰り返したり、自殺に近い致死的事故を起こしたり、生き残れたとしても理解不能な高齢の窃盗累犯者を生むだけのことである。

蛇足ながら、当人における大うつ病性障害なるものを説明しておく。うつ病圏障害(かつて気分障害と呼ばれたもの)には種々の疾患が含まれるが、当人の場合は、昨今の所謂「新型うつ病」ではない。本件当事者が罹患していたのは、内因性うつ病ないしメランコリー親和型大うつ病性障害と呼ばれるもので、自殺や自己破壊的行動の危険を伴う病型である。(添付資料-2)大うつ病の診断は添付資料に挙げられた基準Aの9項目のうち5項目を満たすことによって確定される。

本件当人の場合「(1)憂うつ感」「(2)失快楽(以前には興味を示したものへの関心の欠如)」「(4)不眠ないし過眠」「(5)不安焦燥感」「(6)疲労感」「(7)自罰感」「(8)集中困難」「(8)自殺念慮」という8項目が2週間以上にわたって毎日確認されたため、大うつ病エピソードの渦中にあったものと見なされる。当人の場合、今回の発症は初発ではない。少なくとも3回の気分の落ち込みが観察され、それぞれに際して同じ対応手段(万引き)が諮られている。なを、病歴中には躁病性エピソードは存在しない。
大うつ病の罹患者が自傷他害事件などによってよる社会的波紋を起こす場合には内在する思考、信念(「うつ病性妄想」と呼ばれる)が作用しているものである。事件として具体化した場合、男性では突発的暴力・暴言が多いが、女性では自分を犯罪者として屈辱の極に至らせる万引き行為となることが多い。

注意をうながしたいのは、罪(反社会的行為)によって罪悪感が発生するとは限らないことである。逆説的ではあるが、非合理的な(理由の無い)罪悪感がまずあって、それに見合う犯罪が付随してくる場合があるという事実がある。
当該事件の犯人女性の場合、夫からの金銭にまつわる批判や叱責が絶えずあり、これに反撥しつつも、生来の小心から漠然とした罪悪感が生まれていた。この無意識レベルの罪悪感が、自己処罰的な窃盗・逮捕劇の基盤になったと筆者は考える。そういうわけで、このタイプの窃盗者、つまり症候性窃盗者は容易に捕まる。捕まって屈辱的な立場に身を置くことは自らの無意識的欲望の一部でもあるからである。

ここで検討の対象にされている女性は既述のように夫の不機嫌や怒鳴り声に過敏であった。今後の彼女の生活を平安なものにするためには、この種の「懲罰的超自我 punitive superego」を操作する必要がある。懲罰的超自我は当人の心的内面にこだまする自らを責め苛む声であり、その素材は当人が未だ幼く人語も理解できなかった時期に始まる大人の憤怒の声、それに伴って聞こえるガラスなどの割れる音などである。超自我そのものは誰もが備えていて、その洗練された一部は良心とよばれるものになる。しかし懲罰的超自我は洗練されることなく、常に自己を責め続け、思春期~早期成年期における自殺や自傷行為の原因となる。

上記を理解することが、この症例を治療する際の鍵となるように思われる。なぜなら、ここで当人と呼ばれる女性は、この種の懲罰的超自我を内包した人であり、それは彼女の乳児期~幼児期にまで発生を遡れるからである。当人の父親は会社社長を務めていたが、浮沈が激しい業界だったために、家計は常に不安定であり、それによる父母の口論が絶えず、激昂した父親が母親を殴打することも少なくなかったという。

従って、本件当人の治療にあたっては、父母への働きかけを含む家族療法的アプローチが望ましい。家族療法が課題とするのは個人の病理ではなく、家族成員間コミュニケーションの欠如や歪みである。そのため、家族療法は治療目標(この場合、当人の記憶の中の苛酷な家族成員間コミュニケーションの修正)に係わる家族成員全員がひとつの治療室に集結することが求められる。幸い、夫の単身赴任によって夫への恐怖感は薄らいでいる。また、効果的な入院治療と抗うつ薬投与によってコントロール不能な身体化障害や精神病様障害は消退している。実は当人にとってはどん底と感じられているであろう現在こそ、彼女にとって必須なパーソナリティ修正の好機なのである。

筆者は、こうしたケースの場合、適切な加療を欠いたままでの矯正はあり得ないと考えている。敢えて拘束、公判、刑務収容などの司法的処遇を優先した場合には、それに含まれる各場面において、自殺既遂やそれに替わる自己破壊行為が高い頻度で発生すると予見する。

そもそも司法権力は家屋侵入を繰り返すような危険で職業的な窃盗者(当然ながら捕まえにくい)の逮捕と拘束・更正に務めるべきであって、今回ケースのごとく容易に捕まる「病人」の矯正・更正ごときに注力するべきではない。

筆者の自験例においても2年に及ぶ長期にわたって刑務所に収容された女性の例があるが、刑務入所によって失われた社会的基盤の毀損は甚だしく、出所後の経過は極めて悲惨なものとなっている。彼女は出所後、実家には殆ど寄りつかぬまま強迫反復的に犯歴を重ねた末、交通事故により、所謂「植物人間」と化した。

治療者としての筆者は、いかに破廉恥な反社会的行為であっても、これを行為者の自己修正を求めるSOSと考える。本件はこの考え方の妥当性を証明出来る好例である。