中村先生が御講義のとき、度々口にされるので、印象強く心に刻みつけられているお言葉があります。

先生はとっくに八十歳を過ぎておられますが、
「皆さんはお若いのですから、時間を掛けてしっかり勉強をしなさい。私は老齢になりましたが「悠々自適」というような、そんなのん気な生活でなく、いつでも一番槍の気持ちで、真っ先に立って新しい学問を開拓して参る覚悟です。また、そうする必要があるのです。体の動く限り、報恩の念をもって進み続けたいと思っております」
とおっしゃるのです。
 どのような分野であろうとも「棚から牡丹餅」は決してないのです。あったとしてもそれは一時的なものです。
生きていくためには、いつの時代でも勤勉な労力、限りない情熱があってこそ物事は達成、成就するのです。
あらゆる情報が氾濫し、一億総評論家の感がある現代で、タレント学者が著した本を読んだ受け売りで、禅とは、仏教とはと、

したり顔に語る、まるで現場感覚の欠如しているインテリ・ミーハーの評論など、社会的には何の役にもたたないのです。
 私は、東方学院で学ぶようになってから、仏教を宗教としてではなく「正しく生きていくための智慧」として客観的にみるようになりました。世俗性のなかに宗教的価値を認めることが大切だと思うようになったのです。
 つまり思想は「生きたもの」でなければならないと思いますし、本人が知っているだけではなく、知っていること、学んだことを具現するには、他の人々に向かって、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる言葉で表現することが不可欠であり、重要だと考えるようになったのです。