東方学院の講義を受けるために上京して、少し早めに学院を訪れ、例によって先生と雑談を交わす中で、
「専修院を開単して三年ぐらい経った頃から、自治会とか企業、各種団体から時々講演の依頼が入るようになりまして、托鉢の体 験を主に東方学院で学んだことをお話ししています」
と申しますと、先生は大変喜んでくださり、
「かめいさんは誓願をたてているのですから、続けて精進なさいませ。また講演会で話したことや、商業活動と禅修行を続けてい て感じたことなどを書き残してみてはどうでしょう。御自分が著した書が、巡り巡って自分の人生行路に必ず恵みを与えることに

なるのですよ」とおっしゃって下さいました。
 その時点では苦手な文を書いたり本を出版しよう等とはおもってもいませんでした。
 しかしその二年後には「生きる、我が托鉢日記」(専修大学出版局)を出版することになりました。
 その時、出版に際して細々と適切なアドバイスをしてくれた編集者が、校正の最終段階になって、突然、中村先生の推薦文をiいた

 だけないかと言い出したのです。
 若輩、浅学の私が、世界的学者の先生に推薦文をお願いするとはと、随分躊躇したのですが、もの書きとしては素人の私が、生ま  れて初めて、四苦八苦の末何とか書き上げたものを、何としてもしかるべき所から出版したい一心から、怖いもの知らずの体当たりでお願いしましたところ、
「そうですか、書き上げましたか。かめいさん、精進なさいましたね。わたくしでできることで協力しましょう。推薦文の件は、        

 どうでしょう、私とかめいさんが近づきになったことなどを原稿用紙五、六枚に簡単に書いてみましょう。それを、かめいさんが  

 お好きなように御役立て下されば・・」
とおっしゃってくださいました。
 まったく、天にも昇る気持ちというのはこの時の気分をいうのでしょう。 一週間ほどして、先生直筆の原稿用紙が赤い紙縒りで綴じられて送られてきました。
その原稿現物はわが家の「家宝」として額にいれ拙宅の奥座敷に大切に飾ってあります。