しばらくして司会者が
「奥様、今日は是非、私たちの知らない先生のことを何かお話ししてくださいませんか」
と申し上げると、
「それじゃ、今日は皆様のご存じない主人の ことをばらしてしまいましょう」
といたずらっぽい笑顔でおっしゃいました。
 奥様のお人柄は風薫る五月の気候のように温厚で、清々しく、心暖かで、情深い、「和顔愛語/わげんあいご」という語がそのままあてはまるような、物腰ていねいな方でいらっしゃいます。
 例えば、私たち研究会員に出会いますと、常に奥様の方から挨拶されるので、こちらの方が恐縮してしまうほどなのです。
 その奥様が「ばらした」お話はあまりにも楽しかったので、ここにいくつか御紹介致しましょう。 
その一
御結婚は見合どころか、両家の御両親が決めてしまった有無を言わせぬ「命令結婚」だったそうで、奥様は、ちょっと今の若い方達の状況がうらやましそうでしたが、当時は、大なり小なりみんなそういう状況だったのでしょう。
その二
新婚時代、眠っている先生の枕もとに目覚まし時計が置いてあるのを見たお姑さんが、突然目の色を変えて怒りだし、「休んでいる学者の枕元に目覚まし時計を置くとは何ごとですか!」とたいへんな雷を落とされた由。奥様は、ちぢみあがったそうです。
その三
先生から奥様へのプレゼントは、小物からお饅頭にいたるまですべて色は赤。  あるとき奥様が不思議に思って「どうして私にくださるものは全部赤い色なのですか」と問われたそうです。すると先生は「女性というのは、赤い色が好きなものだと男友達が話していたので、(先生は男兄弟ばかりで育った)そういうものなのだと思い込んでいたのだが、そうではないのか?」と答えられたので、奥様は、お返事に困ってしまわれたそうです。
その四
ある日、先生が地下鉄の改札口で切符を出そうとしたら、どうしたものか見つからないので、慌てた先生は、上着のポケット、内ポケット、Yシャツ、ズボン、鞄の中まで、必死の形相でさがしまわる。
はじめは迷惑そうに怖い顔をしていた駅員さんも、あまりに真剣な先生のうろたえぶりに、だんだん笑顔になり、「わかりました。結構です、どうぞお通りください」と通してくれたそうです。
 家に帰って私はこの話を早速家内や子供たちにそっくり聞かせたところ、もちろん家じゅうで大笑いになり、とてもほほえましく感じたことを覚えています。