中村先生が、鈴木正三について講義された時、目から鱗が落ちるとは、このような気持ちをさしていうのだろうと、驚喜したことを覚えています。
もやもやと霧がかかっていた部分がすっきり晴れ上がったような爽快さでした。
それ以後、私は鈴木正三の思想に深く共鳴し、より確実に自分のものにせねばならぬと思うようになりました。
仏教は、もともと実践の教えですから、幾ら学問をして奥義を極めても、坐して沈黙を守り、自己満足しているだけでは,
何の役にも立たず、意味が無いわけです。
宗教とは、仏教とは、等と教義について論争したり、儀礼儀式に拘っていては、真の仏教の精神は、見失われてしまいます。
鈴木正三禅師は、その著書の中で、「一所懸命働いている時が、極楽浄土だ」と著しているように、商人は商業活動、役人は
それぞれの務めを果たすことが仏道なのです。 特別のこと、変わったことをすることが修行なのではなく、日常の当たり前のことを当たり前にきちんと果たすことが修行であり、大切なことなのです。
いつの時代でも自助努力と自己責任がキーワードであることを常に思い、世俗界と精神面が渾然一体となった生涯をおくる事で
本当の安らぎが得られるのです。
後に、二王禅堂(単立寺・専修院)を建立するに至った大きな要因の一つは、この鈴木正三の思想を具現したく思ったからでもあるのです。
鈴木正三(一五七九ー一六五五)
江戸時代初期の曹洞宗の僧、元武士
著書に「万民徳用」「驢鞍橋」(ろうあんきょう)等