この楽園論は、
私の理想郷プロジェクトの本論で最終章になります。

この最終章は、
現代日本人の皆さんへのメッセージと、
必然の国から自由の国への招待状です。

それで結論は文末に示されます。

私はいつも、
セブにやって来た日本人たちに尋ねたくなります。

あなたは、本当にこの国を楽園だと思っているのか?
都会人にネガティブなこの国が本当に楽園なのか?

私の思いを尻目に

飛行機を降りた日本人はいっせいに足早に進む
約束された地点をめがけて

それぞれの目的地に着いて
すでに買っておいた予定の確認をやり始める

何故なら、そのためにセブに来たのだから
それから、順次買っておいた予定を消費し始める

そして、全部消費し終わったら
どこからともなく皆な空港に戻って来て
もう何も無いという無機質な顔で日本に帰って行く

空港でいつも出会う日本人たちの「この顔」に
いつも私は違和感を感じ不可解な気持ちになる
えっ何も無いの?いったい何を見たの?

このネガティブな国を楽園と思うなら
日本から商品文明を持ち込むのは矛盾ではないのか

このネガティブをポジティブとして生きるなら本物
そのいい加減さはドン・キホーテなのか愚鈍なのか

楽園という商品、セブという商品を買うために
セブ空港にたくさんの日本人がやって来ますが、
何人が「本当の楽園」に出会えたのでしょうか

日本人にとって、
モノとはすべて商品のことです
商品でないモノはモノではありません
そして、商品でないものには価値がありません

日本人にとって、
幸せとは商品を買うことです
いえ、幸せさえも商品なのです

つまり、教育や暮らしや健康や夢や命さえ
人間界のありとあらゆるものが商品になりました

最大のミステリーは
自分も商品になってしまったことです
それで商品であるヒトには商品しか見えないのです

目の前に何か物があっても
商品でない物は見えないのです

だから楽園も日本人にとって商品です
その商品としての楽園とは、

常夏の気候
美しい海とヤシと野生動物
ホスピタリティある住民
美味い果物と酒と食事
芝生とハイビスカスとプール
エアコンの快適な居住空間
働かなくてもよい楽な暮らし

日本人は買えるモノしか想像できないので、
こうした商品が日本人の考える限界です

でも残念ながら、
あなたが楽園と想像したものは楽園ではありません。

なぜなら、
「本当の楽園」はモノではなく商品ではありません
「本当の楽園」は売買したり消費したりできません

その訳は楽園とは、
外的な環境の啓示を受けて、
自分で自分の中に形成するものだからです

教育や夢も自分の中に作るものですが
楽園と異なるのは外で買って来ることです

それにひきかえ楽園は自分が自分で作るしかありません。

このようにお話ししても大概の人は
何のことなのか全く想像がつきません

何度もお話ししたように、
それはどこにも売っていないからです
売れないものは商品にならないのです

どうして商品にならないのかというと、
それは資本主義を否定する原理だからです

「本当の楽園」はどこにあるのでしょうか?
足るを知る人間の心の中に楽園があるのです。

それにひきかえ、
モノに執着する人間の中には餓鬼の地獄があるのです。

餓鬼の地獄を終わらせることは、
終局資本主義の終焉を意味します。

それで、資本主義の司祭者とゾンビたちは
全力をかけてヒトが楽園に気付くことに抵抗します。

その間は資本主義は延命できて
資本主義の司祭者とゾンビたちは貪ることができるのです。

私が空港で見た日本人の異様な顔とは、
商品人間の顔で人間らしさを失くしたゾンビの顔なのです。

他人事ではありません
あなたも丁度そういう顔をしています!

ブログの世界を眺めて見ても、
「世界で年収何億円云々」「ネットで何億円云々」とか
勇ましいが全部自分が如何に高く売れる商品かを競って、
モノとして競い合っているゾンビに過ぎません

何か新しい価値がこの地球で増えたのでしょうか?
誰かが減った分、誰かが増えたのではないですか?
私にはゾンビが死屍を貪っている姿にしか見えません

か つて、日本が共同体社会であった時は、伝統と因習に支配されて個人の自由が制限された社会でした。その後、近代化を達成する中で大幅な個人の自由を手に入 れましたが、それは結局資本主義経済に組み込まれる範囲に限っての自由であり社会の全てが商品として自由な交換が出来るための自由でした。

ほとんどの日本人は、
日本は自由にモノが買える豊かな社会だと思っていますが、
人間である自分がその商品であることに気が付いていません

消費者は王様だというプロパガンダや、
人権や国民主権という甘い言葉に騙されて、
全能感を持たされていますが幻想に過ぎません

その自由も人権も資本主義経済を成り立たせる上での、
有効でかつ、その範囲内で認められるものに過ぎません

「本当の楽園」とは、
商品であってモノである自分を止めて、
人間であって自然である自分を取り戻すことなのです。

人間が生まれて来ては死んで行く、
その自然の楽園に回帰することです。

早くそこに回帰しないならば、

あ なたが知らないうちにベッドの上でヒトからモノに変えられて(死んだらモノです)直ちに人間界(病院施設)からの持ち出し(モノなので立退きではない)を 強いられて早々に焼却処分にかけられ暗くて冷たい(モノが感じる訳ないのですが)法律で決められた土地の下に納めてやっと全員(生きているヒト)ホッと安 心します。生モノを長くこの世に置いておくとヒトは迷惑するからです。このプロセスの始まりはあなたが人間として(あなたはそう思っている)病院(実は人 間界から死を隠す装置)に入院した時でした。正確にはこの時点であなたは既に人間界から隔離されたのです。この時点であなたはほとんど人間界への復帰はあ りません。あなたはモノとしての人間ですが法的には人間ですので法律に基づいて人権がある間は生かされますがその間は高い命の担保料を取られます。

ここまでお話ししても、
ほとんどの日本人はでも仕方ないと思います

そ れが大衆の空気であり洗脳された現代人の姿です。そういう空気の中で人間界のメリーゴーランドに乗って同じ所をグルグル回ってニュースを追いかけてテレビ にスポーツに気を紛らわせているうちに気が付いたらその輪から引き抜かれて墓に埋められるまでの時間を過ごしている運命なのです。その時になって一瞬気が 付いてももう遅いのです。現代の自然(いのち)抹殺装置はその時にはもう止められないのです。現代人はこの世に生まれて来る時とこの世から死んで行く時だ け人間扱いされます。これらの二つだけは自然に属することなので人間界にとってどうにも自由に出来ない憎らしいものなのです。だから人間界はその自然を素 早く抹消しようとする。自然以外のヒトなら人間界でどうにでも洗脳して自由に操縦出来るのです。ヒト(自分を人間と思っているモノ)はまるで自分で判断し て行動したと思って生きて(分類上は動物だから)います。しかし、実際は操られて生かされていることに気が付きません。あなたが自分の一番の根拠にしてい る自己は幻想なのです。

ここまでお話ししても、
まだほとんどの日本人は反応しません

それで、私はもう一度言います
「お前はモノだ。お前はもう死んでいる!」

ヒトが人間に生き返る道はただ一つ

商品であるヒトを止めて、モノであるヒトを拒否して、
人間性を回復して人間に回帰することです。

人間回帰とは何か、

それはアインシュタインの公式のE=mc2と同じように、
大変シンプルです。

人間の関係をモノも商品もカネも使わないで、
ただ人間の言葉と行動の力で表現して、
人間が人間を豊かに幸せにすることです。

その時にあなたの居る場所が「本当の楽園」なのです。

日本人の5%の人が「本当の楽園」に回帰したら、
日本は近代から脱皮して世界初の脱近代に進化できます。

それこそ、日本が世界史に果たすべきミッションです。
我々はそのミッションを果たさずに死ねるでしょうか?

長いお話しをお聞き頂きまして有難うございました。

なお、私の楽園セブJトピアは、
人間回帰のための司令塔としてシンボルとして建てました。

そのためにJトピアは次のミッションを果たします。

⒈日本人居住者のためにJビレッジを建設します
⒉日本人ビジターに研修用の宿泊所を提供します
⒊日本人の人間性回復の支援を行います

また、各論で触れることが出来なかった、
介護や医療の問題は補論として今後お話しする予定です。