「女子留学生日本語弁論全国大会」
日本各地区の予選を経て10名ほどの留学生が出場する弁論大会は、
欧米、アジア、アフリカと様々な国から来日している。
今年は、
ベトナム、ミャンマー、インドネシア、中国、韓国、マダガスカル、ウガンダ
という顔ぶれがそろった。
みんな自国の経済状況を乗り越えて
「日本で日本語を学びたい」
という強い熱意と意思で夢を実現させている。
そして、環境や教育、土木開発などについて学んだことを、
自分の国のために役立てたいと考えており、その姿勢に感動する。
今年は、コロナ禍で開催が危ぶまれたが、
実行委員の皆さんのご尽力で最新の注意をしながら、開催の運びとなった。
結果、内容の濃いとても良いものになったと思っている。
私は、5年ほど前から地区大会の審査委員をしていたことがご縁で、
昨年から全国大会の司会を依頼されるようになった。
今年は正直、大腿骨骨折から半年しか経っていないので
体力に自信がなかったが、思い切って引き受けて本当によかったと思っている。
私の声を聴いて「安心する」と言ってくれるスタッフや来場者の言葉が、励みとなった。
日本にいると、恵まれすぎていて、
感謝の気持ちや努力することを忘れてしまうことがある。
また、うまくいかないことがあると、人のせいにしてしまう。
教育の場が整っているのに、学問を放棄している人も多い。
弁論の中で、
「教育の力はすごい。学問ができなければ、知っていることが限られてしまうので夢の描き方も小さくなる。しかし学が高いと、物事を良く知っているので夢を広く描けるのだ」
と述べる留学生の言葉にはっとさせられた。
私たちは、夢を描けているのか…。
明治に入り、福沢諭吉が欧米の「スピーチ」という文化に触れ
衝撃を受け近代化教育として教えたという。
令和の時代になり、スピーチが当たり前にできるか、というと、
相変わらず日本人は自分の意見を伝えることが苦手だ。
もしかしたら、伝えるだけの想いを描けていない人が多いのかもしれない。
さて、来賓スピーチで「なるほど」と思ったのが「義理と恩」の違い。
どうに違うのかお分かりだろうか?
それは、義理はチャラにできるが、恩は返しても返しきれないのだそうだ。
「義理は果たした」などと言って、清算できるが、受けた恩はチャラになることはない。
恩返ししていくことが大事なのだ。
でも、やりすぎると「恩着せがましく」なってしまうので注意が必要だそう。
日本語の言葉のきちんとした意味、使われるときの背景をしっかり理解することが大事だ、
と話してくれたが、果たして日本人自身も正しく使えているかどうか、甚だ疑問だ。
なんでもググれば済むと、知っていることも限定的では夢も広くは描けまい。