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今日から今年も、早や三月になりました。
先月から、シリーズでフィリピン人の民族性と行動原理から見た愛の分析をブログに書いていますが、日本人のみなさんは、ほとんど方が、フィリピン人の愛について誤解されておられます。

その結果、フィリピン人との関係がまだ友人程度のお付き合いなら良いのですが、恋愛関係や国際結婚などを意識するようになると、この最初のボタンの掛け違いから取り返しが付かない事態まで発展致して傷が深くなりますので充分注意しなければなりません。

最近見たブログで、「フィリピン人は愛が深い」というのがありました。
もちろんブログ作者の方の趣旨や論旨を中傷する意図は全くございません。

フィリピン人にも愛が深い人も居れば愛の浅い人も居ります。逆に日本人は愛が少ないということでもありません。それで、これでは何も言ったことにはなりません。なので、どこかの国民は愛が深いか浅いかというのは社会分析としては認められないのです。

私がお話ししています、民族性と行動原理として現れるフィリピン人の愛の特性とは、個人の意思に係わらず社会意思として貫かれる性格についてのことです。

それで申し上げますと、日本人が抱いている錯覚の最たるものは、フィリピン人の愛についてです。もっと的確に言いますと、ほとんどの日本人は、まだフィリピン人の愛を知らないということです。

さきほど例に挙げましたブログでも、フィリピン人にお金をあげたら大変感謝されてそのお金を大事に持っていたと書かれていましたが、こういう体験はフィリピン人の愛の体験でも何でもありません。それを日本人はほとんど誤解しているのです。

それでは、どういうときにフィリピン人の愛を体験するかと言いますと、先ほどのブログとは全くの逆の場合で、彼女から私にお金をくれたり、私を養ってくれたりしたときなのです。

もしこういう体験が無い場合は、フィリピン人の彼女からは愛されていないものと理解するのが正しいのです。ほとんどのフィリピン人の家族や恋人、夫はこういうふうにして彼女から愛を実証されて生きているのです。

愛されていない理由は、ほかでも無い日本人に原因があるのです。フィリピン人にはモノやカネをあげたから愛が生まれると考えていたら間違いです。愛は愛からしか生まれません。これが社会意識ということです。

写真は、Jトピアの日本語学校で学んだ姉妹たちの光景です。彼女たちはまだ独身ですが、日本人が可愛いと感じる女性には誰にでも中学時代から付き合っている恋人が居ます。その恋人への愛を実現するために、海外への出稼ぎでも何でも自己犠牲をしてでも自分の愛を貫くのです。

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