「民主主義の仕組み」を変えよ | Making Our Democracy Work! 石井登志郎オフィシャルブログ Powered by Ameba

「民主主義の仕組み」を変えよ

48回衆議院総選挙が終わりました。この一ヶ月が何だったのか、私なりの見方を記したいと思います。

 

希望の党は、政党ではない

 

まず、希望の党について。酷すぎて論評のしようもありませんが、一言で言えば「政党とは言えないでしょ」ということでしょうか。法律で定められた政党要件を満たしているとかいないとかそんな話ではなく、特定少数がブラックボックスの中で意思決定をしているということだけでも、政権を狙う政党であるはずがありません。公認候補決定のプロセスなどは象徴的で、「排除の論理」はあたかも政策に基づいたものだと言いたいようですが、私の見た限り、政策ではなく一部の好き嫌いで決められたようにしか思えない事例がたくさんありました。2、3週間で通るはずないのに、有権者をおちょくったような候補擁立を、よくぞまあここまでやったものです。今回の希望の党の誕生で、政治不信は深まったのではないでしょうか。こうした流れを主導した代表はもちろん、チャーターメンバー14人の責任は著しく重いものです。この政党を、きちんとした政党として名目共に「公党」と呼べるものにするか、さもなくばさっさと解党するか、早急な判断が求められます。

 

「代表を選ぶ」ことだけの民主主義でよいのか

 

今回、投票率は53.68%と、史上ワースト2を記録しました。ワーストは前回の2014年(52.66%)で、まあ、3年前よりマシになったと言えます。台風があったとはいえ、この低さはちょっと行きすぎと感じてしまいます。「誰に投票しても同じ」「候補者がどんな人かわからない」「他に優先する予定がある」「そもそも興味ない」等々、投票に行かない人が口々にする言葉です。ごもっともな言葉ばかりです。

 一方で、誰しもが税金であるとか、教育や福祉の個別政策に関しては、生活に影響は受けますし、関心がないはずはありません。しかし、一般の市民は、議員という「代表」を選ぶことしかできず、個別政策に直接何らかの意見表明できる機会は、極めて限られています。そもそも民主主義とは、主権者の多様な意見を可能な限り汲み取りながら運営をしていくことではないでしょうか。とはいえ、億単位の人の意見を集約することができませんし、専門的な知識をすべての国民に求めることもできませんから、そこに議員の存在意義はあるのでしょう。だからと言って、議員を選ぶこと=民主主義みたいな理解は、大間違いだと断言できます。

 イギリスには、インターネットを使った電子請願システム「e-petition」というのがあり、一定数の国民の求めがあれば、政府が回答をするなり、請願委員会(てのがある!)で議論されるシステムが出来上がっています。これは、インターネットという新しい技術を使った、代議制民主主義を補完するシステムです。さすが、民主主義発祥の国、どんどん民主主義を発展させようという考えが根付いています。日本も、まずはこのe-petitionを導入するなりして、民主主義の仕組みを変える試みをすべきです。

 

 

闘う君の歌を、闘わないやつらが笑う

 

 選挙は、ドラマです。通ると落ちるとでは、それこそ「天国と地獄」。解散そのものも訳が分からなかったこともあり、有権者は冷めた目で今回の総選挙を見ていたのではないでしょうか。そして、安倍総理の思惑通りの結果となり、落選した候補者は、まさに踏んだり蹴ったりだったでしょう。特に、持っていた議席を失った議員の失意は、想像を超えたものがあります。私も5年前、そうでしたからよくわかります。私はたった一期で散りましたが、それでも相当な期間、どんよりしていました。ちなみに、うちのシニアは、田中派バリバリの中堅議員であった1983年、次に通れば大臣確実と言われていた田中判決解散において、苦杯をなめます。私はその時のことはあまり覚えていないのですが、当時の秘書さんらから聞く話は、「いやー、あの時のオヤジのショックは、ハンパなかったわー。同期で生き残った、奥田敬和さんとか森喜朗さんとか羽田孜さんとかがみんなその選挙後に大臣なっちゃったんだからね。オヤジは、そうだなー、半年は人前に出てこなかったよ。」と。その話を、直接シニアに聞きますと、「そんなことは忘れてしもうた。そうやったかのー。」と忘却の彼方。実は、繊細な一面もお持ちでして。

 私が落選した直後、一番困惑したのが、こっちがそれなりに立ち直ろうと明るく振舞う一方で、支援してくれた方が、「頑張ったのにねー。う、うぅぅ。」と泣かれてしまうケース。さらに、みんなで明るく話しているところに私が現れたら、皆さんがまるで「明るく話したらいけないんだわ」かのように、急に悲しい顔になって同情の言葉を投げてもらうケース。これもそれも、落ちた候補者の気持ちを慮る、優しい、ありがたい配慮ではあります。でも、できることならそうした配慮ではなく、普通にいつも通りに接してもらいたい、これが落選した経験者の気持ちだと思います。

 また、相手陣営や心無い声に「あいつ落ちたよ、ざまーみろ」みたいに言われたり、「あの人選挙に落ちて、どうするのかしら」と奇異の目を向けられたりすることも、ゼロではありません。しかし、やっぱり、選挙に出ようという心意気は尊いものです。

 中島みゆきさんが、こうした時に聞きたい、素敵な曲を作ってくれています。たたかわないやつらが笑うのは、放っておきましょう。落選した皆さん、捲土重来!!!


https://publicpolicy.yahoo.co.jp/2017/08/2213.html