春分の日。
ヨキカコ会(よーきーを囲む会)で、絵を描きながら、タイで学んだことのシェアをした。
自分の中にイメージとして残ったこと、自分が感じたものは、なかなか、人に伝えるときに、言葉にならないけど、
来てくれた人たちの、暖かい雰囲気の中で、
絵本のお話のように、なっていった。
「ユニバース」という言葉が好き。
そこからイメージしていくものは、広大な宇宙、スペース、空間。
そこに流れているエネルギーのライン。
ラインたちがカタマリになって、
ヒカル物体になる。
そこは、ふしぎな、
母なる生命エネルギーの元を作り出す、
静かな空間。
それは、母の子宮のように、生命が育まれ、誕生していくところ。
昔の人は、それを神様とか、様々な国の名前をつけて、呼んだんだ。
「ユニバースを信頼する」
「流れに任せる」
「手離す」
というのは、
自分は何もしなくていい、
ということではない。
究極に「今」に留まり続けること、
その中で、次々に繰り広げられる選択肢を、ただ受け入れ、その中でリラックスして、流れに乗るということ。
そして、「今」は、続いていく流れの中の「点」。
イマが続いていって、カコやミライになっていく。
イマは、だから、流れていくジカンの中で見ると、止まっていなくて、動いているよ。
「手離す」というのは、
使わなくなったモノや、失くすコトモノだけでなく、
とても良かったモノ、素敵な出逢い、お気に入りたちも、その流れの中で、自然にはなれていくこと。
「引き寄せる」のは、
近づいていく流れのこと。
ワタシが、空になった手を広げて、ソコに近づいていく。
良いことも、悪いことも、その流れの真っ只中では、わからない。
ただ、そこに流れがあるだけ。
時間軸の中で、その軌跡を見ると、
「イマ」に居続けて、流れに任せている様子は、
自分で選択して動いているのと同じ。
「そこ」に長く滞在した場所は、長さいろいろな、ラセンのカタマリになる。
カタマリの中にいても、大丈夫。
次にそこから出て行くときに、旅で交換できる「道具」になっている。
そうやって、旅の途中で、出逢った人達と、欲しいモノ、足りなくなったモノを、交換していく。
「旅の道具」のことは、前にも書いてた。
そこに、先も後も、どちらが正しい、偉いも
ない。
今回の旅は、約1ヶ月前に始まった。
大阪を離れて、東京→タイ→東京に戻って来た。
わたしがモラッタのは、
部屋、ごはん、お風呂、楽しい会話、
夏服いろいろ、アクセサリー、果物、
シナモン、ハーブティー、旅の資金、
などなど、だった。
わたしがワタシタのは、
よーきーのワーク、夏服、お茶、ハーブのオイル、きいろい石、お守りペンダント、
などなど。
スーツケースに、たくさんの旅の道具が入ってた。
そう思って眺めてみると、わたしがやってる、名前のつけようがない「よーきーワーク」は、ひとりで旅をするときの、お役立ちグッズ、みたいだった。
もともと、わたしは、とても疲れやすくて、「ビョウイン」に長く滞在していた。
そこが始まりの、旅の道具だから、かな。
もふもふ。
やさしさと、あたたかさを、くれた。