思ったのは、やはりブログを通じて
交流できた福島から北海道に移住
したある母娘の存在です。
この母親もぼちぼち行こうか、
のようなトーンでのブログ更新
した?のを眼にした途端、
我に返る思いでした。
ブログを始めた当初は、孫のことや山のこと、子どもの貧困等
自分が携わっていた子ども・青年・家族支援の電話相談等を通じて思ったことなど中心に書いてきたつもりです。
しかし、あの3・11以降は、自分が50年も前に過ごした福島に
カムバックしたような感情に襲われました。だから「福島のことを中心に書かなければ」と勝手に思いあがってしまったようです。
でも福島に住んでいるわけではありませんから、福島が見えなくなります。北海道でもかなりの方々が、「福島の今」に関わること
をFBに投稿しているのを見ますが、私は伝聞を元にした福島情報の拡散は避けて来たつもりです。
だからと言って、真剣に情報を得て、それを出来るだけ多くの人々に知らせる活動に反対しているわけではありません。
思いは唯ただひとつ、「福島からの発信に耳を傾けたい、福島の方々の苦悩や悔恨、怒り・悲しみの内実に接したい、共有できものがあるのか、自分には出来るのか、出来ないか・・・・・・・・・・・・・・」 ということでした。
ある方が言いました。「福島の人々の思いに共感しない原発ノーの運動は、持続しないだろう」と。
私はこれを金科玉条的に信じているわけではありませんが、印象の深さは今も持続しています。
だから、あれ以来11回、福島を訪問・立ち寄りしました。
9月25~26日、宮城県での集まりのついで利用し、3度目の楢葉町訪問でした。
お会いしたHさん、福島第2原発設置差し止め訴訟を1970年代から闘い、更に今も、福島原発避難者訴訟原告団長として再度
闘っている。そんなH氏の裁判所での意見陳述の末尾に次のような箇所があります。
「家に帰ることができても、70歳を過ぎた自分らには、元の生活を取り戻せるだけの時間がないという思いです。そして、どう考えても古里が、元の古里に戻ることはない。古里は消滅したという思いです。私は、それでも、100年先、200年先の人々のために残る人生を闘い続ける覚悟でいます。・・・・・」
楢葉町は9月5日に帰還宣言しました。
近いうちにまた、楢葉町に住むH氏とTさん姉弟にお会いしたいと思っています。
(写真は、案内した北海道からの8名とH氏及びO氏、私は撮影者)