北海道にいると特に最近は原発被災地住民とじっくりと話す機会はほとんどありません。今回、相馬市大野台仮設団地を地元の方
団地自治会の前会長、現会長、
管理人をされている女性計3人が
私たちに応対してくださいました。
3・11直後ないし翌年あたりまで
は、福島から来道されてお話を聞く
機会も少しはあったと私は思ってい
ます。
避難したくても避難できない状況下にある方々への苦悩を共有できるなんて一切思いませんが、それに触れることなら出来るか
も知れないと、出来るだけ機会を見つけて福島に出かけてきました。
飯舘村は過去2回通りましたが、住民の方々の仮設住宅での懇談は今回は初めてです。未開の地を切り開き、長年にわたり精を込めて取り組んだ『までえな村づくり』を原発事故は、村役場関係者からも、子どもからも、女性からも、青年からも、村づくりに協力した福島大学研究者からも、ブランド牛に育てあげた酪農家たちからも、高齢者住民からも奪ってしまった原発事故。
『私たちは何を希望に生きて行った
らいいのか」と年月が経つにつれて、その苦しみを増幅させられているこ
とを感じます。
復興どころか苦悩の倍返しと思い
ます。
夢・希望への微光さえ消されようとしているように思います。
だから「せめて原発だけでもなくなれば」が唯一の可能性のある希望でもあるのだと思いました。
飯舘村20自治会のうち14自治会がこの仮設団地に急遽入居し
、コミュニテー形成のために多大な尽力をされた前会長、現会長、管理人さんたちの声は住民の声でもあります。
国も東電も責任の重さを痛感すべきです。
ある方は「福島への支援はもういりません。応援をよろしくお願い
します」と言わえれたことを思い出しますが、今回飯舘村の方々
と懇談し、支援も応援もまだまだ必要と思いました。