私のようなど素人には難しい課題であることを知りつつ、何とかならないものかと常に考える。
先日の朝日新聞に津金氏と津田氏の談話が掲載されていた。
「甲状腺がん『多発』どう考える」というテーマである。
両者の意見に部分部分で頷きながらも、納得出来る点が生まれ
ないのは何故なのか?
あの3・11以降いまだに続く論争?
溝を埋めてくれるかと期待した「市民と科学者の内部被曝研究会」私も賛助会員となったが、現状は開店休業状態のようだ。
この研究会の専門家?会員の中でも意見の相違が表面化して、機能不全状態に陥ったようだ。
賛助会員にも、わかりやすく説明してほしいものだ。
結局放射線医学が日本でまだまだ重要視されていないということか?そんなことを西尾正道先生(元北海道がんセンター所長)
が話していたことを思い出す。
3・11直後の福島では医学関係者の中でも当初、混乱があったことは想像がつく。その道に詳しい人ほど避難乃至「疎開」の必要性を感じただろう。
しかし、市民・住民が福島に住むことを決断した以上、そこに残って医療活動に専念したいという医療関係者もいて当然と思う。
避難ないし「疎開」に同意しなかった医療関係者がいたことに対し「民医連の医師で、被曝医療に携わった医師も信頼できなくなった」と批判し、かつ東京まで出かけて「講演」した人の記録も眼にした。じっくりと話し合うなら、一致点を見つけることができたはずだと思うのですが、当時の福島では、そうした余裕は許さないという
気風も強かったのだろうか。
そして「分断」が拡大され、疎開を主張された、この方は福島を去った。自らの主張に基づく選択は尊重されるべきと思う。
移住も転居も自由であるから!
「福島に残る者を無知・馬鹿呼ばわりはしないでほしい」という声
も何度も聞いた。
上記の医師に対する批判は、講演記録として残っており、先日も見ることができた。しかし、この医師は福島県内で今も、多く人たちに信頼されて、福島の医療を支えてもいるのです。
私は「この医師を批判した人は民医連綱領を理解していない不幸な人だ」と思った。
民医連関係者も、「私たちはこの綱領を元に医療活動を福島で継続します」との主張をより強めるべきではないかと思った。
危険ななかだからこそ、医療活動も必要なのではないでしょうか。もちろん可能な限りの防御を施して!
放射線医学に関する対立点があろうとも、当面の医療行為で何が必要かの一致点はあると思うのだが?
そうした見地で放射線医学をリードしてくれる人がほしいと思う。