「ルーシーは、今でも、自分にとって意味の重い曲だよ。」

「どうして?」

「ヘヴィだった20歳の時の鬱病を、本当に過去の思い出として、完全に切り捨てることが出来たのは、あの曲のおかげなんだ。救われなかろうが、救われようが、お前が自分を救わない限り、決して救われるなんて無いってのを、あの曲が教えてくれたし、曲の捕まえ方さえも教えてもらったよな。」

「書き方、の、間違いじゃない?」

「捕まえ方だよ。あの曲は、書こうと思って書ける曲じゃない。あの曲は、猛暑の夏にクリーニング屋の工場の中で、意識が朦朧としていた時に浮かび上がってきた曲なんだ。」

「へぇ。」

「ある意味では、困った曲でもあるけどね。あれが自分が極めて自然な状態にある時の曲の基準とせざるを得ないからなぁ。極めて、無意識の状態で頭の中に浮かび上がってきたフレーズを捕まえるんだし、そんな状況に陥るのは、年を経るごとにまれになっていく。わずらわしいことばかり増えてくるから、音楽のためだけに自分の頭を空っぽにしているなんてのは、困難になるよ。」

「普通に、曲は書かないの?」

「大抵の場合、自分の作ったフレーズは、自分の手癖を知っているせいもあって、そのパターンを崩そうって頭で考えるせいか、後から聞けば聞くほど、そのフレーズの居心地の悪さとか、不自然さが気になってしょうがない。ここでああしよう、とか、こうしようなんて、姑息な事を考えている自分に気がついて、結局、そんなつまんない曲を書いてまで、音楽にしがみかにゃならんほど、お前は音楽に困っているのかって、考え直すんだ。そもそも、作曲のパターンなんて、出尽くしているし、誰かが作った曲に似たような曲を、手癖で真似して、自分の曲ですと言い張って、でかい面してアーティストぶる厚顔さはないよ。大体、そんな風にして作った自分の曲だって、たまに『あれっ?この曲は、どこかで聴いたな。』ってなるんだから。」

「それ、誰の何て曲?」

「んなもん、自分で言えるか。意図してパクったわけでもないのに。強いて言うなら、なぜか、違う弾き方をしているはずなのに、なぜか、そいつの曲の雰囲気を醸し出してしまうわけで。」

「大体、弾き方を真似れるほど、ギターを器用に弾いてないよね。未だに下手だし。」

「・・・確かに、上手くは無い。同じ曲弾いても、違うトチリ方するし。」

「早弾きできないし。」

「大体、全部オープンコードのアルペもどきとパワーコードと茶を濁したようなシングル・ノート並べたソロで作っているのに、なぜそうなる!?と、俺は自分で言いたい。」

「はぁ。本当になすがままに音楽作ってますな。」

「だから、曲が出来ない時は、本当に出来ない。けど、それは、それで、最近は良い事だと思えるようになったな。」

「何故に?」

「曲を書くことが一つの癒しだとしたら、現実の生活が、そういう音楽による癒しを必要としない状態であるっていう事だからね。つまり、曲を書くことと、書いた曲をプレイするのは、別な楽しみなんだよな。だから、今のSCRUB は、全員で、曲を奏でるっていう楽しみしかないよ。しかも、メンバーも全員、曲を熟知した、気心知れた仲間だし、なんのこだわりも無く、演奏を楽しめるのさ。でも、ルーシーって曲の存在感は、そこでも、十分感じる。」

「どうして?」

「未だに、21歳の時の自分が、今を見据えているからね。この曲を書いた過去のお前に何ら、恥じることなく生きているのか、っていう。つまり、過去の言葉が全て嘘っぱちになってしまうのは、自分が、過去の生き方に矛盾する生き方をするからなんだろうな。他人の生き方をとやかく言うつもりも無いし、成長という事もあるから、一概には言えないけど、音楽が圧倒的に好きだった自分は、嘘でも何でもないし、現在も変わっていないよ。求め方が変わっただけで。」

「と、言いますと?」

「つまりは、その、自己表現という大仰な物言いで、いい加減な自己の性格や生活を正当化するための手段に使ったら、音楽が穢れるし、ここまで築き上げてきた先人の努力に泥を塗る。なにより、音楽に対して失礼だという事で。」

「ノ、ノイズおたくの口からそんな言葉がっ!!」

「・・・音のフォルムにごまかされるなよな。ざらついたノイズでも、心を打つほどの純粋さがあれば、それは切なくなるほど、美しい響きを持っているんだ。逆に、どんなに耳あたりをやわらかく作ろうと、技巧をどんなに凝らしてごまかそうと、メロディ・ラインに打算や本当に音楽に愛している人間とは思えないような下心があれば、自然な流れは損なわれるし、醜悪な腐敗臭がしてくる。あ、これは、自分に問いかけもせず、単に定番の作曲法を題目のようになぞっただけだ、こりゃ、とか、ま、好きで音楽を続けたいという人間の作った音楽とはとうてい思えない、見苦しいまでの感情が渦巻く曲に感じるのは、やっぱり、その見苦しさ、というか、聞き苦しさだなぁ。音の重ね方、はずし方まで、ばっちり、教科書どおりで、先がバレバレ。しかも、それで、何か、いい仕事したな、みたいな顔して。70年代の音には、そういった胡散臭い不自然さがプンプンしている。」

「なるほどね、セオリーどおりにしか曲を書けない優等生ってところか。はずし方まで、定番の教科書どおりなんて、逆に大笑いだね。その自分の努力を認めてくれってのは、既に、才能うんぬんより、単なる学歴偏重努力重視的体育会系思考って事か。」

「たいてい、そういう輩は才能のある無しとかどうとかで、人を見下し傷つけ、優位に立とうと見苦しく足掻く。そんな下劣な品性の人間の言う‘やさしさ’や’癒し’に、一体、如何ほどの価値や重みがあるかね。人に傷ついたとか、傷つけられたとかいう痛みを感じた人間がそんな発想になるとしたら、言葉の裏側の矛盾や嘘に自らが気がついていないことになる。そんな人間に人生語られたところで、学び、教わる事など、何かあるかね。」

「ないわな。そいつ、嘘ばっかで、自分しか見えてないもんな。」

「いたずら心なら、逆に分かるさ。面白くてじゃれているだけの音とか、表現上の反語表現とかね。でも、心にも思っていない嘘を並べられるように、音楽はテクニックで音符を並べる事ができるんだ。単にディストーションの音がうるさいだの汚いとかの単なる表面的な濁りよりも、人間の自然な息遣いやパルスを感じない曲や、打算的な意図のある曲のほうに、俺は吐き気を催すけどね。見せ掛けの優しさなんて、そんなもんだよ。下卑た下心や、薄汚れた根性が、透けて見える"癒し"に癒されるほど、お前の魂は、何かを見喪っているのかい、ってね。」

「久々に、'ネオアコの皮をかぶった毒舌パンク野郎'の本領発揮ですな。」

「まあ、うちのメンバーはオトナだから、そういう人たちには最初から近寄りませんし、出会っても、嫌味一つ言わず、黙って放置するタイプですね。俺も見習わねば。」

「そうだね、でも、あんた、パンクでしょーに。」

「一生、怒り続けることなんてできないさ。エネルギーは有限だし、怒りが限度を超えると、怒る気にもなれなくなる。あきれるか、ばかばかしくなるか、相手にもしたくなくなる。同様に、永遠に悲しみ続けていたら、ただのマゾだよ。もしかしたら、’そこから抜け出せない’んじゃなくて、’そこから抜け出す気が無い’って事じゃないの?そこの原因を作りつづけているのは、恐らく、視点を変えられない自分ってことだろうからね。そういった人間の持つ本質的な救われなさが見えて、それでも、光を求めようともがく時、空しさを超えた所から立ち上がろうとする真の冷静な強さが顔をもたげる。そして急に’哀しく’なる。どうして、人はこうなんだろうって。逆に、そこまでいったら、本当の意味での優しさが何なのか、それがわかるんだろうな。」

「…ほほう、それは何?」

「途中で言ったと思ったけど?あ、それに、答えを聞いたところで、実践できなければ仕方が無いし、なぜ、そうなのか、自分で実感も体感が無いなら、それは実践できないだろうし。最大のヒントは、妙な下心を抱えて、本当のもののあるべき姿を、限度を超えた自分の都合や欲求で、ゆがめてはならないんだ。かといって、頭で考えすぎれば、答えはいつまでたっても見えない。常識を超えたところで、素直に感じれば良いんだ。」

「そんな事言っていると、勘違いの輩が増えるぞ。」

「おっと、人間社会では、ルールというか、節度をまもれよ。俺が言っているのは、自分の中の「常識」、すなわち、自分の考えは、もしかしたら、間違いなのかもしれない、っていう仮定ぐらい、たまには自分で持てってことさ。自分が思っている事が、自分にとっての真実だとか、一番正しいなんて、はなはだしい思い上がりは捨てろってこと。
お前がそれほど完成された人間なのか?って言いたくなる奴は、ゴマンといるよ。自分も含めてね。
単なる「わがまま」を「自分の感性」というアホを許せば、社会が乱れて悲しむ人間が増えるだけだからな。悲しみを拡大再生産すれば、癒しがどうのとかいうアーティストづらした、別に音楽が好きなわけでもない嘘つきの馬鹿たれ商売人がまた増えて、それにだまされた奴等が、そいつらのCDの売上を、さらに伸ばしてやる事になるからな。」

「救いようが無いなぁ、その状況。あ、救われてるのは、お金もうけている、そいつだけか。」

「この状況を見ていると、あーあって、なぜか、哀しくなるのだ。本当に救われているわけでもないのに、なぜか、プラスチックの盤に刻まれた怪しげな情報に、せっせとお金を払っている。この事実だけ簡潔にとらえると、変な宗教にお布施払うのと、どこが違うの?」

「いいじゃないの、幸せならば。それで救われている気になっているんだし。」

「その本質に気がつかない以上、日本に本当に音楽を育む土壌は生まれない。どんなジャンルであれ、クラシックだろうが、ジャズだろうがすべてが一時凌ぎの流行り歌。」

「いいの!?そう、言い切っちゃって。」

「いいの!!最初からおかしな奴は、最初から、何か、人と違うおかしなパルスなんだけど、それが何故か許されてしまう自然さがあるんだよね。しかも、その事に大抵の場合、本人が気がついていない。意図してハズしている奴に、そもそも天才はいないよ。それって、単なる秀才か、天邪鬼。本当の天才が現れるのを、クビを長くして待っていれば良いんだよ。ウチらは。」

「ウチらって何なの?」

「橋渡し役の番人でしょ?とりあえず、オヤジの天才は二人ほどみたから、天才ってどんな奴か、知っているし。」

「あれは天才と言うより、天災だしねぇ。もとい、完全に人災だな。あとは、真の若き天才、ってやつを見たいねぇ。冥土の土産に。」

「教育の弊害で、若い世代の芽が摘まれまくっていて、パターン認識しかできなくなっているからね。彼等は自分が実はパターンでしかものを考えていないことに、気がつかなきゃならないし、それを超えなきゃならないという大きなハードルはある。しかも、国語があまりにも軽視されすぎて、自分の考えや感情を、きちんと言語化できるほど学んでいないからなぁ。」

「あれ、感性の問題じゃなかったっけ?」

「感性にも、筋道と論理はあるよ。デジタル思考でも、世界を組み立てるには、体系が必要だろ。つまり、その人間の好き嫌いに流れる、一貫したそいつの考えって奴に、背骨があるか…つまり、人間としての生き様を表現している感性かどうか、だな。あと、ものの程度を正確に表現できない。大きい、小さい、悲しい、嬉しい…そんなのは、分かりきった事であって。申し訳無いんだけど、言葉がデジタルみたいに簡単過ぎて、みんな、実はどっこいどっこいの内容の事しか歌詞にできない。わかりやすく、ってのはいいんだけど、わかったけど、だからどうなの、とたまにツッコミたくなるし、シンプルな表現だけど、実は深いとか、ああ、本当にそうだよなって、改めて思いなおすほどの内容や感動が無い。」

「難しいねぇ。」

「難しいさ。だから、手応えがあるのさ。それに、人間は、決して完成される事の無い不完全な生き物だからね。死んだって完成なんかされない。命としては完結はするけど、死んだから、全てがチャラになるわけでもない。報われも救われもしない。だけど、それでも、人は何かにすがり、完璧というものに惹かれ、憧れるんだ。報われない夢でも、それを信じたいんだ。それは、痛みを伴うほど哀しい、けど、美しい。」

「無心に何かを追い求めている。その影に打算のないピュアな心があるか、無いか、それを看抜けないほど、人は愚かじゃない…って信じたいよね。人の本性なんて、いまさら、教えてもらう事なんてないほど、分かりきっているしね。それでも、光に近づこうとしているか、どうか、それが、その人間の真の強さであるはずだし。」

「音楽が好き、という言葉に嘘の多い奴が多いよ。楽して金儲けたいって、はっきり言えばいいのに。そしたら、詐欺師も真っ青になるぐらいの完璧な嘘のつき方ぐらい、教えてやるよね。しかも、わざわざ、苦労して音楽なんか作る必要も無いよね。言葉だけだからさぁ。だいたい、そんな程度の嘘で人が騙せると思ったら、大間違いだよ。自分すら騙せてないじゃん。」

「プラス、人に尊敬されて、あがめたてまつられたいんだよ。だから、多少の苦労ぐらいしてるんじゃない。」

「…ああ、そういう奴ね。某新興宗教の教祖を、または北朝鮮の独裁者を第一印象で見たときの素直な気持ちを聞いてみな。そいつが、あれに嫌悪感を感じたと一言でも口にしたら、そいつ、自分が分かっていないよね。エラ座に立って崇め奉られて、金持ちになりたいんだという欲求では、まったく同じのドッコイドッコイなのにね。」

「まっこと、きついねぇ・・・。」