…はい。

 

なんつーかこう、『殻都市の夢』の完全版が発売されるらしい。

 

まずこの『殻都市の夢』についてなのだけれど、このサイトでこの文章を読んでいる人の中で、『殻都市の夢』を知らない人はいない…なんてことはなく、この作品を知らない人はそれなりに居るだろうと思う。

 

最近、『なるたる』がマガジンポケットに掲載されて、その結果として『なるたる』を読んで「あ?」と思って「なるたる 考察」とかで検索したような人が結構多いらしくて、特に僕の方では何もしていないのだけれど、今になってこのサイトに訪れている人がそれなりに居る様子があったりなかったりしている。

 

そのような場合だと『殻都市の夢』をまず知らないだろうから、その話からしていくことにする。

 

とはいってもそんなに難しい話もなくて、『なるたる』の連載の後に鬼頭先生は『ぼくらの』を連載していて、その時期に『マンガ・エロティクスF』という雑誌に短編を寄稿した結果、何故かそれが連載扱いになって、しばらくこの隔月の雑誌に『殻都市の夢』が連載されて、それが単行本全一巻として発売されていて、その完全版が今年の6月に発売されるという話らしい。

 

…。

 

今までの『殻都市の夢』は不完全だった…?

 

ってなことも思ってしまうけれども、まぁこのことについては商業的な問題だろうと個人的に思う。

 

どういうことかと言うと、鬼頭先生の連載作品はここ数年で新装版や完全版としての再販が結構されていて、『ぼくらの』より前の作品の場合、『辰柰1905〜トミコローツ戰記』と『終わりと始まりのマイルス』、『殻都市の夢』以外が全てそのような形で出版されている。

 

だから、『殻都市の夢』もそういった形で再販しようという話が持ち上がって、ただ、特に話題性のない『殻都市の夢』を再販するに際して、新装版と銘打ってもあまり注目度も高くないだろうし、ここは描き下ろしを新たに収録することによって、完全版という名前にして、新作描き下ろしという付加価値を付けて売りに出そうという判断があったのだろうと僕は思う。

 

『マンガ・エロティクスF』は太田出版の雑誌なのだけれど、この『完全版 殻都市の夢』は小学館から出版されるらしくて、数年前にあった『完全版 ぼくらの』も小学館で、まぁ諸々の企画が同じ感じで進められて、『完全版 ぼくらの』のやり方に倣って『完全版 殻都市の夢』があるという部分もあるだろうと思う。

 

『ぼくらの』の完全版の方にも新作の描き下ろしが付随していて、『殻都市の夢』にも同じように描き下ろしがあって、結局その辺りも、今回の企画も『ぼくらの』と同じ方向性で行きましょうという編集の一声や商業としての思惑があったのだろうと思う所もある。

 

鬼頭先生はその『殻都市の夢』の描き下ろし漫画については仄めかしをしていて、Xでその描き下ろし漫画の一部の下描きを公開していたりする。

 

(同上)

 

これが匂わせってやつなんですかね…?

 

僕はこれの背景を初めて見た時、実際、『殻都市の夢』みたいだなとは思っていて、ただ鬼頭先生自身が次の連載についての言及をしていて、このイラストについてはそっちの背景なのだろうと脳内で処理をしていた。

 

次の作品の背景に『殻都市の夢』みたいなサイバーパンク?な建物が出てくる場面があるのかなとなんとなしに思っていて、けれども、蓋を開けてみたらそのまんまストレートに『殻都市の夢』の建造物だったというのが今回の結末になる。

 

僕が言っている次の連載というのはこの投稿で言及されている話ですね。

 

 

 

この次の企画の背景として先の『殻都市の夢』みたいな背景のシーンがあるのかなと漠然と考えていたら、そんなことはなくて、ストレートに『殻都市の夢』だったという話です。

 

この鬼頭先生が語るところの『迷宮代理店』について、担当編集者の人と打ち合わせをしている様子がある。

 

 

このような言及があるのだから、この『迷宮代理人』の話がお流れにならない限り、次の連載はこのタイトルで、先に引用したおじさんと風船みたいなのが出てくる作品になるらしい。

 

まぁその投稿からだいぶ経っているし、色々時間も経てば変わるところがあるだろうので、タイトルとか細かい設定とかは連載時には変わってくるのかもしれない。

 

『殻都市の夢』に話を戻すと、鬼頭先生は何らかこの作品の描き下ろしをするらしくて、その内容については僕が何かを知っているということはない。

 

ただ、作品の構成上、付け足すなら"愛の物語"が一つ追加されるか、あのメインの二人のエピソードが描かれるか、愛を語る渉猟子の女性の愛の物語が語られるかのどれかにはなるのではないかと思う。

 

もっとも、そんなものはただの推量で、もっと違う形であるという可能性は普通に想定はしているけれども。

 

この『殻都市の夢』は無秩序に上に積み重ねられる街で全てが重ねられ埋もれていく中で、愛の物語は決して埋もれないというような話になっていて、聞いた物語を全て暗唱できる渉猟子という特殊な能力を持った女性が、この『殻都市の夢』の中で描かれた愛の物語を紡いでいくという構成になっている。

 

その中で、愛の物語の目撃者となった主人公と思しき二人の男女のうちの一人の女性と、語り部になった少女についての愛の物語が描かれていないから、描かれるならそこかな?と思う所はあって、ただそのようなことは根拠のない推論で、実際にどのような物語が追加で描かれるかは定かではない。

 

ちなみに、その渉猟子という、聞いた物語を全て暗記できる存在についてなのだけれど、どうも元は小説か映画なのかもしれないという話がある。

 

鬼頭先生はデビュー作?として『ヴァンデミエールの翼』という作品を描いていて、その材料に、レイ・ブラッドベリという小説家の『何かが道をやってくる』という作品の一部を用いているらしい。

 

僕は読んでないし、映画の方も見ていないから確かな事は言えないけれども、この小説の登場人物の名前がそのまま、『ヴァンデミエールの翼』の登場人物の名前に採用されていると僕は聞いている。

 

まぁそういう話を抜きにしても、鬼頭先生自身がインタビューで『ヴァンデミエールの翼』の材料にこの作品を使っていると普通に言っている。

 

「Q.「ヴァンデミエール」ができた経緯      

・お題が「アンドロイド」の創作アンソロジー同人誌を作ると友人が言い出し、その際にお前も描けと言われて考えたのが「ヴァンデミエール」。

言い出しっぺの友人は腰が重く自分は描かなかったのでアフタヌーンの投稿用に回した。

 「だから、その本が出来てたら今の自分はなかったっていう話ですね(笑)。怠慢のおかげで助けられたっていう人生、よく分かりませんけどね。」

・ヴァンデミエールはその時に他にも色んな話を考えたうちの一つ。

 ベースはブラッドベリの「何かが道をやってくる」(町に奇術団がやってきて、町の人たちの時間を切り取って行っちゃうというような話) と、昔あった「サントリーロイヤル」かなんかのCFが強烈に残っていて、その二つを引っ張ってきた。

 今まで他からネタを引っ張ってきて物語を構成するのはやった事がなかった。同人誌だからいいだろうと思った。

 この一本は自分としては珍しい作り方だった。

(http://sasasa.s206.xrea.com/narutaru/interview.html)」

 

こういう風に鬼頭先生は語っているのだから、鬼頭先生はブラッドベリの作品に間違いなく触れている。

 

そのブラッドベリの作品の中で、『殻都市の夢』の渉猟子のような存在が描かれているものがあるらしい。

 
ブラッドベリの作品の中に『華氏451』というそれがあって、この作品は本が全て禁止されたディストピアが舞台の小説で、それが故に本は存在していなくて、けれども、その禁じられた本の内容を暗唱して語り継いでいる人々が登場していると僕は聞いている。

この『華氏451』では本を持つということ自体が禁止されていて、本を持っているだけで逮捕されるという設定になっている。

 

『殻都市の夢』に出てくる少女は禁じられた本の内容を暗唱していて、『華氏451』についても禁じられた本を暗唱していて、そこまで類似していて、且つ、鬼頭先生はブラッドベリの他の作品を材料にして『ヴァンデミエールの翼』を描いているのだから、『殻都市の夢』の渉猟子に関しても、ブラッドベリの『華氏451』から来ているという可能性がある。
 
まぁ…本を何冊も暗唱していて、その事は一部の人にしか出来なくて、その事によって物語が失われないように紡いでいて、そしてその知識によって生命の危機に瀕しているという時点で、元は『華氏451』なのだろうとは思うのだけれど。
 
(鬼頭莫宏『殻都市の夢』 pp.160-162)
 

そうと言えども、僕は『華氏451』を読んだことも見たこともないので、詳しいことは分からない。

 

実際の所、同じブラッドベリの『何かが道をやってくる』についてもそうなのだけれど、『華氏451』に関しても、これらの作品は原作の小説と映画版とがあって、鬼頭先生が小説と映画版のどちらの作品に触れたのかとかもちょっと良く分からない。

 

 

 

その辺りは小説と映画を実際に確かめてみればもしかしたら分かったりするのかもとは思う反面、僕の方にそれを確かめようという気持ちが存在していない。

 

…こういう漫画の解説などの記事を書いていて、作業的に一番辛いときがどんな時かと言えば、それは一つの記事を作るのに6時間とか7時間とか、点検を含めて9時間以上とかの地道な作業を強いられる場面ではなくて、その漫画の解説に必要不可欠だからという理由で、興味のない本や作品を検証する時間で、耐えがたい苦痛がそこにある。

 

漫画の解説に必要だからとアリストテレスの『霊魂論』を読んだ時の苦痛とか、今思い出しただけで、うめき声が出そうな思いが込み上げてくる。

 

古代インドの日本語で書かれてても何言ってるか分からない『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』を読んだ時よりふっつーに苦痛が大きかったんだよなぁ…。

 

当然、ブラッドベリの『何かが道をやってくる』や『華氏451』についても僕には微塵の興味も秋毫ほどの関心も無いのだから、その検証作業は耐えがたい苦痛で、しかもそれをしたところで僕に何か得があるかと言えば一切ない。

 

それをしたいという気持ちが僕にはないし、その事をして金になるわけでもないわけで、それをしても賞賛が得られるわけでもなく、そもそも賞賛なんて求めていない。

 

だから当然、検証なんてしないのだけれど、この記事で書いた内容については、この地球上で鬼頭先生と担当編集の人がもしかしたら知っている可能性がある程度の話であって、僕がこの記事を作らない限り、おそらくは誰も知らないことであっただろうから、僕はそれを一つの記事にまとめただけ…というか、『完全版 殻都市の夢』が出版されるから、そのアナウンスの記事を一つ作るとして、そういえば、『殻都市の夢』と『華氏451』の関係性の話については何処にも書いたことも、誰にも話したこともないということを思い出して、その事をついでに書いた以上の話はない。

 

『完全版 殻都市の夢』が発売されなければ僕が死ぬまでその情報は何処にも出ずに、結局誰にも見出されずに埋もれて行ったはずだということを考えると、そのこと自体が『殻都市の夢』を思い起こさせる出来事になって、なかなか抒情的ではある。

 

けれども、『完全版 殻都市の夢』が発売されることになって、僕が数年前に気付いていた先の情報をその事がきっかけに思い出したことによって、その事は埋もれずに、アメブロが死ぬまでネット上に残り続けることになったという話になる。

 

この記事自体は鬼頭先生とかがX上で『完全版 殻都市の夢』の発売を告知したその日に書いていて、準備期間0日だからそういう話です。

 

…僕はX上で画像投稿用アカウントでも本アカでも、鬼頭先生も鬼頭先生の担当編集者の人も、鬼頭先生作品関係のアカウントも一切フォローしてないから知らなかったのだけれど、『完全版 殻都市の夢』の出版が告知される前に、このような投稿がされていたらしい。

 

僕は今日、この投稿の存在のことを知ったから、この見切れたイラストが何なのかを思案する"いとま"とかはなかったわけだけれど、右のスカートは普通に見れば『殻都市の夢』の1話に出てくる少女だと分かるようなデザインになる。

 

(鬼頭莫宏『殻都市の夢』p.3)

 

(同上『殻都市の夢』表紙)

 

(https://twitter.com/boku_koemusi/status/1776200983321911459)

 

今日このイラストを見た瞬間にあの少女だとすぐに分かったわけだから、ありとあらゆる情報が秘匿された状態でこのイラストを見た時に、もしかしたら僕はこれが『殻都市の夢』のイラストだと分かったかもしれないなと思う一方で、そんなことは全て過ぎた後でのことで、全ての結果が明らかになった今になってあれこれ言っても、所詮は事後孔明(参考)に過ぎない話でしかないよなと思う。

 

最後に、鬼頭先生は『完全版 殻都市の夢』の出版に際して描き下ろし漫画を描いていたことに関連して、このような投稿をしていたりもする。

 

鬼頭先生はこのように、別作品についての何らかの作業をしているらしい。

 

語り口的にかつて描いた作品について、『殻都市の夢』と同じように何らか新たな描き下ろし漫画を構想しているのだろうという推論がある。

 

この条件に当てはまる鬼頭先生の作品は『辰柰1905〜トミコローツ戰記』と『終わりと始まりのマイルス』のどちらかくらいしかないのではないかと思う。

 

『なにかも違ってますか』も『のりりん』も打ち切り…いや、『のりりんは』打ち切りって公言してる一方で「なにもち」は実際打ち切りかどうかは知らないんだけど、そのような打ち切り作品の完全版はあるのか微妙で、それより後の作品は新装版や完全版にはまだ早いと思う。

 

一番可能性が高そうなのは雑誌が休刊したために今のところ全1巻で、単行本未収録分がある『終わりと始まりのマイルス』の話なのかな?と思う一方で、この作品の場合、鬼頭先生が語るようにネームに難航するとも個人的に思えなくて、一番ネームに難航しそうなのは「トミコローツ戦記」で、そう言った意味では「トミコローツ戦記」の完全版かな?とも思ったりもする。

 

 

「トミコローツ戦記」は入手がそれなりに難しいような作品で、今現在Amazonには中古で3冊しか存在しないらしい。

 

ただ、商業的な話だと一番売れそうなのは『のりりん』にはなって、その三つが可能性が高そうだとは思うとはいえ、予想が外れたらただ恥をかくだけなので、そのどれであるとも予想は立てないでおく。

 

そんな感じの『完全版 殻都市の夢』について。

 

この記事を書いたところで実際売り上げが上がるのかとかは知らないけれど、1人でも買えば、書かないよりは良かったという結果にはなるだろうと思う。

 

そんな感じです。

 

では。

 

 

 

 

 

…。

 

以上です。

 

いやまぁ、鬼頭先生がそうするっつーだけの話で、読めばわかるだろ、バカじゃねーんだから(YNNK)って感じなのだけれど、僕の方で今回に関しては少しだけ補足の情報があったりなかったりする。

 

まず、話の流れの問題で、コミティアに出す『なるたる』の同人誌に関しての話からすると、鬼頭先生が一部のページをTwitter上で公開している。

 

 

見た感じ…『なるたる』の旧版の単行本について来た楽屋ご開帳のようなものである様子がある。

 

(鬼頭莫宏『なるたる』5巻p.219)

 

まぁこの文章を読んでいる人にこの楽屋ご開帳の内容を知らない人は居ないだろうので、この情報を伝達した時点で、鬼頭先生の『なるたる』の同人誌の話について、これを読んでいる人と僕とで持っている情報は等しくなってしまって、これ以上僕の方から言えることは何もない。

 

そういった内容が記載された同人誌を鬼頭先生は2023年9月3日の日曜日に東京ビッグサイトで開催されるコミティア145で売りに出すし、同じ同人誌を後にBOOTHでも売るというだけの話です。

 

前回の『なるたる』の単行本未収録表紙を集めた同人誌に関しては、BOOTHで売りに出したに際して、一時的に品切れになっていたりしたけれども、今回はそのようなことはそんなに起きないと思う。

 

まぁ前回でどれくらい注文があるかなんとなく把握できただろうので、その経験則がある程度、次の販売に反映されるだろうという話です。

 

ただ、その前に鬼頭先生は『ヴァンデミエールのぐぜり』をBOOTHで売っているわけで、その経験があるというのに、前回は品切れになっている。

 

それについては『なるたる』の未収録表紙の同人誌に予想外に注文があって、それは想定外だったのだろうと僕は思う。

 

色々鬼頭先生関連の何かを僕が書いていて、感触として確かにある部分がある話にはなるけれど、みんな…『ヴァンデミエールの翼』そんなに読んでないみたいなんだよなぁ…。

 

Twitterの画像投稿用アカウントで『なるたる』に関連する内容を呟いた場合と、ヴァンデに関連するそれを呟いた場合だと、明らかにヴァンデの時の反応が少ないし、ヴァンデ関連の記事はアクセス数が少ない。

 

だから、ヴァンデミエールという単語を表題にした『ヴァンデミエールのぐぜり』に関しては、そもそもそんなにヴァンデをみんな読んでないから食いつきが弱くて、その結果としてそれなりの売り上げで、それを前提にして『なるたる』の同人誌も刷ったけれども、経験則から想定される予想に反して、『なるたる』の場合の注文が多かったという出来事があったのだろうという推論があって、その事はやはり、『なるたる』、『ぼくらの』は読んでいても、『ヴァンミエールの翼』はそんなに読んでいないからという理由になると思う。

 

結局、鬼頭先生の漫画を読む第一の動機は鬱漫画という評判で、『ヴァンデミエールの翼』は鬱漫画ではないから、そこに辿り着くという場合が、『なるたる』、『ぼくらの』に比べて少ないのだろうと僕は思う。

 

実際の売り上げとかは知らんし、僕の個人的な推論でしかないけれども。

 

ともかく、僕の方もその同人誌は読んでいないので、それ以上言及できる内容もない。

 

なので、『なるたる』グッズの話に移ることにする。

 

つってもまぁ、冒頭の引用ツイート読めばわかるだろ、バカじゃねーんだから(YNNK)って話であって、それだけで十分なのではないかと思う。

 

ちなみに、Tシャツが一枚売れるごとに鬼頭先生には大体500円くらいの利益があるようで、金銭的な儲けを目指しているというよりも、完全にファンに対するサービスとしてそのようなことをしている様子がある。

 

鬼頭先生は自分のグッズを出しているところで、『変ゼミ』とかのTAGRO先生のグッズを購入していて、それに際してTAGRO先生からのリプライを受けている。

 

 

これを読む限り、TAGRO先生は3641円のTシャツが一枚売れると100円の利益を受け取れるわけであって、鬼頭先生の売るTシャツは4000円くらいなのだから、まぁ500円の利益を受け取れるという見込みであの値段設定を行ったという様子がある。

 

何枚売れるのかとかは分からないえ、慈善事業に近い内容ではあると個人的に思う。

 

そして、こういうグッズは買える時に買わないと、もう手に入れられなくなるものになって、買いたいという人は今このタイミングで買うのが一番良いと思う。

 

数年前に『なるたる』の新装版が出たわけだけれども、その新装版も既に品薄のようで、最終巻は送料込みで5000円以上するし、あのメロン箱入りの全巻だと3万円近くする。

 

 

 

 

…。

 

アメブロの仕様で現在の価格が表示されたりされなかったりするのだけれど、今は表示されないみたいっすね…。

 

この文章書いている今現在は先に言及した値段になっています。

 

結局、欲しいというのに今買わないとなると、いつ販売終了するか分からないのだから、販売終了した後に買おうとするなら高い金を出す必要が出てくるし、その高い金は転売をした人に還元されて、鬼頭先生には届かない。

 

だから、買えるなら今買った方が良いと思うという話になって、これ読んでほしいと思った人は、とっととSZURIのサイト(参考)行って買うというのがベターベストなのだろうと僕は思う。

 

ちなみに、当然だけれど、この記事を書くということについて、僕に利益は一切ありません。

 

アメブロ上にSZRIのリンク作れないし、作れたところで端金にしかならないから仕方ないね。

 

あと、鬼頭先生はTシャツ以外にスマホケースも売るみたいっすよ?

 

 

…スマホケース良さそうっすよね、Tシャツと違って寿命が長いだろうから普段使いできるだろうし。

 

Tシャツなんて日常使いしたら何年も着れないんだから。

 

そういった商品について、僕が買うかについてはまぁ、これを読んでいる人の中には、僕がどうするのかを知っている人もいると思う。

 

それと一応、Tシャツの方のデザインに関しては、少しだけ言及することがある。

 

(https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryinsertinput.doより)

 

この上の方の円の意匠は『なるたる』で実際にシイナが着ていたTシャツに描かれている。

 

(『なるたる』11巻p.176)

 

まぁこのデザイン自体は割と出てくるから、鬼頭先生のお気に入りという部分もあったりなかったりするのだろうと朧気に思う。

 

…。

 

この画像を引用するに際して、シイナがあのTシャツを着ていたのは「二人の長い旅の前の、二人の短い旅の前の」の回で、あのデザインが良く見えるのは最終ページのはずで、あの回は11巻だから、11巻のあの辺りだろうと考えて該当のページを探して、普通にあったからスムーズに作業を行ったわけだけれども、もうここまで来ると病気だろ…と素で思う。

 

『なるたる』の解説書いたの何年前だと思ってんだよ、なんでそんなに読む必要があったんだよ。

 

しかもその作業をやって得られたものは皆無で、飛んできたクソみたいなコメントで歯噛みした記憶の方が強く残っていて、良かったことなんて殆どなくて、思い出は大体が〇〇で塗り固められているというのに…。

 

それはともかく、このウロボロスに関しては、それぞれのアルファベットの子音が四隅にあって、母音が内側にあって、左上からN+aで"な"、次が右に行ってR+uで"る"、次の段に行ってT+aで"た"、最後がR+uで"る"という感じで"なるたる"で、母音を真ん中で共有しているという意匠らしい。

 

(同上)

 

一瞬、その事が分からなくて、「auってなんじゃ」って素で思って、元素記号かと思って、『なるたる』に金(元素記号au)の要素なんてあったっけと脳漿を絞ることになったけれども、実際の所は先に言及したように母音らしい。

 

加えて、その意匠の下に「Orbis terrae Cadver est. Puella Gemma est.」というも謎のアルファベットの羅列がある。

 

(同上)

 

これに関しては、どうやら「骸たる星、珠たる少女」という意味らしくて(グーグル翻訳)、『なるたる』の表題をラテン語にしたものらしい。

 

この「Orbis terrae Cadver est. Puella Gemma est.」に関しては、僕は見た瞬間にラテン語って分かったから、それならGoogleでそのまま入力すれば意味が分かると思って普通にそのまま入れたら、死体だの宝石だの少女だのと出てきたから、『なるたる』のラテン語訳だということが分かった。

 

一応、「骸なる星 珠たる子」と「骸たる星 珠たる少女」で違いがあるけれど、推測するにこれは、鬼頭先生的にも本来的に「珠たる子」の"子"は少女というニュアンスを選びたかった一方で、「珠たる少女」では語呂が悪くなってしまうが故に"子"という表現を選んで、そのような語呂を考えなくてもいいラテン語表記の場合は、本来的に選びたかった"少女"という表現を使うことにしたという感じになると思う。

 

そうでなければラテン語でも子供を意味する語を選べば良いだけの話で、そうだというのに少女という意味の「Puella」を使っているところを見るとそうなのだろうという推論が出来るし、そうと判断する以外で分かりやすくこの状況を説明する言葉を僕は持っていない。

 

じゃあ何故ラテン語なのかについては…まぁなんつーか、格好いいから…なんじゃないですかね…。

 

一応の意味でラテン語で少女を意味する「Puella」で今この場で検索した時に、何故か『魔法少女まどか☆マギカ』のBGMである「Sis puella magica!」という曲が検出されていて、あの作品にラテン語という必然性はないわけだし、それなのにラテン語で表題があるのは、その方が"感じ"が出るからという話だろうし。

 

まぁそういう話だけではなくて、『なるたる』とか鬼頭先生作品については、根底にあるのが西洋的伝統に基づく神話学だからラテン語が出てくるのだろうという推論はあるけれど。

 

実際、先のウロボロスは『ぼくらの』でも確認出来て、それに際してラテン語による五大元素の記述も見える。

 

(『ぼくらの』6巻p.182)

 

結局、このウロボロスは鬼頭先生が作ったTシャツに描かれているそれと同一のものなのであって、そのウロボロスには、水、火、風、土という四つの元素、そして中心には五大元素を意味するラテン語が書かれている。

 

(同上)

 

こういう風に『ぼくらの』にはラテン語の単語が用いられていて、そこから分かるように、そもそも鬼頭先生の描く世界の構成要素はラテン語が関係していて、そのウロボロスの下にラテン語で「Orbis terrae Cadver est. Puella Gemma est.」と来るのは割と普通の光景になる。

 

ラテン語というのはヨーロッパ世界で使われた言語で、元は古代ローマ帝国の言語にはなるけれども、ローマが滅んだ後も学問はラテン語で行われていて、神学も錬金術も哲学も基本的にラテン語で行われている。

 

そのような研究の延長線上に神話学があって、鬼頭先生はそういう話を神話関係の本とか、さもなければ大学の一般教養の授業とかで知る機会があったのだろうと僕は随分前から考えている。

 

僕はその理解をより確かにするために、神話関係のユングの著作や、ユングの錬金術辞典をチラチラと読んだという経験もあるけれども、その中で、『なるたる』に通ずるような"何か"を見つけることに成功したりしなかったりしている。

 

その神話学について、どうやらこの学問はインド神話の要素を取り入れているようで、鬼頭先生の漫画には神話学経由だろう古代インドの要素があったりなかったりしている。

 

シイナは夢の中で世界の根本原因である地球と対話する場面が一巻にあるけれども、世界の根本原因と夢の中で出会う発想は古代インドに確かにあって、原始仏典の『パーヤーシ・スッタ』やいくらかのウパニシャッドの中で確認出来る。

 

神話学にそのようなインドの要素が存在するのは、神話学を作ったユングなどがインドの文化に関心があってそれを取り入れたからであるという様子が見て取れる。

 

ユングは、人生を四つの区分に分ける云々と著作で言及している様子があって、その記述に『ユング錬金術辞典』の中で僕は出会っている。

 

その人生を四つの区分に分けるという話は、元々インドの伝統であって、四住期と呼ばれている。(参考)

 

実際に古代インドのウパニシャッドの翻訳を読んでいて、この四住期についての言及に出会った気がするのだけれど、なんというウパニシャッドかは思い出すことは出来なかった。

 

だって手元のテキスト、翻訳がウンチなのと戦前に翻訳された文語訳で旧字体のやつしかないし…。

 

少なくとも四住期の中の三つ目の林住期に関しては、『ジャーバーラ・ウパニシャッド』に言及があるのを原典訳の文章で確かめている。

 

そういう風に神話学にはインドの要素が存在している場合があって、鬼頭先生の作品にも巡り巡ってインド的な要素が見え隠れする場合がある。

 

鬼頭先生の描いた『ヴァンデミエールの翼』には、成人になるための出産についての言及がある。

(鬼頭莫宏『ヴァンデミエールの翼』1巻pp.162-163)

 

こういう風に、人間はまず存在するために生まれて、そしてまた成人するために生まれるという発想が確認出来て、その事についてはどうやら、大元は古代インドの文化にあるらしい。

 

以下に引用するのは古代インドの『マヌ法典』の、「ドヴィジャ」という語に関する注釈で、途中から何言ってるか分からないだろうので、下線がある所まで読めばOKです。

 

一・三三 原語は「ドヴィジャのなかの最も優れた者」<dvijottama〉。「ドヴィジャ」の意は「二度生まれる者」。両親から生まれる一度目の誕生に加えて、入門式によって二度目の誕生を果たす人間を意味する。入門式は上位三身分、ブラーフマナ、クシャトリヤおよびヴァイシャにのみ認められたことから、この語は上位三身分の人間を指すと考えてよい。しかしながら、実際には、ブラーフマナに特定されることがほとんどである。本書においては、上位三身分を指していると思われるときはドヴィジャの語を使用し、ブラーフマナに特定されるときはブラーフマナと置き換えている。それゆえに「ドヴィジャのなかの最も優れた者たち」という場合も、ドヴィジャがブラーフマナを意味するときはブラーフマナのなかの最も優れた者を指す。(渡瀬信之訳 『サンスクリット原典全訳 マヌ法典』 中央公論社 1991年 p.426 下線部引用者 一部注釈は省略)」

 

 

…昔の僕が読んでも意味が分からなかった文章だろうけれども、今の僕は普通に意味分かるから知識がついてきたんだな、って。

 

ここでいう所の入門式というのは、バラモンという司祭階級として生きるために、今バラモンとして祭祀を行っている人物に弟子入りしたりする場合などの話をしていて、その入門式を誕生と捉えるという発想が存在するとこの注釈から分かる。

 

年齢的に青年期になるとバラモンになるための勉強を始めるらしくて、まぁ元服とかに近い年齢で行われる儀礼で、これは成人式と捉えて良いものだと思う。

 

インドではその成人式を誕生と捉えている一方で、ヴァンデでも成人のための誕生の話があって、このことは無関係ではないと思う。

 

けれども、鬼頭先生は仏教には詳しくないだろうという推論が僕にはあって、インドについての潤沢な知識、「ドヴィジャ」という二度目の誕生を作品に落とし込めるほどのインドに関する知見を持っていないだろうと僕は判断している。

 

インドの文化に詳しかったらそうはならないだろ…と言うような描写を鬼頭先生はインドに関係する話で行っていて、その事からインドについて鬼頭先生は詳しくないだろうと僕は考えている。

 

というか、二度目の誕生がインドの文化だと知っていたら、あの西洋的なイメージの『ヴァンデミエールの翼』にその発想を登場させないのであって、鬼頭先生はアレをインドの文化だと理解していないという話で良いと思う。

 

それなのにヴァンデを含めた鬼頭先生の作品にインド的な要素がある所を見ると、鬼頭先生がその情報を得た媒体は、インドに直接アクセスするような何かではなくて、おそらくは神話学がインドの文化を吸収している部分があって、神話学のテキストの中に元を正せばインドに至るような発想があって、鬼頭先生はそういうものに触れたという経験があって、鬼頭先生の作品にはそのような要素があるのではないかと僕は思う。

 

その神話学というものはラテン語のテキストを重要視するような学問であるという側面があるから、そういう経緯からあのTシャツにはラテン語が書かれているのだろうというのがこの話の総括になる。

 

ただまぁ一方で、ラテン語でデザインした方がカッコいいのはそうなのであって、そういう意味でラテン語がデザインの一部に採用されている部分は普通にあると思うけれども。

 

この記事自体はまぁ、『マヌ法典』読んでて気付いた古代インドの文化とヴァンデの描写の相似について、『なるたる』のTシャツにラテン語表記を見つけて、あれは神話学由来なんだろうなと思ったということがあって、二度目の誕生については書く場所が何処にもなかったから、それを作るために記事を作ったというのが一番大きい。

 

追記でヴァンデの解説に書いても良かったのだけれど、この記事で言及した通り、『ヴァンデミエールの翼』はみんな読んでないらしくて、殆どアクセスはないから、誰も読まない文章を追記しても虚しいという事情から、追記で書き足すという発想はなかった。

 

という、鬼頭先生の同人グッズの僕に一かけらの利益もない販促。

 

自分に一切の利益もないし、後半の内容はこの地球上で誰も得をしないこんな記事を無償で作ってて虚しくないの?って話だけれど、虚しいに決まってるんだよなぁ…。

 

以前、僕が書いたものを読んで、

「ネット上の情報は収益と離れてるほど有益なのはまじやんな」

って言っている人見てマジ切れしてた。

 

僕が書いた何かが優れているとは思わないけれど、ほんの僅かにでも有益であるというのなら、その事はその作業が無償であるからではなくて、僕が努力して情報を集めて整理して、その内容を分かりやすくあるよう心を砕いて構成しているからであって、何度も解説する漫画を読み直して、必要ならば図書館に行って調べて、必要ならば金払って資料を取り寄せて、必要ならば舞台になった可能性のある場所に足を延ばして書いているからであって、無償だからじゃねぇんだよブチ頃すぞって本気で思った。

 

金貰っても同じクオリティかそれ以上で書くわ。

 

手前の嫌儲思想のために存在しない事実を導き出してるんじゃあないよって。

 

…まぁこの記事上にあるアフィリエイトは、買う人が存在するとは思えないようなそれだから、この記事は普通に全面的に無償だし、アメブロの有名人以外への還元率はアレだから、普通にこの記事はただ働きなのだけれども。

 

そんな感じです。

 

では。

 

・追記

Q.「読めばわかるだろ、バカじゃねーんだから(YNNK)」

YNNK…?

A.

 

…あ、別に『ヤニねこ』をお勧めしているとかじゃなくて、乱暴な口調だけど元ネタあるよってだけの話です。

 

ていうか『ヤニねこ』にお勧めできる要素なんて一つもないだろ。

鬼頭先生が今後出す予定にある『なるたる』の同人誌についての情報をTwitter上で公開した。

 

 

 

僕としてはこれ以上言うことはないというか、既にこのTwitterの文章を引用した時点で、これを読んでいる人と僕のこのことについての知識量は全く同じになってしまったので、これ以上僕は何も言うことが出来ない。

 

ちなみに、『なるたる』の同人誌は以下の予定で発売されるらしい。

 

 

コミティア142は2022年11月27日に東京ビッグサイトで開催のようで、公式サイトにそうと書いてある。(参考)

 

だからその日に東京のビッグサイトに行けば普通に鬼頭先生に会えるのだと思う。

 

『なるたる』の同人誌第二弾に関しては、コミティア144か145で出す予定という話だけれども、コミティアの公式サイトだといつ開催かは未定であるらしい。

 

この事柄について、僕が知っていることは以上になる。

 

僕は国立国会図書館でアフタヌーンに掲載された『なるたる』を、ページの端に書かれた作者コメントを含め全部読んだとはいえ、内容を覚えているかと言えば全然そんなことはない。

 

だから普通に第一弾の同人誌は通販で買うだろうし、例えあの日に読んだ内容や見た内容を覚えていたとしても、普通に買ってはいただろうとは思う所はある。

 

アフタヌーン掲載時には作者コメントが『なるたる』のページの端に載っていて、僕はそれを国立国会図書館で確認しているけれども、そのコメントが今回の同人誌に掲載されるかは定かではないし、もし、今回と次回の『なるたる』の同人誌に掲載されなかった場合、ほぼ永遠にその情報は国立国会図書館だけに眠ることになるのだろうなと僕は思う。

 

『覚悟のススメ』の新装版には、作者の雑誌掲載時のコメントが全て掲載されていて、山口先生のあの気狂いじみたコメントを読むことが出来てよかった部分があった記憶がある。

 

 

ただ、アフタヌーンの場合は作者コメントの書いてある場所が雑誌に掲載されたその漫画のページの何処かの柱であって、書いてあるページは毎回違うから、それを見つけるのは非常に大変で、もし同人誌にアフタヌーンに掲載された鬼頭先生のコメントを掲載するような場合、アフタヌーンに載った『なるたる』の全てのページを確認する以外に方法はなくて、実際にやった僕はあの作業がどれ程の苦行かは知っているので、それを拾い出すのはあまり現実的な話でもないということは分かっている。

 

鬼頭先生のコメントは全部ノートに書き写したのだけれど、間違って捨てちゃったんだよねぇ、引っ越しの時に。

 

ただ、僕はあの作業を国立国会図書館で一日でやったわけで、国立国会図書館は一度に10冊までしか借りれなくて、『なるたる』は68回アフタヌーンに掲載されたわけで、7回窓口に行って申請して、アフタヌーンを受け取って、受け取ったアフタヌーンを一時間かけてページめくって調べてを7セットやって、それを一日で終わらせたのだから、あの日の全てが苦行だっただけで、別に日を分けて数日でやれば楽な作業ではあるだろうとは思う。

 

作業としては最後に複写申請するつもりであった単行本未収録扉絵のページ数のメモとか、作者コメントの書き写しとか色々あったから辛かっただけではあるのだけれども。

 

申請してアフタヌーンを受け取ってという工程だし、複写のためにも窓口には行っているから、合計15回以上窓口の方には行っている。

 

ただ、おそらく『なるたる』の同人誌にはその辺りは掲載されないとは思う。

 

なんつーか、労力がね…。

 

別に『なるたる』本編に関する重要な情報が記されていたということはなくて、ただ鬼頭先生の近況報告があるだけで、バス釣りに行ったとか、自転車で沢山走ったとか、人形に関する展示会に行って感銘を受けたとか、そういうことしか書かれていなくて、あれを読んでも『なるたる』という物語についての理解が深まることはないというか、漫画雑誌に掲載される作者コメントって言うのはそういうものなのであって、『覚悟のススメ』みたいに作者のコメントを集める必然性がある作品ということもない。

 

『覚悟のススメ』の場合、あの漫画を作者が本気で描いていたと作者コメントを読めば分かるので、そういう意味では必要な要素だったと僕は思う。

 

『なるたる』の場合、そういう事情とかはないし、鬼頭先生が作者コメントを拾い集めて何か得とかあるわけでもないから、収録されるかされないかは不明だし、それを収録しようという発想が鬼頭先生にあるのかどうかも分からないし、労力の事を考えると…まぁ。

 

とはいえ、単行本未収録扉絵などに関しては、事実上、鬼頭先生が今準備している同人誌を買う以外の方法で得る方法なんてないのだから、鬼頭先生のファンだというような人は買った方が良いと僕は思う。

 

実際、わざわざコミティアに行く必要はおそらくなくて、鬼頭先生は通販で改めて売りに出すつもりだと公言しているし、同じようにコミティアでまず売って、その後に通販で販売した『ヴァンデミエールのぐぜり』に関しては、一時期は完売して売り切れ状態だったけれども、今は普通に販売を再開しているので、半年とか一年とか待てば、普通に今後買えるようになると思う。

 

そういう情報はやはり、鬼頭先生のTwitterで鬼頭先生が通達するだろうので、まぁやっぱり、アカウント作ってでもフォローした方が情報の利便性の問題で良いのではないかなと思う所がある。

 

知らんけど。(関西人的表現)

 

このサイトでその情報を記事にまとめるかどうかは完全に僕の気まぐれで、完全にTwitterで鬼頭先生が出した情報を網羅しているとかはないので、網羅したいようだったらやはり、Twitterのアカウントをフォローした方が良いと思う。

 

このサイトを更新して僕に得があるとかそういうの一切ないので…。

 

まぁ色々仕方ないね。

 

そんな感じです。

 

では。