鉄道好きのtherapie 氏が、たまに神話高千穂トロッコ鉄道の存続運動についてブログに書いている。つい先日も書いていた。(参照 )
詳しくは参照を見ていただくとして、今後とも存続を応援していくらしい。
まぁ彼らしい(^_^;)

宮地岳線の一部廃止に伴う存続運動を始めた時もそうだった。
新宮~津屋崎間の廃止が発表された時、オレは半ば諦めていたが、therapie 氏は諦めていなかった。彼の存続に対する熱き思いに打たれ、オレも存続に向けて全力を注いだ。

神話高千穂トロッコ鉄道の存続の経緯は知らないが、宮地岳線の一部廃止はなるべくしてなったと思う。もちろん、残せるものなら残してほしいと思ったし、存続運動の中で必要としている地元住民を始め高齢者や障害を持った方々の切なる思いもたくさん聞いた。宮崎県の東国原知事ではないが、「どげんかせんといかん!」と思った。しかし、廃止される区間の住民の多くは必要としなかった。その結果が廃止だ。

オレは、ケツ(廃止の日)が決まっている以上、先の必要としている人達のためにも、存続運動と並行して他の交通機関の議論も必要だと存続運動の中で訴えたが、力が及ばなかった。結果、オレは無責任にも途中で存続運動を放り投げた。この辺りの経緯は以前に書いた覚えがあるので割愛するが、その時、鉄道に限らず何かを残す活動や運動をする時、無くなった後のことや代替のことなど、様々な角度から検証すること、その際、反対の意見を十分に聞くこと、そして自己の意見だけを推し進めず、周りに気配りのできるリーダーシップを持ったトップが必要だと痛感した。存続運動で存続以外を考えるのは、おかしな話に思えるが、相手の気持ちを理解すればお互いが譲歩し合えるのではないだろうか?まぁそれが全てが上手く行くとは限らないが…

話を冒頭に戻す。
オレはtherapie 氏ほど優しくない。よって、素直に応援できない。
まぁ彼も何かをしようという気はなさそうなので、止めはしない。
ってか、彼の勝手だが(^^;

オレは常々、政治は全てにイコールだと言い続けている。
民間の会社が自社の物件を処分するのに、余程のことがない限り他人がとやかく言えないが、こと公共性の高い乗り物や建物に関しては、住民の関わりなくして先に進まないことがある。その住民の頼りになるのは行政であり議会(議員)だ。

何か支離滅裂な文章になってしまったが、オレが言いたいのは政治に無関心は高くつくということだ。