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写真は、バンタヤン島のサンタフェビーチからバンカーボートに乗って島巡りに出かける光景です。この船に乗って、近くのバージンアイランド島やヒランタガーン島、キナタルカン島さらに足を伸ばして遠くはマラパスクワ島まで行きます。

セブで宝物を探してみましたが、セブ島には宝物は見付かりませんでした。それで、私は、セブ島を出て宝島探しの冒険に出掛けます。

あなたも、ここからいっしょに船に乗って宝島探しの冒険に出掛けませんか?そこで私たちを待っているのは何でしょうか?果たして探している宝物が見付かるのでしょうか?胸が高鳴りワクワクして来ます。

あ まり小さ過ぎる島では、『島風』が無いし、『交通』が無いし、無人島には『共同社会』が有りません。しかし、そこには自然がいっぱいありましたが、水が無 い、電気が無い、ガスが無い、ガソリンが無い、車が無い、学校が無い、自治体が無い、警察が無い、インターネットが無いしテレビが有りません。

逆に大き過ぎる島では、『風』は有っても新鮮な空気が無い、『交通』が有っても穏やかで安らぐ道が無い、『地域社会』が有っても相互互恵で積み上がる交流が有りません。

このようにお話ししても、この冒険や宝島探しの話しにワクワクする人は、リピータの内のさらに一部の人か、常識外れの変わり者(私のような.....笑)の方に限られます。大多数の方には恐らく何の意味か分からないと思います。

大多数の日本人観光客は、「セブ島パックツアー」という商品を買ってからセブ島を訪れて、購入済みの観光ツアーに連れられて、お決まりの観光コースに出掛けて、何となく時間をつぶすのが「セブ島リゾート商品」だからです。

例えるならば、ディズニーランドに出掛けて、制作側が作為的に作って最初から結果が分かっている「ファンタジー」や「アドベンチャーツアー」を体験しているのと同じです。

「それは当たり前じゃないか.....怒」と言うのがほとんどの方のご意見だと思います。なぜなら、それが大衆消費社会の常識だからです。

人間は、当たり前の常識の中に居ることには疑問が生じなくて居心地が良いものですが、この世界に有る「体験や冒険」は、別の制作者が作った商品(なので本物でなくて幻想の冒険や宝島探し)を消費者が買って追体験するというのが常識なのです。

その意味では、この世界にはもう本物の冒険や宝島探しは無くなってしまったので、私にような非常識な変わり者でないと、敢えて冒険や宝島探しには出掛けようとはしないものです。その結果、新しいことを発見するのはいつも常識外れの変わり者と決まっているのです。

いつの時代でも本物に出逢える人は社会の一部に限られていました。そういう人たちは、かつては社会から孤立した存在でしたので、互いに出逢うことは無かったのですが、今では、SNSで繋がることが出来るようになりました。変わり者であることを喜ぼうではありませんか。