聖週間に入ったフィリピンでは、現在、各地の教会でイエスの受難物語やキリスト教の信仰を確認する宗教イベントが行なわれています。

セブのバンタヤン島のサンタフェ教会では、この宗教イベントとして、三年前からカトリック青年団によるキリスト教劇を上演していますが、今年の演劇のテーマは、現代フィリピン人の「悔い改めの物語」でしたが、それでは、現代のフィリピン人は、一体何を「懺悔」したのでしょうか?

どんな「懺悔の物語」が上演されるかによって、現代のフィリピン人の誰の身近にもあって、関心があって、起こり得る問題のありかを知ることができるでしょう。写真は、このキリスト教劇のワンシーンです。

今回の現在劇には、四人の罪深い女性と一人の神父が登場しました。四人の罪深い女性とは、一人は売春婦、二人目はジャパゆき、三人目は気違い女、四人目は夫に虐待された妻という設定です。この四人の罪深い女性の選定は、日本人にとっても大変興味あることです。

それは何故かと言うと、ここに「ジャパゆき」が登場するからです。このバンタヤン島にはそんなに「ジャパゆき」が居る訳でもありませんし、この町でただ一人の日本人居住者である私が「ジャパゆき」に関わっている訳でもありませんので、この劇に「ジャパゆき」が登場したということは、フィリピン社会にとっては、「ジャパゆき」という存在は、一般的な、罪深い女の典型として市民の常識になっているということです。

では「ジャパゆき」の「何が」フィリピン社会の常識で、「なぜ」罪深い女なのかということですが、まず、劇中の「ジャパゆき」には元夫との間に二人の子どもが居て、この家族を食べさせるために、日本に出稼ぎしてホステスをやって家族に仕送りして、日本で日本人のパトロン(とは言っていますがどうも結婚したようです)を得てフィリピンクラブのオーナーになりましたが、フィリピンでは二番目の恋人を作ってその恋人に仕送りしています。でもその恋人(男)は、実は彼女を愛していないで財産目的なのです。このジャパゆきが、神父に懺悔して悔い改めて、日本のクラブのオーナーを止めるようになったというのが結末です。

このような悔い改めの物語が、四人の女性の子供時代から演じられて、結局全員がイエスの信仰によって救われるというストーリーで語られるのです。