ちょうど今は、フィリピンでは全国どこでもホーリーウイーク(聖週間)の真っ最中です。

このセブ州バンタヤン島でも、島にある三つの教会の教区毎にそれぞれ独自の聖週間行事が催されています。その中でも、このバンタヤン教区はこの島最古のカトリック教会があるだけに、この聖週間の宗教行事も最大の規模になります。

それで、ちょうどセブJトピアに滞在中の小比賀さんが、早速バイクを飛ばしてバンタヤン町まで取材に行ってきました。

写真のようにバンタヤンでは、ちょうどプロセッション (procession イエスの受難の宗教事実を追体験するための人形などで作った造作物の行進)の真っ最中でした。

行進している「山車」は数も多く、しかもそれぞれよく出来た立派なものでしたが、イエスがこの一週間に受けた受難の宗教事実を追体験するために、歴史的に早い事実から順番に「山車」が行進して来ます。

小比賀さんは、先ず、この「山車」の作品の見事さに感心しました。

そして次に、小比賀さんが気にかかったのは、次々にやって来る「山車」を、路上に立って迎えている信者(市民)たちの間から立ち昇るような共感の息吹きでした。それが最高潮に達したと思ったのは、イエスがゴルゴダの丘で磔刑にかけられた場面と、その後のイエスが復活する場面のようでした。

そこで小比賀さんが気がついたのは、この場に集まった大勢の市民、キリスト教徒であるフィリピン人の意識は、同じこの場所に立っている日本人の小比賀さんとは、全く異質で理解不能な異文化の人間の感情でした。

この間も無く一億の人口にも達する一アジア人が、高等宗教とはいえ、今だに宗教に支配されるような「古代人」的な信条を持って、隣に立っていることに、「近代人」としての日本人の小比賀さんは驚いて我に返ったのでした。