葉月ミチルSOUNDTV第14回5月TVオンエア映像 (協力:日テレ)

「おもいでの岬」 2代目ペギー葉山の葉月ミチルが大叔母ペギー葉山を歌い継ぐ

ペギーとミチルは親戚の中でも、特に親しいお付き合いでした。葉月ミチルは3歳から大叔母ペギーに直々に歌を習い、大学院時代には渡米して本場ニューヨーク・ブロードウェイ Neil Simon Theatreにてミュージカル舞台を体験しましたが、これも大叔母ペギーの薦めでした。ミチルの音楽人生の節目節目で適切なアドバイスをくれたのが大叔母です。大叔母ペギーは、ミチルの生まれつき声域の幅広い「ハイ・ソプラノから超低音アルトまで駆使できる声」や、語学力 (また書道も) をとても高く評価してくれていて、「ミチルは、ペギーの遺伝子を確かに受け継いでいるね」と常々、大叔母はミチルに言っていました。

その頃、84歳になったペギーでしたが、ミチルがクラシック界で活躍するだけでなく、ポップ歌手として、同じ歌謡ポップ界にプロデビューすることを大変喜んでくれると同時に、「今後、是非、葉月ミチルが<2代目ペギー葉山>を受け継いでほしい」「葉月ミチルが2代目ペギー葉山として、ペギーの全曲を歌い継いでほしい」旨や、「ペギーの洋楽はミチルの外国語でアレンジを加えながら、蘇えらせてほしい」など、その他諸々のミチルへの申し送りを、正式な書面にてミチルに贈ってくれたのです。

さて、2016年10月にリリースの「おもいでの岬」はペギーの生前最後のリリース曲です。亡き夫・根上淳との美しい思い出を綴った曲です(作詩作曲:弦哲也)。

2005年に夫が亡くなるまでの7年間、ペギーは献身的に夫を自宅介護していました。苦労をあまり表に出さない気丈な性格でした。大きな優しさに溢れ、「歌に生き、愛に生き、思い出と夢に生きる」 (2016年のペギーの言葉)と、いつも前向きに生きた大叔母ペギー葉山。ミチルにも、「思い出を抱きながら、夢を持って歌を歌い続けることが生きる力なのだから!」と大叔母はよく話してくれました。この「おもいでの岬」リリースの翌年2017年の4月に急逝する前日まで、舞台の打ち合わせなど精力的に活動して、生涯現役歌手を貫いたペギー。

ミチルは「2代目ペギー葉山」として、大叔母ペギーの遺志を継ぎ、ペギー全曲を大切に歌い継いでいくつもりです。ペギーの歌謡Jポップは、楽曲への愛情と情感を大切に、洋楽(ポップ・ジャズ・シャンソン・ミュージカル・ラテン・カンツォーネなどなど)は、ミチルの語学力を活かして、外国語歌唱・全訳し、また、独自の編曲で現代にペギー葉山を蘇えらせます。

ペギーが逝去してから現在までの4年間、葉月ミチルは2代目ペギー葉山として「大叔母ペギー葉山を偲ぶチャリティーコンサート」を東京・大阪・神戸・京都・奈良・岡山など各地で開催してきました。収益はミチルの自主的な気持ちで、毎回、日赤募金に寄付していて、参加頂いて協力して下さる皆様に深く感謝しています。時世をみて、今また、コンサート開催計画中です。

今、コロナ禍にいるミチルや、応援して下さる皆様のことを、ペギーはきっと天国から見守ってくれていると思います。