養老孟司さんの講演会へ行ってきました | ふっくらほっくらのんびりと。。。

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(*≧∀≦)

先日、滋賀県に来られてました養老孟司先生。
コロナで中止になるなか~って思ってたら、そのまま開催されることに。
 
びわ湖ホールから見た琵琶湖。

 
 
オペラもやる大ホールが会場です。
久しぶりの講演会。
やっぱ、生で聴くお話はいいもんです。
 
 

 

オペラなどの歌があった後、壇上に登場された養老先生。

今年84歳だとのこと。まだまだお元気。

たぶんムシの話をしたいと思いますが、

「元気が出るのう(脳)」なんて、お題を付けられた講演会。

いろいろ脱線しながら、いろいろとお話しを聴くことができました。

ちょっとお疲れなのか、小さな声でボソボソと話されてましたが、

途中から演台の前、ステージの先ギリギリに立って少しヒートアップのトークでした。

今話題の森元会長と同じ年ということで、少し女性問題?に触れ、

その後は、意識と感覚、ノイズがなくなっていくスマホの世界に対しての懸念などお話しされてました。

元気になるのう~の話は、皆無でした。

 

以下は、ノートメモを写したものですが、暗号みたいで意味不明だと思います。

なんとなく流れも思い出したいがための備忘録ですんで、お許しくださいませ。

 

久しぶりの大津。

この「びわ湖ホール」は昨年、オペラ無観客配信をされたなどで「菊池寛賞」を受賞されてます。

人ではなく、施設が受賞したのは始めて。

私は選考委員の顧問をやっているのですが、あれは主催している文藝春秋が候補を持ってきてくれるので、それに対して

「文句ありません」

と言うだけでいいんですね。よきに計らえと。(笑)

元気が出るか出ないか、わかりませんが、話をしていかないと。

 

私は年男で、最近、話題になっている例の会長と同い年、84になります。

変に元気を出すとあっぷあっぷしてしまう。

 

この前、土曜日に大学へ行くと、学生が寄ってきて、

「養老先生ですか?」

土曜日なので学生も少ないんですが、1人の学生がこう言うんです。

「まだ、生きてたんですね!」

勝手に殺されてました。(笑)

 

また、先日はとある先生方の集まりに行ったときなんですが

時間の30分前に着いて別室で待ってたんですね。

しばらくして、若い先生がきて

「先生、まもなくお迎えがやってきますので、よろしくお願いします」

とおっしゃる。

それはよーーくわかってます!(笑)

 

元気の出る出ないは、体の調子によります。

昨年、朝食済まして眠たくなってきて、こりゃなんかおかしい、と大嫌いな病院に行って検査してもらってきたら、後輩の医者、還暦の先生が、そのまま入院してくだいと言うんです。

心筋梗塞だったんですね。今では元気になりましたが。

元気の出る出ないは、頭より体の状態によるんです。この年になると余計です。

 

同い年と言えば、森オリンピック会長ですが、この世代はどういう教育を受けてきたかというと。

昔、ソ連、今は旧ソ連ですが、そのソ連では、医者の5割が女性であったんです。当時ですよ。

女性が半分。ゆえに程度が低いというんですね、先生が。

そんな先生が教育をしてた時代なんです。今、そんなこと言えば大問題です。

女性が多い会議が長くなるというのは、データあるのか、という話ですが。

長くなる理由はいろいろあるかと思いますが、医学部、工学部の先生は話が短いんです。

結果だけをパッと言って終わります。

警戒しなければならないのは、文学部、理学部の先生たち。(笑)

頭の中で話しながら、キチンと完結するまで話すから長くなる。

 

先ほどオペラを聴いてて、母親を思い出してました。1898年生まれの母です。

ポツンと言ったのを思い出してたのですが、なぜ言ったのかは忘れましたが

闘牛の歌、エノケンが歌ってたんですね。

エノケンがパロディで歌ったの、若い方は知らないでしょうが。

母くらいの人でも歌ってた。

パロディなどは、やる方と受け取る方の問題なんです。

受け取る側のレベルが大事です。

 

私たちの時代は、今となってみると甚だ違った感覚だった。

70年代にヨーロッパで研究会があったんです、シシリア島で山のテッペンの街です。

当時、汽車で向かってる間、アフリカ系のアメリカ人と話をしてた、何を話してたのか。

そのアメリカ人は、エール大学に入れたのは、新しいルールが出来たから入れたと言うんです。

新しい民族を何%入れなければいけない、というルールが出来たおかげだと。

このルールが無ければ自分は入ることはできなかった。

女性も何%というルールもある。

それで、こっちのことも訊きはじめたんですね、東大は女性が何人いるのかと。

1人だけと答えると、その男性は笑い出したのですが、当時、女性は1人だけだったんです。

中根千枝さんという、たくましい男らしい女性ですが。(笑)

入学試験が難しいから男が多い、なんて言ったら、そのアメリカ人は、

そんなことをアメリカで言ったら即クビだ、と言われました。

 

実際、言語系のテストをすると、圧倒的に女性の方が点数が高いです。

以前、NHKに言語を扱う職業なのに、男性が多いのはおかしい、何らかのバイアスをかけているのではないか?と訊いたことがあるのですが、「はい、かけてます」とハッキリ言われた。

東大のようなとこでも、薬学部生理化学系は女性が多い。

定員40名で女性が38人、男性が2人とか。その男二人は辞めていったけど。

私でも辞めてただろうな。

半分を理Ⅰ、半分を工学系から半分取って男女半々にする。

物理化学を中心に試験をすれば女性は減るんですが、言葉のテストにすると女性が点数高くなる。

奥さんとケンカしたら負けますよね(笑)。家庭内暴力ってのは、口で勝てないから手が出たってやつでしょ。

手の出し方は考えないと。

 

こんなことを話しにきたのではない。(笑)

世の中、ずいぶん変わったものです。

トイレなんて、そうです。水洗トイレ。

滋賀県は優等生ですよね。下水道が整備されたのは一番ではないですか。

琵琶湖がありますから下水をちゃんとしなくてはとなったのでしょう。

「うんちの行方」という本で知ったのですが。

 

それまでくみ取り式のトイレだったので、一気に水洗になった。

下水道が整備されたからですが、これが当たり前になってます。

ちょっと前までの当たり前など、すぐ忘れちゃいってます。

若い人は、くみ取り式のトイレなど使えるんでしょうか。

 

私が住んでいた鎌倉市でも、琵琶湖はないのですが、海水浴場があります。

家庭用洗剤を川に放流して、川の生物がやられたのを覚えてます。

昆虫採取をしていたから、よく知ってる。

多摩川の洗剤アブクが社会問題にもなった。

新聞も写真を出して、追求してたのですが、ある日、突然、ぷっつりなくなった。

その後も記事にならないな、と思っていたら、一週間後くらいに1ページ全面に

洗剤広告が大きく載ってた。

(新聞屋が広告料で買収された!という笑うところ!のようでしたが気付かれず?)

下水が整備されてよくなってきたが、わざわざ気にしない。

でも、洗剤を使うことには、今でも敏感になりますね。

 

 

スマホなど、AIといってますが、「artificial inteligence」の略ですね。

AIの登場で仕事がなくなるとか何かと言われてますが、気にしてません。

ITが、具体的に言うとスマホが、暗黙に与えている影響があるんです。

トイレのことを言ったのも、そのこと。

若い人は、水洗でないトイレは使えないかもしれないが、

一週間もすれば、子どもなんかはすぐに慣れちゃうもの。

 

暗黙のうちに、何かが変わってくる。

スマホの世界と、実際の世界は違うものなんです。

スマホやPCと、現実の世界は、何が違うのか。

時間の流れ。

スマホは、時間が止まっている。ユーチューブなど動いているのではない。

1ヶ月先でも、同じ動画が見れる。変わらない。

ユーチューブのネコは死なない。時間が止まったまま。

でも、実際のネコは、いつかいなくなります。

 

スマホの世界を当たり前と思ってしまう。変わらない世界。

諸行無常が消えていく。

現実世界は、時間がたったら全て消えていくもの。

ITは、時間とともに変化しないものを、中心に置いてしまった。

それが、最大の特徴です。

全ての情報が、時間がたっても変わらないもので、世界が覆われてしまった。

その中に、諸行無常は無い。

気の利いた人は気付いているかと。

 

テレビや映画は、何度観ても同じもの。

人がやることは、毎回、違う。同じではない。

アートというのは、そこに価値がある。

生の演奏などは、毎回、違います。

諸行無常の世界なんです。

 

時間ともに変わらないものを、情報といいいます。

皆さんは、情報ではない。

しかし、情報化することはできる。どうすればいいのか。

写真に撮ればいい。名前をつければいい。

本人にとって名前ってものは不要なんです。

周りの人が必要とするもの。名前があると便利なのは本人ではない。

 

人の細胞は生まれ変わっていくものだから、

今日のオレと、昨日のオレは違う。

というと、昨日、金を借りたのは、オレではない、というヤツがいますけど。(笑)

 

情報は困ったもの。

生徒を情報と扱うのは、ダメですね。情報は変わらない。

先ほどのオペラで、「世界にひとつだけの花」を歌われてましたが、

初めて最後まで、まともに聴きました。

世界にひとつだけの花、って、当たり前のこと。

若い人たちは、「花」はどれも同じものと認識しているんでしょうか。

昨日は、こうだった。

今日も、こうだった。

何でも同じものとして、デジタル化してしまう。

 

デジタル化によって、全く同じコピーが出来るようになった。

昔は、ゼロックスコピーといってたものは、コピーを何度もしていくと

だんだんと黒くなっていくんですね。同じものではない。

デジタルは、0と1の並びの情報なので、黒ずんだりすることはない。

 

ノイズの無い世界です。

若い人たち、理想の人はノイズのないものに。

 

未来世界はノイズの世界。

医者から見る患者もノイズに変わった。だから、患者を見ないんですね。

医者はカルテを見るんです。

カルテは、調べた時点の数字をデータにしたものであって、それは今の患者ではない。

でも、情報化されないと診察できない。

まず検査するしかない。

 

情報化されていないものが、ノイズ。

コンピューターに入れるもの。

えー、こんな話は元気なくなるが、そうなるなと言っているんです(笑)

 

水洗トイレがまともと思っていまう。

本来は別の世界、水洗トイレなんて贅沢の極みなんですが。

断水になれば、たちまち使えなくなって、それを思い知らされます。

スマホに浸かりきった世界も、当たり前と勘違いしてしまいます。

 

AIの世界yは、現物が消えていく世界。

そこで、初めてアートが生まれる。

その時々、瞬間のもの。

今日のオペラは、まさしくそう。明日でも昨日でもない。生のもの。

CDに録れば、ジーと聴いてるだけのもの。

現物の意味を考える。

体のどこかで、受け止めているもの。

 

テレビの影響で、みんなが同じものを見れるようになった。

と思うのは、大きな誤解。

オペラなどは、座席によって見えるものが違う。

テレビができて、勘違いしてしまう。

同じ時間、同じ角度で見れるのは一人だけしかいない。

カメラはその位置の映像を映すだけ。みんなの視線が共通。

人がみんな違うものを見てるにも係わらず、同じものを見ているという前提になってしまった。

 

何でもない常識が変わってくる。

教育現場でも、兄弟がいて、兄と弟はそれぞれ違う環境。同じではない。

しかし、今の教育世界では、それを同じ教育環境で育ったと判断する。

女性うんぬん、それ以前にいろんな問題。

誰もが同じものを見てると考えてるが、他の人と同じものは見れない。

絵画、アートなども、そう。

モナリザ、何百年たっても同じ?

同じ人でも、時間がたてば、違うように見える。

絵画をそっくりに作ったら、同じものなのか。

人は変わっていくと感じる。

 

AIの発達した世界では、同じでないといけない、と思ってしまう。

同じ。

人間のキーワードです。

先ほどもいった「世界にたったひとつの花」。

当たり前のことだが、若い人が共感したのは、花は花、同じものとして扱われてきたから。

見る側の問題。

今の人は、違いを捉えるのが下手ですね。

 

人は、同じにすることで、人になった。

ことばにつると、人。

概念。

同じにくくることで、世界を上手に扱うことができる。

同じにすると、言葉ができる。

リンゴ、という言葉で皆さんが思い浮かべるのは、赤い丸い物体。

「意識」とは、同じにすることで、

「感覚」は、ちがうちがうと、違うものとして認識する。

動物は、「感覚」に頼って生きている。

世界にひとつだけの花といっているのは、「感覚」。

これは、リンゴかナシか?と迷うことはない。「意識」で分かる

「感覚」に強

プリンティブ、芸術的、丸めない、同じにしない。

 

犬とネコの違いを、幼児にきちんと説明するのは難しい。

だけど、3つの子どもでは、ニャーニャー、ワンワンとわかっている。

「意識」ではなく、「感覚」で判断している。

 

概念をつくって、初めて言葉が出せる。

言葉。

thisi is an apple.

this is the apple.

「a」と「the」の違い。

当時、これを教わったとき、半分しかわからなかったですね。

THEって何なんだ?

どこのどれでもないリンゴ?

木に成っているたくさんのリンゴは?

へそ曲がりな少年だった。

 

子どもながらに不思議だったが、よく似たのがあると気付いた。

 

どこの誰かは知らないけれど

誰もがみんな知っている

 

月光仮面の歌によく似たことが言われてたんですね。(笑)

リンゴと聞いて、皆さんが思い浮かべるのは、それぞれ違うもの。

言葉の約束で、同じリンゴという前提にしないと、話が進まない。

「言葉」は、同じですよ、という前提。

 

「公平」「正義」は「言葉」で表せないもの。the appleではない。

 

アートは、感覚から入るもの。現物ありき。

感覚に基づくものから入るものを信用する。

「バーチャルリアリティ」という言葉が生まれたが、これは難しい。

仮想現実、仮想と現実、間逆の言葉がくっついている。

 

感覚に戻せるもの。

意識は同じという、のは人だけ。

動物も知っているかも知れないが、少ない。

子どもは感覚から入っていく。

だんだん学んで、数、典型、リンゴ、色んな性質などを1つにしてしまう。

1つにまとめる際には、いろんなものが削ぎ落とされている。

そのことに、気付いてほしいですね。

 

毎日、ニュースで「コロナで何人亡くなった」とやっているが

「何人」をひとつひとつみようとはしなくなる。

本日の死者何人というニュース、ひとつひとつが番号1つになっている。

意識の世界です。

ひとりひとりを番号にしてしまう。

政府はそうできると言っているが、私は出来ないと思ってます。

政府はそうしたいので、デジタル庁など作ったりする。

 

医者の世界も同じことが行われている。

目の前の患者はうるさいもの、できたらいないほうがいい(笑)

カルテは何もしゃべらない。

ずっと昔にカルテを診るようになっている。

 

若い人も話すよりもメールに頼ってしまうのも当然のこと。

部下がメールで報告してくる、同じ部屋にいるのに、という話を聞くが

そりゃ、めんどくさいでしょ。

口頭で報告したら、アレコレ小言を言われる。

顔色伺いながら報告しなくてはいけない。メールが楽。

現物、上司がノイズなんですね。

メールだと顔色なんてどうでもいい。

 

AI、ITの世界は、変わらない情報。安心できる。

昨日、金を借りたオレはオレでないと、言われない。

自分はずっと変わっていないという人。

昔、ずっとさかのぼっていくと、0.2mmの受精卵。

どこからきたのか?外の世界から。

若い人に言いたい。

そこらへんの畑の苗。それが自分になっていく。

土が自分になって、土に還っていく。

環境なんてない。

そこらへんの稲、それが自分になっていく。

スーパーに売っているもの、それが自分になる。

 

元気になるのかならんか、わからないけど、時間がきちゃいました。

土から生まれて、土に還っていく。

AI。30年前、医学部にいた。

その時、すでに患者さん、カルテに変わってた。

あとは自分でお考えください。