日蓮大聖人 今月のお言葉 『上野尼御前御返事』 (うえのあまごぜんごへんじ) 


 経に云く若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。 弘安4年(1281)11月15日執筆 『昭和定本日蓮聖人遺文』1890頁 (訳) 法華経の第二番目である方便品(ほうべんぽん)に「もし、法華経という教えを聞くことがある者は、一人として成仏しないことは無い」とあります。この一節の内容は、法華経を受け持つ(教えを聞き信じ続ける)者は、百人なら百人のすべてが、千人なら千人のすべてが、一人も残ることなく仏に成るということです。 本書は、南条時光の母が、父である松野六郎左衛門の忌日にあたり、追善供養のために白米や芋の供養を届けたことに対する礼状です。 法華経では、華(善き報いを招く行為=善根)と菓(仏と成るという結果)が同時であり、「法華経による修行(華)」と「法華経による成仏(菓)」は絶対不離で、同時に成就するため、法華経を手に取れば、その手は仏であり、口に唱えれば、その口は仏であると教諭します。次いで、その根拠として、冒頭の一節を引いています。 先に挙げた方便品の文は「若有聞法者(にゃくうもんぽうしゃ) 無一不成仏(むいちふじょうぶつ)」(真読)であり、法華経を聴聞した者のすべてが、仏と成る(成仏)ことを説き、成仏が疑い無きものであると示します。法華経を聞くことがあれば、一人も欠けることなく仏に成れるのです。 お釈迦さまが生涯にわたって説かれた数多くの教え(八万四千の法門・一代聖教)のなかでも、法華経は「王様(諸経の王)」であり「最上位(この上なき教え)」とされています。このような法華経は、すべての者の救済(一切皆成)を説くことから、一乗(いちじょう)・一仏乗(いちぶつじょう)の教えともいわれます。 法華経には、はかりしれないほどの功徳があり、法華経を聞いた者のすべてが成仏できるという教示を受けた上野尼は、たいへん嬉しく、宗教的な安心を得たのでありましょう。※今回は、48号です。バックナンバー(過去号)も、当ページにて公開しております。