COMA-CHIヒストリーvol.3「DAY BEFORE BLUEの葛藤と自信」 | COMA-CHIオフィシャルブログ「CHILLIN' DAYZ」by Ameba

COMA-CHIオフィシャルブログ「CHILLIN' DAYZ」by Ameba

COMA-CHIオフィシャルブログ「CHILLIN' DAYZ」by Ameba


現在HPにて開設されている、 

http://queens-room.com/10th/

ヒストリーインタビューのブログ掲載、
第3話です。
 
↓↓↓↓

2. DAY BEFORE BLUEの葛藤と自信

躁うつでも波に乗ってたダメレコ時代

B-BOY PARKで2位を獲った翌年の2月に『DAY BEFORE BLUE』を出して、すごい良い流れとかタイミングがきてた。メキメキ知名度が上昇してるのを自分でも自覚できるほどだったし、すごい波に乗ってる感じはあったね。 

波には乗ってたんだけど、バトルに出ながら大学にも通って、『DAY BEFORE BLUE』も並行して作って、当時のことは記憶があやふやだけど躁うつ病だった。うつのときはレコーディングに行けなくなったりもしてた。あやふやな精神状態だったなぁ。作りながらいろいろ悩んでてアップダウンが激しくて、特に生理前とかさらに激しくなるし、うつの最高潮みたいになって、常に生理前みたいな精神状態だったから、そういう頭で作ったよってことでこのタイトルにしたんだ。 理想は描けるのにすぐそこに行けないっていう葛藤もあったし、まず自分自身を認められなかった。ただ生きてるっていうことだけで自分のこと愛せてれば認められると思うんだけど、やっぱりただ生きてるだけじゃ自分のことを愛せないような何かが自分の中にあったんだね。これはCOMA-CHI以前の話でもあるんだけど。自分の感情の波はコントロールできてないのに、COMA-CHIとしての波には乗れてたんだろうね(笑)。 

今考えてみると何でそんなに辛かったのかって理由がわかってなかったんだよね。渦中にいるときって何が何だかわかんないし、カオスなんだよ。客観的に見られないから辛い。その辛さを吐き出す唯一の糸口が音楽だった。現実逃避でもあり、現実の消化方法でもあったんだよね。 

女性の日本語ラップクラシックを作りたい

『DAY BEFORE BLUE』もどうやって作ったかほとんど覚えてないんだけど、アルバムを作る「生みの苦しみ」っていうよりは「日々苦しみ」みたいな感じだった(笑)。でも「ミチバタ」をつくったときのことだけは覚えてて、とにかく“クラシック”をつくりたかったの。やっぱりHIPHOPクラシックって昔から今までずーっと残ってる曲があって、みんなが一緒に口ずさむ何かがあって、印象的なループがあって。女性で日本語ラップでクラシックってなかったから。それを作れたら良いなと思ってつくったのがミチバタ。躁うつで自分のことは全然客観的に見られてないのに、ミチバタは結構すんなりできた。ダースさんが自由にやらせてくれたから、すごい楽しかったのもよく覚えてる。ジャケットも自分で描いたりね。PVも提案全部受け入れてくれて。ダースさん自身もアーティストで、今までいろんな嫌な思いをしてきたこともあって、「いちばん良いのはそれぞれ自分がやりたいことをやることでしょ」っていう考えだったと思うんだ。だからあの時期ダメレコにいた人たちは今でも残ってる人が多いんだろうね。 

アルバムリリースしてからはB-BOY PARK準優勝とセットで雑誌にも取り上げてもらったし、周りの扱い方も変わった。そこで何か一気に自己肯定感が増して、「うわ、認められた!」っていう感覚はあったね。自分自身を認められなかった私としては、色んな人が評価して認めてくれるっていうのはすごく大きなことだったんだよね。ただそれもそれで健康的じゃなかったってことに気づくんだけど(笑)。