COMA-CHIヒストリーvol.4「客演オファー殺到からメジャーデビューで拡がった世界」 | COMA-CHIオフィシャルブログ「CHILLIN' DAYZ」by Ameba

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現在HPにて開設されている、 

http://queens-room.com/10th/

ヒストリーインタビューのブログ掲載、
第4話です。
 
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3. 客演オファー殺到からメジャーデビューで拡がった世界、でも……

メジャーへの好奇心

だから『DAY BEFORE BLUE』リリース以降は客演オファーもすごくたくさん頂いて。メジャーデビューしてないのに加藤ミリヤちゃんが私に目をつけてくれてフィーチャリングオファーしてくれるくらいになってたから、私ヤバイな、キテんなって思ってた(笑)。今までインディーズで活動してたのが、客演時代にメジャーの世界を垣間見て俄然好奇心がわいたね。関わる人の人数、届ける場所の広さ、もちろんかけられるお金もとにかく全ての規模が違うんだよ。そんな頃メジャーデビューのオファーもあって、どうしようかなっていうときに当時いちばんスゲーって思ってたビートメーカーのmitsu the beatsさんがいるJAZZY SPORTから声をかけてもらったの。 元々はmitsuさんに『DAY BEFORE BLUE』の帯コメントをもらってて、次の曲はmitsuさんにやって欲しいと思ってたら、たまたま『DAY BEFORE BLUE』のエンジニアさんが奥田さんっていうJAZZY SPORTの人だったんだ。そこからJAZZY SPORT社長のmasayaさんとかも紹介してもらって、話してるうちに「ウチ入れば」って誘ってもらって。 でもメジャーって契約に時間がかかるんだよね。2006年に『DAY BEFORE BLUE』を出して2009年に『RED NAKED』でメジャーデビューしたから約3年あったけど、結構あっという間だった。 

絶望を吐き出すことで光が射してきた

今までの話の流れで行くと『RED NAKED』の中でキーとなるのは「自傷症ガールdon’t cry」と次に入ってる「perfectangel」につながるストーリーだと思う。 「自傷症~」は自分の体験談からズレた描写もあるんだけど、ここまで自分の気持ちを、うつと戦ってきた気持ちを吐き出せたし、この曲から飛躍的に自分の精神状態が良くなった。「perfectangel」も自分の体験を元にインスパイアされた曲。19〜20歳のとき、家が12階だったんだけど、親がいないときにベランダから飛び降りようと思って足をかけたことがあったのね。でも、フッと下を見たときに誰かの声で「ちょっと待って」っていう声が聞こえたの。そのときから、神様みたいな目に見えない存在とか力を意識せざるをえなくなって、それを歌にしたのが「perfectangel」。全ての神はつながっているのか、1人なのか、いっぱいいるのかわからないけど、誰かしら何かしらいるんじゃないかっていうのは今も思ってる。私が絶望とともに命を絶とうと思ったその瞬間に神様の声が聞こえたから。 

ダイレクトな反応が自己肯定感につながる一方で……

そしてこのアルバムをリリースしてから、「自傷症~」を聞いてくれた全国の女性からの反応がすごかったの! 「この曲を聞いて救われました」とか、「ずっと悩んでたけど楽になりました」とか。そもそも女性のリスナーが増えた。メジャーデビューして一番変わったことのひとつなんだけど、『DAY BEFORE BLUE』のときは男性8割だったのがRED NAKEDで男女5:5くらいになって。これはメジャー効果だね。ライブに来る子も女の子がすごい増えて。「自傷症~」で涙を流してる女の子がたくさんいて、その姿を見ることで誰かの役に立ててるんだっていう満たされた感覚を味わえた。ただラッパーとしてバトル準優勝したから認められた、っていうところから一段上がったところの自己肯定感っていうのかな。そこは良くも悪くも、相手が見える音楽になっていったターニングポイントだね。 

『DAY BEFORE BLUE』のときはカオスの中で自分のことしか見えてない中で作ってたけど、メジャーデビューしてからは「これを聞いた人はどんな気持ちになるかな」って、リスナーを意識して作るようになった。でもね、これやったら喜んでくれるかなと思って喜ばれるような音楽をつくるのは素晴らしいことではあるんだけど、ちょっと自分を押し殺したりしちゃうんだよね。軸が自分ではなくなってきちゃう。そこで私の中で新たな葛藤も生まれてしまって。昔は純粋にこれがやりたい、こういう表現がしたいと思ってやってたのに、メジャーにいって、周りがお金をかけてくれる状況だったり、色んな人に期待されてる状況だったり、音楽をつくる上での規制とか私以外の人の意見も取り入れなきゃいけなかったりとかして、私がほんとにやりたいことって何なんだろうってわかんなくなっちゃった。それは躁うつとは違って、単純に音楽がつまんなくなっちゃったんだ。 

というのも、「RED NAKED」は8割方やりたいようにできたけど、「perfectangel」のアレンジはすごく妥協した部分もあって。J-POPとしては素晴らしいアレンジだけど私がやりたいのはJ-POPじゃなかったから。もともとmitsuさんのトラックで作ったのをJ-POPに差し替えたんだけど、私としてはmitsuさんの音で一貫したアルバムにしたかったっていう悔いは残ってる。 

もちろん喜んで欲しくて作った音楽でほんとに誰かが喜んでくれたら嬉しいんだけど、全員を喜ばせることはできない。それだったら私がほんとにやりたいことをやってるほうがいいじゃんって思って。『DAY BEFORE BLUE』のときもやりたいようにやって喜んでくれる人がいたわけだから、自分を押し殺して音楽作って今音楽辞めたいって思ったらまじ意味無いじゃんって。それはメジャーに行ったからこそ感じられたことだね。 

もっと大きな舞台で勝負したいと思ってメジャーに行って世界が開けたけど、それを知った上で自分はどんな選択をするのかなっていうのはメジャーデビュー前から考えてたことだった。自問自答を繰り返して、私は純粋なものづくりの衝動をそのまま表現できる環境に自分を置くっていうのが最優先事項だなという結論に行き着くんだけど。 

とにかくこの頃は外から見える私っていうのを自覚してきた時期。いろんなHIPHOPシーンの先輩方に期待してもらったっていうのも大きかったし、女の子のラッパーでガツンと行った子がいなかったから。期待に応えたいと思って「RED NAKED」とは言いながらもある種COMA-CHIというものを「演じてた」部分もあったね。