弁護士法人FAS淀屋橋総合法律事務所のブログ

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大阪市中央区北浜の、弁護士法人FAS淀屋橋総合法律事務所のブログです。所属弁護士によるニュース解説や、日々の暮らし、ご家庭、お仕事にまつわる法律問題などを取り上げるほか、所員による書評や趣味の話、付近の町ネタ、グルメ情報などお伝えしていきます。

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帚木蓬生「花散る里の病棟」(新潮文庫、2024年。単行本は2022年)。

この著者の作品の一定のものは読み(東大寺大仏の造営を描いた「国銅」おおさかの街56号で評論、生殖医療の最先端を扱った「エンブリオ」、金正日暗殺の「受命」、この二つはおおさかの街65号で評論、その他)、それぞれ感動してきたが、この作品も出色のものである。

 

4代にわたる医者の物語。

 

初代は大正時代、北九州の炭鉱町で開業した野北保造、2代目は軍医として出征し、死地を彷徨った末帰国し、山間の町の診療所に勤務し、その後さらに山奥に分院をつくった宏一、3代目はバブル期に開業した伸二、4代目はアメリカに留学し帰国した勤務医の健。健は「町医者こそが医師という職業の集大成」と考えている。

 

この物語には看護師の戦争中の生き様、慰安婦たちの堕胎の悲惨も詳述されるが、本稿では省略する。どの章にも、俳句、短歌が配されている。

 

初代は、明治の終わりに九州帝国大学医科大学をでて医師となり、病院勤務を経て、郷里で開業し、当時庶民を悩ました蛔虫駆除の専門医として有名になった。独自の駆除薬を作り、昼夜を問わず患者宅を回って多くの命を救った。虫医者と言われた。一回に300匹を排出したこともある。出れば人は驚くほど元気になる。診療費は、野菜など様々で、資産形成には興味がなかった。胃潰瘍で亡くなった後、残ったのは元患者からもらった石(獅子岩)だけだった。息子は、父の残した「医者になれ」という言葉と、その石を大切に育った。

 

2代は、昭和18年、九州高等医学専門学校をでて、2等兵になるより短期現役軍医になり早く医師資格を得て2年での除隊、兵役終了を目指したが、現実はそのようには進まなかった。従軍医師、見習士官として、地獄経験をすることとなった。フィリピンに降ろされ、南方隷下第14軍として、マリナのあるルソン島、レイテ島、再びルソン島を彷徨った(レイテに残った軍医は全員戦死した)。自らもパラチフスに苦しんだのち、傷病兵の医療にあたるが、撤退に次ぐ撤退の中、兵站病院は、医薬品はおろか食糧もない。油虫、シダにいたる、あらゆる動植物を食した。砲弾のない兵器は邪魔になるだけで土に埋める。空襲に次ぐ空襲の中、夜陰に逃げ惑い、栄養失調とマラリアで骨と皮だけになった兵は、自力で歩けるまでがんばり、不可能と悟ると、横になって軍医に腕を差し出し、「お世話になりました」という。軍医は、クレゾールを打って、安楽死させる。そのようにする軍命令が出ていた。兵は一筋の涙を流し硬直し、息絶える。医師の仕事ではなく、鬼だと自らを責める。そのような兵はまだマシで、置き去りにされた者のほうが圧倒的に多かった。現地人の被災者も見殺しにした。そのような戦場であった。そして無条件降伏で生き残った。しかし、生き残った喜びより、患者をみずからの手であやめた悔悟のほうがまさり、故郷に帰り、命を患者のために使う決心をする。死んだ戦友医師、命を救ってくれた人の夫人の実家に遺品の小指の骨と最後の和歌をもって訪れ、のちにその未亡人を妻にする。そして、孫を可愛がり、膵臓癌にかかるや、延命治療を拒否して旅立った。

 

3代、九大を出て、父の後を継いで町医者となり、地元医師会で、面白い講演ができる洒脱な文化人医師だった。幼い頃に、貧しい家庭の友人と運動会で二人三脚で優勝した。その友人は、貧しさゆえに、長じてヤクザとなり、受刑し、病で死んだ。その全ての思い出を深く心に刻んだ優しい人だった。医院の隣に、老健、特養を開設し、人の終末に徹底して寄り添う。その心は、老人の話をとことん聞き、老人の人生から深く学んでいく。例えば、患者の作る俳句をカルテに書き写しながらである。のちのパンデミックの際、妻は、職員たちの子供を放課後に世話する学童保育をして経営を維持し、安倍首相を皮肉りながらマスクを手縫いした。そして伸二は、第一次大戦の時のパンデミック、アメリカで発生し、米兵の移動とともに猛威を振るい、ドイツ軍にも、世界にも大流行した風邪を思い出していた。連合国にとって救世主であったアメリカの名をつけられず、中立国のスペイン風邪と名付けられた。停戦の功労はスペイン風邪によるという。

 

4代は、アメリカに留学し、糖尿病の外科手術という新しい術式を持ち帰りさらに工夫し(腹腔鏡下スリーブ・バイパス術)、命を救い、健康のために働いた。アメリカの経験では、医療保険制度がないため、金のない患者は治療をせず、死を待つのみという事態にしばしば遭遇した。もうすぐ死ぬことがわかっているのに、治療もせず、歩いて帰宅することから、デッドマンウォーキング(歩く死者)と呼ばれた。悩むアメリカ人医師で、英語の俳句をする者がいて、歩く死者を句に詠んだりしていた。隣のキューバは最貧国なのに、医療は無償で受けられることとの対比が強烈な印象として残った。

帰国して市立病院に勤め、将来妻となる後輩の糞便移植などを扱う天草出身の医師理奈と付き合ううち、新型コロナパンデミックが襲ってきた。

 

トランプはマスクは臆病者がすると言って、流行を放置した。安倍は安倍で、ウイルス素通りのアベノマスクを強行したり、GoToトラベルなど利権見え見えの施策をしたり、トランプに擦り寄りカジノ解禁の方向を出し、大阪府知事と語らって夢洲にカジノをプランし、警察からの天下りの多いギャンブル場であるパチンコ屋が新型コロナの温床であるのに取り締まらないという裏事情もありつつ流行は進んでいき、政府の施策はチグハグさを増した。

 

医療世界では、看護師の子供が友人から汚いといじめられたり、看護師が郵便局で地域住民から敬遠されたりする悲劇が随所に見られた。

 

健の市民病院では、一般病棟を閉鎖して外来を減らしコロナに対処した。フェイスシールドを透明ファイルで作り、ガウンはゴミ袋という出立ちで、エクモ不足に対処し、遺体をビニール巻きにして特別霊柩車で火葬場に運搬した。私立病院にいる理奈は、ゴミ袋ガウンをスマホで送ってと快活に振る舞った。さまざまな工夫が医療従事者によって生み出された。工夫の中に、患者を思う医療従事者の心が熱く込められていった。政府のGoToトラベルを横目で見ながら、必死の戦いが現場では展開された。理奈も感染し、市民病院に担ぎ込まれ、健は他の患者と同等の治療を心を込めて施す。危機を脱してから婚約者だと周囲に白状し、治療にあたった同僚たちから結婚式に招待してくれと言われ、小さくやろう思っていた式をみんな招待してやることに決意する。日本のワクチン政策、接種は遅れた。3代目は、「新しき 春も迎えず 逝った人」と詠んだ。

 

この医師一家は、代は変わり、時代が変わり、直面する事態は変わっても、患者に尽くしたいという強いヒューマニティで裏打ちされ、医術は人助けと徹底して割り切って雑念を持たない。医師の理想像である。九州弁が全編随所で登場する傑作文学である。物語の最後は「コロナ明け 新芽を伸ばす 医家の幹」で閉められている。


 

斎藤 浩