「日本経済思想史 江戸から昭和へ」より
・徳川吉宗 1716~1751.財政問題、物価上昇に直面。
・年貢の増徴。1722、財政赤字13万両。大名から石高の1%を上納させた。
→農政刷新。1740に石高ピーク。
・良鋳の継続。
・良鋳により、貨幣数量が減った。倹約政策により、総需要が減った。人口増にブレーキがかかった。生産量が増えた。これらにより、物価が下落。相対米価も下落した。
・江戸時代は、相対米価(米価/一般物価)に注意する。
・1736 悪鋳を再開、銭貨鋳造。交換時に金貨は65%の増歩。銀貨は50%の増歩。出目は少なかった。貨幣数量が増えた。
→財政政策よりも、金融政策で市場メカニズムを動かすもの。
→物価は上昇、相対米価も上昇。
→財政難の解消。
・1742 大岡忠相、蓑正高の建言「御蔵納米御張紙直段」を受ける。3両増にて米を金納にと提案。
→実際は、130年後の地租改正を待たねばならなかった。
・享保の改革時は、吉宗的経済観と、大岡的経済観が、並存・補完・対立していた。
以下適宜追記。