いい時期は、何もしなくてもうまくいく。
その絶対値が大きければ大きいほど、落ちるときの落ち方も大きい。
誰もが一度は耳にしたことのある「教訓」だと思います。
通常、こうした場合にお笑い芸人や2名以上のアーティストでは、「アリ」役と「キリギリス」役が描かれ、不仲説の後に解散といったケースもしばしばありますよね。
もしくは、完全に稼ぎのためだけにコンビを続けている、と長年書かれていたり。
具体的にどこの誰がどうこう、といった話を聞いたわけではないのですが、これって「教訓」と同じく、「そうねー」と思いながらも、「所詮雲の上の話」と思いがちで。
でも、でもね。
そうとも言えないなぁ、と、最近思うんです。
コンビだとどっちかが「アリ」でどっちかが「キリギリス」ってことになりがちだけど。
一般人の私たちの中にも、「アリ」と「キリギリス」の両方が存在するのではないか、と。
いまが調子の良いときであれば、そこに胡坐をかいて日々を楽しく過ごしてしまう。
その「ツケ」が、落ちたときにやってくる。
これ、「キリギリス」ですよね。
でも、私の周りには、「キリギリス」のままでも十分やっていけそうだなって思う人に限って、
どんなときも、コツコツと「アリ」を続けている人がたくさんいます。
それは毎日大袈裟に何かを為し得たり努力をひけらかすのではなく、あくまで
「この継続が大事なんだ」
ということを、意識して実践されているのだと思います。
良いときも、ダメなときも、継続していく「何か」。
それは、己の道がきちんと見えていて、そこに向かって必要な情報を常に取得し、
改善し、努力していく「志」。
毎日はほんの数ミクロンの差かもしれないけれど、振り返ると大きな差になっている。
何をもって活躍と呼ぶのかは人それぞれに尺度が違うと思いますが、
少なくとも、自分自身の尺度に一定の合格ラインをつけ続けられる人は、
きっとこの数ミクロンを怠っていないのではないかと。
(そして、その“尺度”は日々更新し続けられていくんですね)
まだ年内の仕事が残っているので総括のつもりではないのですが、
来年は、この「数ミクロン」を意識して、自分なりに毎日積み重ねているという
“実感”を持ちながら進みたいなと思う現在です。
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