人間脳が断捨離されて、
時間の感覚を失うと、どうなるかと言うと。
普通の人の頭の中では、
去年、昨日、今日、明日、来年・・・、
と、月日が(過去から未来へ)流れて行きます。
時間の流れが止まると、
昨日以前の記憶はなくなり、
昨日の上に今日が「上書き」され、
今日の記憶(データ)の上に、
明日の記憶(データ)が「上書き」されて行くので、
直近、朝、昼、晩、くらいの感覚しかなくなります。
昨日、今日、明日、という境界線も消える。
無駄なデータが脳に残らない。
ピダハンの、過去を憂うこともないし、
未来を気に病むこともない、
という感覚は、今なら、よく分かります。
単に今を生きているだけなので、
精神的にとても健全です。
要請されてPCのメールを使ってはいますが、
私にとっての「世界」とは、
肉眼で見て、手で触れることの出来る範囲を指します。
やっぱり、文明的には、昭和30年代の日本くらいの感じで、
ちょうど、良かったのじゃなかろうか、という気もしますが。
「世界」の広さ的に。
みんな、SNSで世界全体が繋がった、と言うけど、
じゃあ、自分が本当の危機に陥った時に、
その「繋がっている」仮想友だちの何人が、
肌を脱ぎ、身を切って、助けてくれるのか?
という問題だと思います。
仮想空間で友だちの輪を広げて行くよりも、
手の届く場所にいる人との「縁」を、もっと大切にすべきではないかと。
大国主が、私を通じて、人間社会に伝えようとしていることも、
そういうことなのではないかと思います。