【成吉思汗 マルタケ店主のジンギスカン観】其の一。







子供の頃、ジンギスカンはご馳走だった。人が集まれば春夏秋冬ジンギスカン。ワイワイ突き合い、笑顔がいっぱいな成吉思汗。

正月もクジラ汁やお煮しめや刺身など贅沢な料理が飽きれば「焼肉するがっ!!」の誰かの一言でソレが始まるのである。

ジンギスカンの時にはコーラかガラナもしくはサイダーを飲ましてもらえるのがオキマリだ。コーラは歯が溶けるから言われて、あまり飲ましてもらえなかった(笑)ちょっと特別な日。

函館出身。父は魚市場勤め。母は近所にある実家、鮮魚店で手伝いをしていた。

ウチのジンギスカンは焼いてから後でタレにつける"後づけ派"だ。

丸い円の冷凍マトンだった。

他と違うのはマトンと野菜の他に海老やらイカやら…もちろん肉の脂と相まって、今思えばなんとも言えない感じだったのが僕が小さい頃の「ご馳走の日 成吉思汗」だった。魚屋らしいジンギスカンだったんだろう。

今じゃ有り得ない(笑)

高校卒業後は札幌。学生の頃に集まればジンギスカン。そこで初めて食べたのが"漬け込み派"だ。

その時、美味しくいただいたのは覚えているが何回食べても僕の「ご馳走の日 成吉思汗」ではなくピンとこないのだ。今でもそう。

ピンとこない。

成吉思汗は家で食べるものだから、わざわざお店でジンギスカンを食べる事はしなかったが、ススキノで遊ぶ様になって「後づけ派の生ラムジンギスカン」を初めて食べた時、函館出身の「塩ラーメン」しか食べた事の無い人間が本当の「味噌ラーメン」を食べて、ビックリ⁈オイシかったのを覚えています。

お店を開く少し前。15年前くらいに出逢ったのが「塩ジンギスカン」というものだった。

酒もたいそう飲む歳頃だったので、ソレを食べて流し込む芋焼酎となんとも言えない美味しさで新鮮に感じた。

新しいスリコミだったので、ピンとは違う引き出しが増えた感じだった。

自分の成吉思汗観が少し変わった時期であった様な気がする。

其の二に続く。