普段、生徒に授業の形態でアプローチするときにいつも考えることがあります。それは今からしようとしていることが、
トレーニングをなのか(能力アップ)
知識の伝達をなのか(知識アップ)です。
例えば、聞くシーンを想定するならば、
聞き取りトレーニングに特化させるためなら
先行知識(すでに知っていること)と初めての知識とのバランスを意識します。
(”リンゴ”の方が”リュウガン”より聞き取れやすいということ。)
その代わり、聞き取るトレーニングなので、視覚支援はしません。
聞き取らせる知識の伝達に特化するなら
分かりやすく聞き取り見取れることを意識します。
(大きく声を出したり、滑舌を良くしたり、視覚からも入力したり・・・)
もちろん知識の伝達なので、聞く内容は初めての物が前提です。
けれど、上手くすれば効率よく兼ねることも可能ではないかとも思っています。
どちらも脳に何らかの記憶を貯めるという意味では一緒なのかもしれませんが、指導者が今していることを意識することは大切です。何をもって目標を達成するかが違うからです。
さて、どちらにしても、学習の最終形態は
そのことに習熟して、自力でできるようになるです。
指導者の立場からいうと
能力アップは、子どもの学習力アップに繋がり、今後の情報取得の成功率を上げ、子どもの生活の質を向上し、日常場面や日々の授業などからの学習を促進します。
知識アップは、今の行動を改善し、即効性をもって生活の質を改善します。しかし、知識がアップすると先行知識(知っていること)が増え、聞き取る力が結果的にアップします。
何やら混乱してきましたが、とどのつまりは両者のバランスなのだと思います。
聞き取り力がアップしても、何も知らなければ結局子どもは何もできないし、知識がアップしても、能力がアップしていなければ、環境が変わったときに新しい情報が取れずに、子どもは困り果てるかもしれません。また、どこまで伸ばそうと思っている力の伸びが期待できるかの見極めも大切です。
何が言いたいのかというと、
指導者は自分が支援者でなくなっても大丈夫なように、「その子の”自力でできる”を総合的にプロデュースする。」ことが大切だと思っています。
相手は人間、こちらも人間、変数だらけで混乱した関係ですが、指導する立場の者としては、子どもの将来の環境を考えながら、年齢に合わせたよりベターな指導ができればと思っています。言うのは簡単なのですけれど、なかなか理想には到達できませんね。