中国道の佐用JCTから進んだ鳥取道は
片側1車線のため遅いクルマがいると
車列が出来てなかなか進まなかった。
鳥取県東部の八頭郡八頭町が地元の
石破茂総理大臣も、この鳥取道を
東京へ往復するときなど使っているのかな️
鉄道好きの石破総理大臣のことなので
鉄道利用が主かな️などと考えたが、
なんとか河原インターで出られて、
まずは情報収集にインター横の道の駅
「清流茶屋かわはら」に立ち寄った。
ここで土産品を買いがてら、観光案内所で
旧鳥取県八頭郡河原町が平成になってから
建設した河原城についての情報を聞こうと、
道の駅からのアクセスなどを尋ねてみた。
️

城山まで案内看板が幾つもあるとのことで、

道の駅を出て千代川に架かる橋を渡ると
交差点ごとに案内看板があって、
道の駅から2km弱の道程を迷わず進めた。

城山の千代川沿いの市街地からの比高は
50mほどだろうか、城山の登り道に入り、
ヘアピンカーブ3つを登りきると
15台ほど駐車可能な駐車場と模擬天守閣が
丘の上に展開していた。
模擬天守閣は小高い場所に建っていて、
重機も登って行ける坂道も付いているが、
福祉車輌と関係車輌以外の坂道の通行は
禁止とのことだった。
️


このため駐車場に駐車して城門へ石段を登り、
模擬天守閣にアプローチした。

この河原城(丸山城)は、
因幡地方で最大の流域を持ち鳥取砂丘の横で
日本海に注ぐ一級河川の千代川に、
因幡地方南東角から北西へ流れる八東川が
合流する交通の要衝を眼下に見下ろす丘にある。
戦国時代の山名豊国が因幡守護大名の時代に
その重臣の武田高信の砦があったとされ、
そして山名豊国が安芸毛利氏に降り
居城の鳥取城が毛利氏の城になって、
織田信長の部将だった羽柴秀吉が攻めてきて
鳥取城を攻囲した前後に、この地に
陣を張っていたと言われる。
その古城跡とされるお城山の丘の上に、
1991年(平成3年)に鳥取市に合併前の
鳥取県八頭郡河原町(当時)が
竹下登内閣が推進したふるさと創生事業で
鉄筋コンクリートの模擬天守閣を建設した。

史実に無かった近世城郭の天守閣で、
羽柴秀吉の縁でつながるのか、近江長浜城
(滋賀県長浜市)の模擬天守閣とそっくり。
平成初期までは、全国の城跡に天守閣や
近世城郭そのものが存在しなかった自治体が
全国各地で史実にあり得ない、あるいは
史実の姿が判らず想像で外観を設計した
模擬天守閣を建設したケースがかなり多く、
旧河原町も史実無視で町のランドマークとなる
模擬天守閣を町として欲しがったのだろう。
河原町が模擬天守閣を建てたことは
ふるさと創生事業の全国自治体の
実施の仕方の報道の中で私も知り得たが、
その後鳥取県八頭郡河原町については
意外な場面で認識することになった。
河原町が河原城模擬天守閣を建てた数年後、
岐阜市内の郵便局で郵便配達アルバイト
(ゆうメイト)の仕事をしていたとき、
配達を担当していたエリアの中に頻繁に
「河原町」と書かれた公用車が停まっていて、
河原町とは何処の自治体だろう
️鳥取県か


遠い自治体の公用車が何故岐阜にいるのかな
️

と配達中に目撃するたびに思っていた。

視察のツテが私の配達区域にあるのだろうか
️

と推察してそのままになっていたが、
昨年10月に鳥取県倉吉市を訪れてから
その行きがけに通過した因幡地方も興味を持ち、
因幡地方で訪問出来るスポットを探す中で
再び「河原町」「河原城」の名を見た。

鳥取市に合併したかなり後だったが、
あの岐阜に公用車が来ていた河原町だな



史実無視の模擬天守閣を建てた河原町だな

と思い出して、因幡地方で最も訪れたい、
ここを目的地にしても良いと思える
旅行プランの目標地になった。
因幡地方については、鳥取県最大の近世城郭の
鳥取城のすぐ前にある鳥取県立博物館が
倉吉に県立美術館を分離独立させたことにより
展示や内装をリニューアルしたと知って、
最初は鳥取県立博物館を旅の目的地にしたが、
因幡地方は非常に広い範囲で、
鳥取市内で宿泊してようやく全域回れると
訪問スポットを調べるうちに気付いた。

そして因幡地方南部の八頭郡地域は
兵庫県播磨地方の北西部に隣接していて
姫路方面からアクセスが良いと分かり、
鳥取市街以遠と八頭郡(鳥取市に合併した
河原町や用瀬町エリアも含む)地域を
分けて観光に訪れても良いと考えた。



そこで姫路の兵庫県立歴史博物館と
河原城がセットになったのが今回のクルマ旅で、
その姫路と河原の間に位置する
兵庫県の宍粟市と岡山県美作市大原を
2年半前にクルマで訪れていたことも
今回兵庫県姫路と鳥取県河原の位置関係や
連絡する道筋を把握するうえで大きかった。
今回利用した鳥取道は、昨年10月に利用した
智頭急行智頭線にピッタリ並行していて、



兵庫県の佐用町から岡山県美作市に出て、
温泉施設のある西粟倉村の先で鳥取県へ入り、
八頭郡智頭町・旧八頭郡用瀬町を経て
旧八頭郡河原町に入る。
しかし智頭急行智頭線が合流したJR因美線は
千代川と八東川の合流点より前で東へ折れて
八頭郡八頭町の郡家駅から鳥取駅へ向かうため、
河原城には鉄道利用での訪問は難しい。
JR因美線の河原駅から河原城までは3km余り
歩かなければならず、列車本数も限られている。
クルマならば河原城も楽に訪れられるが、
JR因美線から何kmも離れていると知って、
クルマでの訪問を即断せざるを得なかった。

駐車場から城門へ登り模擬天守閣に近づくと、
「八上姫と大国主命の出逢いの地」という、
白ウサギが2人のキューピットになったことも
表している石像が建っていて、

河原町地域に伝わる八上姫(比売)伝説も
大事に表現されている。
模擬天守閣の玄関へ進むと、
模擬天守閣内部の説明と
金の鯱の展示があり、
玄関扉の中に入ると入城受付と
ちょっとした土産物売り場がある。
入城は有料で大人300円だった。
そして階段を上がると2階と3階が
旧八頭郡河原町を説明するスペースで、
旧河原町域を通っていた鳥取藩池田氏の
大名行列の様子の模型ジオラマもある。
全国各地の模擬天守閣は、
その大部分が同様の地域の歴史や
特性を紹介する資料館施設になっていて、
先に写真を出した滋賀県長浜市の
長浜城模擬天守閣も内部は歴史博物館で、
愛知県清須市の清洲城模擬天守閣も
内部は同様の歴史資料館であり、
岐阜県大垣市墨俣町(旧安八郡墨俣町)の
墨俣一夜城の跡に建てられた模擬天守閣も、
最上階の展望台以外はこの河原城と同様の
旧墨俣町歴史資料館になっている。
河原城模擬天守閣もまた、2階・3階の
資料館スペースを見て最上階へ上がると、
扉を開けて欄干が巡るのみになっていて、
山頂にあるだけに360°すべてを見渡せる
抜群の眺望が広がっている。
北側には千代川と八東川の合流点と、その先に
鳥取城のある久松山と麓の鳥取市街も見える。
その反対側の南方向は、
兵庫・岡山両県境に続く山並みと
流れ出てくる千代川が眺められる。
この模擬天守閣が建つ丘が
いかに重要な土地かよく分かり、
羽柴秀吉が鳥取平野に大軍を出す前に
この丘に立ち寄った理由も分かるようだ。
最上階まで行ったら1階へ戻り、
土産物売り場で売っていた全国のアイスが
気になって、沖縄の海ぶどうアイスを購入し
駐車場に下りてから食べた。

ミルクの味の中に若干の塩味があるだけで、
果物味とは違った味覚だった。
河原城を退出すると、千代川を渡って
鳥取県道287号河原郡家線を東へ走った。

旧河原町の東の八頭町郡家の郡家駅へ、
若桜鉄道若桜線を見に行きたくて、
駅や車両を見たり、出来れば郡家駅に駐車して
若桜鉄道若桜線に乗車したいと思っていた。
しかし、郡家駅に到着したら、
一般用の駐車場は駅前にまったく無く、
特急乗車客など前日夜までにWEB予約を
申し込んだ人しか駐車場に入れなかった。
残念だが仕方がない。



それならば、
若桜鉄道若桜線の八東川対岸を走る
国道29号線で若桜鉄道若桜線の終点の
若桜駅の駅前へ行こう
と、


郡家駅前から30分ちょっと国道を走り
若桜駅の駅前広場・プラス道の駅へ
クルマを走らせた。

しかし、駐車場は満車で、何か様子が違う。
駅前の立て看板など見ると、
この日の夕方から花火大会がある様子。

花火大会のため駅前広場の半分を
立入禁止にしていて、駐車場も満車だった。
若桜駅は道の駅の反対側の旧市街地側にも
出入口があるので一応行ってみたが、
やはり駐車出来る場所はなく、地元民が
続々と旧市街地へ歩いていた。
結局この日は若桜鉄道若桜線には
縁が無かったのだなとあきらめ、
国道29号線を兵庫県方面へ走り、
戸倉峠を越えて兵庫県宍粟市に入った。
そして、帰り道でガソリンを入れなければと
国道29号線で姫路市に入るまでに
出光のスタンドはあるかな
️と走って行き、

山崎を越え姫路市の林田まで走って
ようやく見つけて給油に入った。

林田まで出ると姫路市街を横断するしか無く、
まっすぐ「書写街道」を進むと姫路城の
目の前に出てしまうと思って道を逸れたら
東洋大姫路高校のすぐ前に出た。

そして姫路平野の北の山沿いを
延々と混雑した車線とは逆の東方向へ走り、
陸上自衛隊駐屯地や姫路競馬場の前を通り
行きに姫路城を目指して下りてきた
山陽道の山陽姫路東インターへ行き、
高速自動車道に入って帰路についた。
この日は朝食も昼食も高速道路上だったため
名神を大津インターで一度下りて、
国道1号線の沿線のJR膳所駅裏の
来来亭に夕食に寄った。

そして国道1号線を栗東まで走り、
再び名神に入って帰宅した。