美意識
映像を作る者にとって
何を美しいと思い、何を思わないか
それだけではないと思う
例え一見何でもないものを
撮るからにはただ撮るのではなく
最高の形で撮り収める
もちろんその為には
カメラを構える前から
それと向き合い、
美しさを見つける事が大切だ
その時、その姿にばかり捕われていると
本当の美しさは見えてこない
そこに見る人の愛情を注ぎ込む
それが好きな人の思いを背負ってみる
創作の場合はその人が自分である事が多いが
ドラマの場合は相手役の思いだったり
CMの場合は消費者や、製造者の思いも関係する
いくら美しいと思った物であっても
それを撮るだけでは
「記録」「説明」以上の物は生まれない
だから結局は人間の感性の力なんだ
だから美意識は千差万別なんだ
そういう意識で最近の映像作品を見ていると
「記録」や「説明」が多すぎるので嫌になる
先日幾つかの作品を立て続けに観ることがあったが
美しいと思えるカットは一つしかなかった
シーンではない
カットだ。
そこで私は気付いてしまった
美意識がずれているのは自分なんだと
僕には今の大衆が美しいと思える物は作り得ないのだと
その場を立ち去り
どうしようもない絶望感を感じながら歩いた
この差は今更歩み寄れる物ではない
それから三日程経っているが
その絶望は変わっていない
ただ、もう一つ
怒りにも似たやる気が湧いてきている
だったら貫いてやろう
たくさんの人に楽しんでもらいたいという気持ちは
今も強くあるけど
一度諦めよう
人の作品に文句を言うのはもうやめよう
自分の目と感性を濁らせない為に
ただただ自分の美意識を磨き、従うしかない
そこには未知も闘いもまだまだある
決心したからと言ってすぐに美しい物が作れる筈はないけど
でも真っすぐそれに向かって生き抜こう
止まらない方法はもうそれしかないよ