自民党総裁選に想うこと「日本を優しい易しい国」にしていきたい~私の変わらない想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

 

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ひとり一人の「こうどう=考動~by入道」の絶え間ない積み重ねで

       「日本の社会」を「日本と言う国」を

       ひとり一人が活き活きと楽しく働き

      楽しい活き活きとした人生の一日を

           積み重ねている社会、国

『ヒトに優しい&易しい国』に日本をしていきたい

     ~私の変わらない想い~     by   入道

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               今回も私の歳の離れた友達

       秋葉原のアトリエを基地として世界への羽ばたきをされている

     画家の田中拓馬さんが素敵な挿絵をご厚意で画いてくださいました。

            拓馬さん、お心をありがとうございます。

      田中拓馬さんのネットページも訪ねていただければと思います。

              http://tanakatakuma.com/

                https://ttakuma.thebase.in/

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  自由民主党の「総裁選」

 連日報道されている4人の候補者のみなさんの「想い」・・・それぞれの「想い」をそれぞれの「言葉」と「表情」で表現されておられます。
 この選挙戦、報道でもまた投げかける質問も「政策」についての質疑が大半なのですが、私はものすごく単純に日本の明日をどうしていきたいのか」「明日の日本をどんな国・社会にしていきたいのか」、言ってみれば「政策各論の前提となる」「明日をどうしていきたいのか」の「想いの根幹」『想いの根っこ』を聞いてみたい・・・正直にそう感じています。

  また国民ひとり一人が「こうあって欲しい」「こんな国でありたい」・・・その実現は「首相」「与党の総裁」そして「国会議員の先生方」によって行われるのではなく「入り口」は「ひとり一人の国民が自分自身で「明日への想い」を創り上げて」、人ひとりが「こうどう=考え動く、by入道」していくことによって成し遂げられていくもの、私はそう感じ続けています。

そんな私の想いからの今回のブログテーマを決めました。私の想いの一端を・・・。

 

今回のブログテーマを実現していくには、「日本をヒトに優しい国」にしていくために・・・を実現していくには・・・・

 

私の答え(=想い)は簡単・単純なものです。

      

               ひとり一人が

   『ひと・にんげんって単体・一人では生きていけない

            助けあってはじめて

    「今そしてこれからの自分」、生活が存在する』

    こんな簡単な「あたりまえ」に戻ればいいんです

 

       ひと・にんげんってみんな弱いんだ

                 ⇩

          だから「助けあう」のです。

         

                     挿絵は田中拓馬画伯 画
 

「にんげんはみんな『弱いんだ』」の原点に戻ればいい、のです。

そう、ここから始めればいい、そう想います。

 

            強くなくてはいけない

       強いもの(=勝者)でなければいけない

       こんな考え方・動き方をやめたらいい

                どうして?

   にんげんってみんなみんな一人じゃいきてはいけない

        仲間と群れ・集団を形成することで

          生きていくことのできる動物

    ひとり一人はとってもとっても弱い存在なんだから


 

●単純なんです。みんな誰でも弱いんだぁから始めれば、いつもあたりまえに助け・助けられが想い浮かびます。

 

★逆に「にんげんは強くなければ」「勝ち組にいなければ」なんて想うと助けを請う動きには絶対になりませんし、仮にそんな人が助けを求めたとしても誰も助けてはくれません

 

みんな弱いと想うから「みんなで力合わせて」「助け合って」となりますが「にんげんはみんな強いんだ」「強くなければいけないんだ」と想うと「ひとりだけ」なんです。

        

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●でも、残念ながら?現在の社会では強いものが称えられる状況はまだまだ変わっておりません。続いています。

  

強者とは賢い人間あるいはいわゆる「勝ち組」と言われる人たち。

 

●勝ち負けはお金とか順位とか「数字」で決めている、決められているんだとも感じています。

 

★そして、残念なのですが現在の社会のものさしはそうなってしまっています。

 

              現実はいつのまにか・・・

  「強者」「勝ち組」が称えられる社会になってしまっています

     他人を蹴飛ばして、他人に勝って「自分だけが」

                 そして

      強者・勝者の「ものさし」の大きな部分は

          「お金」「順位」とかの数字

                  ⇩

   ものさしが「みんな」ではなく「自分だけ」になっているのに

           誰もおかしいと口にはしない

 

●何故なのでしょうか。

 

●私はみんな身勝手な勘違いに陥ったことにある」と思っています。

 

■昭和から平成までの長く続いたバブル期が人間・日本人の心を「生活のため」から「欲望を満たすため」変えた(=人間・日本人の生きるものさしを変えた)、そしてその「ものさし」が今も生きている・・・・

ここに原因があるのではと感じています。

 

              自分勝手な勘違い

 

      自分が誰か(他人)に何ができるのかを

           まったく考えることなく

  誰か(他人)が自分に何をしてくれるのかだけを考え求める

     人間集団・社会、日本になってしまった

                ⇑

   単体・一人では生きていくことのできない弱い弱い動物

       『ヒト』としてのあたりまえに戻りさえすれば

           そんなことはあり得ない

                 ||

       今を、今日を懸命に生きていくことで

          明日を迎えることができる

       (今日生き抜かなければ明日はない・・)

 

 

一億総中流と称されるようになってから「生きること」(=生を続けて行くこと)に一生懸命になることが必要なくなり、みんな何もしなくても?当然、あたりまえに「明日」がむかえられる・・・

 社会全体がそうなってしまった、そうなっているからだ、と思います。

 

◆残念ながら、私を含めて、ほとんどの日本人は「明日を迎えるために今日を一生懸命生きていく」の状態には戻っておりません。

 

 

●では、どうすれば・・・・?

 

私の回答は冒頭にも記しました、「人としての原点」にもどろうよ!!!!!これだけです。

 

●そう、ヒトの原点に立ち還ればいいのです。

その「原点」とは・・・・・

   ひとはひとりでは生きていくことはできない弱い動物

        仲間と一緒に群れ・集団を形成することで

        はじめて生き続けていくことができる弱い動物

                     (肉食獣に食べられてしまう動物)

だと言うことです。

         

                       挿絵は田中拓馬画伯 画

 

生きていくことは助け合うこと、

 生きていくことは誰かの助けを借り

 誰かの手助けをしていくこと

 これがヒトの原点であり「あたりまえ」なのだと思います。

 

生きて行くことだけでなく、働くことも経営することも同じです。

 

自分一人ではできない

    でも、他の人の手助けがあれば

                できるようになる。

 

☆何でもできるヒトにならねばならない、

   年長者なんだから

              先輩なんだから

   課長・部長なんだから

              取締役なんだから

   そして社長なんだから

       『〇〇しなければならない』

       『〇〇できなければならない』

こんな想い(上記)の呪縛からご自身を解き放ってみたら どうでしょうか。

 

●自分は「できないことがある」(=弱い)

 だから、そこをできる人に「助けて」もらおう

 

私自身、かつて年々どんどん兼務で領域が拡がり壁にぶち当たった時の強烈な想い悩みの中で上記のように想い始めそのとおりの動きをし始めて「すごく楽になりました」(特に心の状態が)

 

★そして結果として

「どんどん担当領域が拡がっていきました」

    「自身の活動領域を拡げていけました」。

 

未経験の事業領域でも業種でも職種でも・・仕事でなく生きて行く時にも怖くはありません。できます。

 

誰かに助けてもらえばいいのです。

誰か貴方を助けてくれる人がいてくれればいい、のです。

 

●そのような時に私が頻繁に使っていた3つの言葉があります。

むずかしくありません、単純ですそして「あたりまえの言葉」です。

 

                『ありがとう』

              『ごめんなさい』

 そして

                『頼むよ、助けてください』

 

●これが私自身が「最初は意識的に」そしてとある時からは「無意識に」使い続けた、使い続けたい3つの言葉だったんです。

 

人間(=社会に生きるヒト)は、特に「日本人」は「助け助けられ」の心と動きが備わっていた(いる)人たちと私は思います。

        

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

日本人の「特性」「特質」「日本人らしさ」を再認識して「助け助けられの国」「助け助けられの社会」のデザインを共有して、その実現のための動きをひとり一人が重ねていけば、日本はきっときっと「楽しい活き活きとした国・社会」と成っていくのでは・・・そう思いますし、そう信じたいと思います。

 

    今回も最終行にまでお眼を進めていただきありがとうございます。

             連日の自由民主党総裁選の報道・・・

     今回のブログのきっかけにもなった私の一つの想いがあります

 

      それは「マスコミ等からの4人の候補者に対する質問が

 「貴方は日本をどんな国にしていきたいのですか」というような「目的」

  問うことなしにいきなり「手段」としての「政策」」についてになっている

                   ということです。

 

              色々な「政策」「施策」は「手段

        「日本をいい国にしていくための手段」なのですから

 やはり「目的」となる「日本をいい国に」の「いい国」の「いい」とは何なのか

  明確にしていく、ここが入り口ですし、一番に明確にしていくことなのだと

                  強く感じています。

 

       「目的」が異なれば当然に「手段」としての「施策」も異なる

              異なってあたりまえなのですから。

 

                                 ありがとうございます。 

                   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)