<<ブログ 331>>
2022年6月14日ニューヨーク外為市場
1ドル=135円48銭
24年ぶりの「円安」水準報道から想うことの②
②全世界を
「欲望経済」を「生活経済」に
もどしていくことが大切なのでは
~私の変わらない想い~ by 入道
====================================
今回も東京秋葉原のアトリエを基地として
世界への羽ばたきを重ねておられるちょっと年の離れた友達
画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を
画いてくださいました。
拓馬さん、ありがとうございます。
田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければと思います。
http://www.takumatanaka.info
====================================
前回の<<ブログ330「円安・円高」から想うこと>>の
「続き」として②を書き始めていたのですが、
7月2日の未明に発生した
KDDIでの完全復旧に3日半要した「通信障害」が
更に想いを大きくしています。
為替・為替レートとは本来「国力」によって
決められるものなのだと思います
今、為替レートは刻々と、コンマ秒単位で変化しています
「国力の変化」は「コンマ秒」で
きちんと把握できるのでしょうか。
せいぜい「月一」なのでは・・・そんな素朴な?
私の想いから・・・・・
★円高、円安・・・前回記した「為替レート」をややこしく?
しているのは、もはや「国力」で「為替レート」が形成され
ているのではない、ということだとも思っています。
★現状、為替レートは刻々と変化しています。
★元々の為替レートは「国力」と考えれば、国力がそんなに
刻々と変化するなんてことは考えられません。
価格の成り立ちの「意味」が変わってしまった
為替と株価
(元々、本来) 為替・・・・・国力
株価・・・・・企業力
今は「違う」、そう想わなければ理解することはできない
アナウンス効果だけで「為替レート」「株価」が
決められている!!!
今の為替レートそして株価は「誰が」「何を基準」として
決めているのか?
⇩ ⇩ ⇩ ⇩
「実業」(生活経済 by 入道) から
ゲーム化経済(欲望経済 by入道)へ転換!!??
●大変に妙な表現で恐縮なのですが、今の為替レートは
「投機(敢えて「投資」とは言いません)
ゲーム」の世界の「交換レート」
になってしまっている、そう想い続けています。
●今更、「金の保有残高に基づくレート」なんてことを言う
つもりは全くありませんが、
正直、今の「為替レート」は誰が何を基準
として決めているのか、
ものすごく疑問を感ずるところです。
★あたりまえになっている「刻々と1秒の
間にも変化している為替レート
これっておかしくないのでしょうか。
そう考えることがおかしい、のでしょうか。
●逆に考えます。
●世界中での「円の買い」と「円の売り」の情勢によって
「レート」は変わっています。
しかも前述しましたように「刻々と」。
●これができるようになってしまったことに
私は「おかしさの源」があるのでは、と思っています。
●「人間をおかしくさせている源」があると
想うのです。
★そして未来に向けて改めて考えることも必要なのでは、
とも感じています。
「これからの為替レート」の在り方どうする????
固定相場制
↓
変動相場制
↓
??????????
変動相場制
外為市場(マーケット)における当該通貨に対する
需要と供給=買いと売りの関係に任せてレートを
自由に決める制度
★私が社会人になったころは「固定相場」でしたので
「変動相場」になってからたぶん、まだ50年位なのでは。
調べてみました。
★国際的に「変動相場制」になったのは1976年。
その3年前の1973年に日本を含んだ先進各国は
変動制に切り替えていました。
●私はこの世界の素人・・。
●背景にはさまざまなことがあったとは思いますが、ここ
ではそれを調べることはしないで、
「何で今のような投機的な形の外為
マーケット」、私の表現で言えば「外貨ゲーム
的マーケット?」になってしまったのか、
何で瞬間瞬間でレートを変化させることができるのか
経済社会のおかしな変化
??人間の「満足のものさし」のおかしな変化??
??「生活」を満たしていくための経済から
「欲望」を満たすための経済へ
変わってきてしまっている。
??ゲーム化経済への変化
?経済に「金儲けゲーム」を組み込んでしまった
⇑ ⇑ ⇑
「IT」行き過ぎた人間の「頭(かしこさ)」
「心(やさしさ)」が忘れられている!!!
●私の答えはひとつ「通信とコンピュータ技術」、
まとめてしまうと「IT技術」の発達、これなくしては今のよう
な「ゲーム的マーケット」は維持することはできません。
日本国内の「株式マーケット」も全く同じだと思います
★「通信とコンピュータ(=IT)の驚異的な技術革新が
あったからできること」「できていること」なんだと思いま
す。
★20世紀間もなく終わりのころから21世紀の今まで
「この約50年」でしかやられていないこと、なんです。
●でも!!
●この約50年が「人間は生活(=社会で生きる)から離れた
『欲望』を満たす」ゲーム化経済社会に
挿絵は田中拓馬画伯 画
◆私の表現ですと「生活経済から欲望経済へ」
経済に『金儲けゲーム』を組み込んでしまった、のではと
なります。
◆約50年前の固定相場の時代、私が社会人生活をスター
トした51年前(1971年)、パソコンどころか、コピーは青焼き、
携帯電話もファックスも、確か「電卓」もなかった、
仙台出張は夜行寝台で・・・
◆でも、そんな状況でも企業は国際ビジネスを営んでい
ましたし、国内外の出張もありました。
◆忙しかったけれども言い切れば「人間性一杯」の
時だったと思います。それが今・・・・
人間は「IT技術」の使い方を誤ってしまった
私の正直な想いです。
◆人間が「技術を使っていた」「技術を人間生活の『手段』とし
てきちんと使っていた」状況が、いつの間にか、わずか数十年
の間に、「IT技術に人間が使われてしまう」
状態?になってしまっているのではないのでしょうか。
私は素直にそう感じています。
◆「人間から人間らしさを取り去ってしまった」大きな要因
が行き過ぎた、使い方を間違えつつある
「IT商品」だとも思っています。
コンピュータ・携帯電話・・・・
★でも、「IT商品・製品」に責任はありません。
責任はそれらを使う「人間の心」にあるの
です。
私、そう思っています。
★「実生活を豊かにしていくために・人間性を増して
いくために」の物差しで改めて考える時期にきているのでは
ないでしょうか。
★「脱ゲーム化社会」。
「人間中心の生活経済社会」へ。
●ゲーム・・・・
この言葉で学生時代に学んだ「ゲームの理論」を
思いだしました。
●ゲーム理論の前提は
・各人は自己の利益を最大化するように行動する
・その時に各人は合理的に判断して自己の戦略を
決定する
・他者=競争相手のとる戦略を予想して自己の戦略
をたてる・・・こと。
ゲーム理論: Theory Of Games
1928年フォン・ノイマン「ゲームの理論」
1944年フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルン
「ゲーム理論と経済行動」
ゲーム理論の「前提」
●各人は自己の利益を最大化するように行動する。
●その時に各人は合理的に判断して事故の戦略を
決定する。
●従って、他者=競争相手のとる戦略を予想して自己の
戦略をたてる。
そして!!!!!この理論の出発点、
それは「プレーヤー2人のゼロサムゲーム」
(双方の勝ち負けの総和は常に「0 ゼロ」)
⇓
(全員が勝つことはない)
●単純化してしまえば「ゲームはゼロサム」、「勝ち負け
の合計はチャラ(=ゼロ)」。
「みんなが勝つゲームはない」のです。
★人間社会をこんなゲーム世界にしては
挿絵は田中拓馬画伯 画
★『現実』と人間の頭=かしこさの作品「通信とコン
ピュータが創りだした『バーチャルな世界』が混在しており、
徐々にと言うか、勢い持ってバーチャルが現実を
飲み込み始めているのが今、」。
言い過ぎなのか、とは思いますが正直にそんな気持ちにも
なっております。
今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
ありがとうございます。
正直、たまに今存在しているbusinessの中から
コンピュータと通信の両方が無ければできないビジネスを
止めたら世界はどうなるんだろう
何年前の状態に戻るのだろか・・・・色々と考える時があります。
コンピュータそして通信技術
素晴らしい「手段・道具」であることは否定しません
その使い方をちょっと間違えてはいないのかな
私の正直な想いです。
ありがとうございます。
にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入むら道お)