民の声新聞 -9ページ目

給餌続ける女性の涙。「アホな人間のせいでごめんね」~飯舘村の犬猫たちが強いられる孤独と被曝

原発事故の犠牲者は人間だけではない。家族同然に生活を共にしていた犬や猫たちも孤独や被曝を強いられているのだ。15日、飯舘村に残された犬や猫たちに無償で給餌を続けている野口圭子さんに同行した。全村避難中の同村は、仮設住宅でのペット飼育を禁じている。犬たちが震えているのは厳しい寒さのせいか、寂しさか、はたまた怒りか。「これこそ人災ですよ」。涙ながらに食事を与えながら野口さんは動物たちを抱きしめる。「アホな人間のせいでごめんね」。


【犬は泣く。「独りぼっちにしないで」】

 犬は泣いた。かん高い声でいつまでも泣いていた。それはまるで、「もう、独りぼっちにしないで」と叫んでいるようだった。「私も、いつもここで泣いてしまうんですよ」。野口さんの目にも涙が浮かんでいる。「ずっと一緒にいられなくてごめんね」。犬を抱きしめながら謝る。胸に去来するのは哀しみであり、悔しさであり、人間の愚行に対する謝罪。原発事故さえなければ、この子たちにこんな想いをさせずに済んだ。しかし、感傷に浸っていては他の動物たちに会うことが出来なくなってしまう。「どうしよう…。帰れない」。意を決するように車に乗り込む。ルームミラー越しに、車を目で追う犬たちの姿が見える。「この瞬間が本当につらいです。耐えられないですよ。この子たちには何の罪もないのですから」。

 福島第一原発の爆発で拡散された放射性物質は飯舘村にも降り注ぎ、全村避難が続いている。日中の出入りは自由だが、宿泊は不可。加えて、福島市などに用意された仮設住宅へのペット同行が禁じられたため、犬や猫たちは高濃度に汚染された自宅に取り残される形となった。被曝と孤独を強いられながら、暑い夏も寒い冬も飼い主の帰りを待つ。バケツの水は、数センチの厚さで凍っていた、「4年もああやって待っているんですよ…。本当に酷いです。飼い主の方だって、大変な想いで避難しているんですよね」。

 4年間で犬や猫たちの名前を覚えるまでになった。犬の散歩も飼い主から託されている。積雪が深くなり始めたためわずか十数分間だが、つかの間の散歩でも犬たちの表情は大きく変わる。「また私と一緒に散歩してね」。そう言う野口さんに、犬たちは「もっと一緒にいて」と甘える。そして再び、涙。猫たちも遠くから見つめている。「これこそ人災ですよね」。総選挙もアベノミクスも無縁な動物たちは、ただ人間の身勝手さに振り回されるばかりなのだ。
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原発事故以降、無償で給餌を続けている野口さん。

孤独と被曝を強いられている動物たちからは熱烈な

歓迎を受ける。野口さんは「一緒にいられなくてごめ

んね」と涙ながらに謝る

=飯舘村


【六ケ所村で見た電力会社の不誠実】

 この日は郡山市内を午前6時に1人で出発。自らレンタカーを運転し、午前8時すぎには飯舘村に入った。トランクには動物たちの食事がぎっしりと積み込まれている。「雪道の運転には慣れてなくて時間がかかってしまいました」。連日の雪で道路は真っ白。青空が広がるが、氷点下の寒風が吹きつけ地吹雪が舞う。真冬の給餌は寒さと時間との闘い。午後5時には完全に真っ暗になってしまう。一軒でも多く巡りたい。除染作業員の間を縫うように先を急いだ。
 都内在住の野口さんは、動物保護団体などに属することなく2011年4月から1人で動物たちの世話を続けている。若い頃、映画「チェルノブイリクライシス」の日本上映に携わったことが、原発問題に触れるきっかけとなった。青森県六ケ所村にも足を運び、使用済み核燃料の再処理工場反対運動を目の当たりにした。「あの時の日本原燃社員の不誠実さは、今の東電と一緒でした」。だから福島第一原発の爆発事故は他人事とは思えなかった。自分に何ができるか。動物看護師の資格を持つ野口さんが選んだのは、飼い主と離れ離れにされてしまった動物たちの世話だった。

 百円ショップでホワイトボードを買い、訪れた家に用件と電話番号を書き残した。飼い主から礼の電話をもらったり、返事が書き残されてあったりして徐々に交流が深まっていった。動物の怪我や病気に気付いた時には、了承を得て病院に連れて行ったこともある。「置き餌も良し悪しなんです。イノシシなどを引き寄せてしまう。だから、頻繁に帰宅なさっている家では量を少なめにしています」。

 1回にかかる費用は3万5千円ほど。多い月は10万円を超す出費となる。寄付を募っているわけでもなく、「月給の半分以上を給餌に使ってます」と苦笑するが、愚痴は一切こぼさない。昼食は、おにぎりを車内で食べて済ます。「勝手に体が動いてしまう。気付いたら村に来ているんです」。

 26軒目の給餌と犬の散歩を終えた時、時計の針は午後5時を回っていた。「真っ暗になってしまったので仕方ないですね。後は明日にします」。そう言って、野口さんは郡山市内の宿へ戻った。

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レンタカーに餌をたくさん積んで飯舘村を訪れる。

犬だけでなく猫やニワトリ、豚の食事も。多い月は10

万円ほどかかるが、すべて自前。「逢いたくて来てし

まうんです。私は遊んでもらってるだけですよ」


【避難先に連れて行かれない苦悩】

 帰宅中の飼い主との会話は楽しみであり、励まされる。

 福島市の民間借り上げ住宅で暮らす男性は、愛犬に食事を与える野口さんに「いつもすみません」と頭を下げた。「家主さんは飼っても良いって言ってくれてるんだけど、何だか『飯舘から避難して来て犬まで連れて来ている』って周りから思われるのが嫌でね…」。愛犬が食べ残した食事をキツネが狙ってくるが、「吠えることもなく、仲良く一緒に食べてるよ」と目を細める。
 別の60代男性は、数匹の猫を自宅に残したまま、福島市内の仮設住宅に避難した。先祖代々、農家を続けて来た。かつては葉たばこであり、最近はインゲン豆。しかし、再び自宅で暮らすことも野菜作りも見通しが立たないまま4度目の正月を迎えようとしている。「この家を30代の息子に引き継ぎたいけど、ここに帰ってくるかどうか分からないからね…。総選挙なんかやってないで、早く何とかして欲しいよ」。
 給餌を終え、次の家に向かうまでの間の景色は常に同じ。除染作業員と真っ黒いフレコンバッグの山、山、山。しかし、除染が済んだという家でも、地表真上で10μSv/hを超すことも珍しくなく、犬と同じ視線の高さで1.4μSv/hを超した家もあった。孤独と被曝の二重苦を強いられている動物たちの世話をすることで、「少しでも一緒の時間を共有できれば
…。ほんの一瞬ですけどね」と野口さんは話す。
 「再び飼い主と一緒に暮らせる日が来るまで、給餌を続けて行きます」。野口さんの足元では、2011年に飯舘村で初めて出会った犬の「クマ」が、あおむけになって気持ちよさそうに撫でられていた。


(了)

脱被曝に後ろ向きな松戸市。公園などでの土壌測定を完全拒否~DELI議員が一般質問

「国が国が」と並べた挙げ句、最後は「空間線量を測るだけで十分」。松戸市幹部には子どもたちを放射線から守る気概のかけらもなかった─。11日午後、同市議会で当選後初めて一般質問に立ったDELI議員(39)。「高さ50㎝で空間線量を測るだけでは線源を見つけられない」などと行政による土壌測定を求めたが、市側は完全拒否。血液検査や心電図検査への助成についても拒んだ。「市長の見解は?」との求めに対しても、本郷谷健次市長は無視して答弁せず。汚染と向き合わない行政の姿勢が改めて浮き彫りとなった



【呼吸による内部被曝は考慮せず】

 DELI議員のいら立ちが傍聴席にまで伝わって来るようだった。それほど当局が、木で鼻をくくったような答弁を繰り返したからだ。

 まず答弁に立ったのは、環境部長。「0.23μSv/h未満になるよう放射線低減対策をとってきた。その基準が市民の健康を守れないとは考えていない」と胸を張った。「1kgあたり8000ベクレルを超えるような土壌が市内に点在している可能性は否定できない」としながらも、「そのような土壌が大量に存在すれば空間線量にも影響が出るはず。空間線量を管理していけば、市民の年1mSvは達成できる」、「これまでも、子どもたちへの影響を最大限に考慮してきた」などと述べ、行政による土壌測定の実施を完全に拒否した。

 再質問に対しても、「年1回の空間線量測定で十分だ。仮に0.23μSv/hを超えれば、すぐに除染できる体制を整えている」などと否定的な答弁。挙げ句には、「(鼻や口から放射性物質を吸い込むことによる)内部被曝に関しては国から指針が示されていない」とし、これまでも今後も、0.23μSv/hを基準とした外部被曝のみを考慮していく方針を強調した。

 「市民の間には、被曝に対する考え方が様々ある」。そう答弁したのは健康福祉部長。松戸市ではこれまで、WBCによる内部被曝検査や甲状腺の超音波(エコー)検査に対してそれぞれ5000円、3000円を上限として助成しているが、今年10月末までにWBC検査を250人、エコー検査は47人が受けたという。DELI議員は助成対象を血液検査や心電図検査にまで拡大するよう求めたが、ここでも「国から方向性が示されていない」と否定。「松戸市では甲状腺への影響は低いのではないか、との専門家の見解がある」とも述べ、健康被害そのものを危惧していないことを明らかにした。
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初めて一般質問を行ったDELI議員。土壌測定の実施

を再三求めたが、市側は完全拒否。本郷谷市長は腕

組みしたまま答弁すらしなかった

=木村芳正氏提供


【「安全安心な給食を提供している」】

 「子どもはしゃがんで遊ぶこともある。口や鼻から吸い込めば、その先には重要な臓器がある。なぜ土自体を測らないのか理解できない」

 DELI議員が土壌測定にこだわる背景には、自身が市内の公園で行ってきた空間線量と土壌汚染の測定がある。「市内には、1kgあたり1万ベクレルを超える土壌が点在している。でも、高さ50㎝で空間線量を測ると、0.23μSv/hを超えない。つまりは、除染の対象外になって汚染が放置されてしまう」と壇上から訴えた。実際、10万ベクレルを超える土壌を見つけた際には市役所に通報し、除染が行われたが「10万ベクレルだったからではなく、0.23μSv/hを超えていたから。こんな状況では、市民が自費で土壌測定をしたとしても、どうしようもない」と土壌測定の必要性を訴えた。

 血液検査については「ストロンチウムが市内に存在するのか、初期被曝がどれだけあったのか、市民には知るすべもない」と強調したが拒否。学校給食の産地表示についても「まだまだ不安を抱いている市民はいる。できれば献立ごとの産地を事前に提示することを義務付けられないか」と迫ったが、学校教育部長は「現在でも使用が予定される食材のサンプリング検査は行っており、市のホームページなどでお知らせしている。これまで放射性セシウムは検出されておらず(市によると、下限値は「概ね10ベクレル」)、安全安心な給食を提供している」と答弁。現行方式を変更する予定はないことを示した。

 最も酷かったのが本郷谷市長だ。DELI議員は「子どもを被曝から守るには土壌を測るしかないと考えている。市長の見解を伺いたい」と答弁を求めたが、市長は着席したまま微動だにせず無視。議長も答弁を促すことをしなかった。
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DELI議員は選挙期間中、自身が行った土壌測定の

結果をまとめたチラシを市民に配った。「これからも

強烈に要望し続けます」


【「これからも強烈に要望し続けます」】

 怒りをグッと抑えて「市長の見解を伺いたかったが残念」と述べるにとどまったDELI議員。「私は『脱被曝』だけを掲げて当選しました。脱被曝に対する一定のニーズを市議会に届ける義務があります」と述べ、今後もブレることなく当局を質していくと〝宣言〟。

 野次を飛ばすことなく聴いていた議員たちを前に「今は原発事故の被害者だが、このまま汚染と向き合わず国の原発再稼働も『しかたない』と容認してしまったら、将来の子どもたちに対して加害者になってしまう可能性もあるんです。福島第一原発では建屋カバーの取り外し作業が進んでいる。放射性物質が飛散するリスクは今でもあるんです」と力を込めた。

 議員としての「脱被曝」の取り組みは始まったばかり。環境部長は「ご理解を賜りたい」と述べたが、DELI議員が返したのは、こんな言葉だった。

 「これからも強烈に要望し続けます」



(了)

【鮫川村焼却炉】バグフィルターの限界、爆発事故による汚染拡散~裁判で見えてきた国の隠蔽体質

福島県鮫川村に設置された放射性廃棄物の仮設焼却炉を巡り、国の隠蔽体質が次々と明らかになってきた。10日に開かれた操業停止に関する第三回審尋でも、国は従来の主張を崩さず、手続きに瑕疵(かし)はないとの姿勢。地元消防ですら認める爆発事故を「破損事故」と過小評価し周辺への汚染拡散もないという。同意文書偽造事件を不起訴処分にした検察官に至っては、検察審査会への申し立てをやめるよう〝圧力〟ともとれる発言を地権者にしていたことも発覚。共有地権者の堀川宗則さん(59)は「国や村は早く非を認めよ」と怒る。次回審尋は2015年2月13日。



【怪しいバグフィルターの除去能力】

 福島地裁郡山支部で開かれた第三回審尋は、この日も10分足らずで終了。双方の主張は平行線のままだ。坂本博之弁護士によると、国側は①農地として使っていない遊休地を用途変更していない②期間も短く、民法上の「管理行為」にあたり、地権者の過半数の同意があれば良い③仮設焼却炉からは周辺を汚染させるような放射性物質は排出されていない─との主張を続けている。これに対し、坂本弁護士は「農地を農地でないものとして貸すのだから、民法上の『処分行為』としてとらえるべきで、地権者全員の同意が必要。過去に判例もない」と反論している。
 環境省が「放射性セシウムはバグフィルターで99.9%除去できる」と安全性を主張している点については、岩手県宮古市の医師がまとめた論文を基に、危険性を訴えた。

 岩見神経内科医院の岩見億丈医師らが発表した「放射性物質を処理する焼却炉周囲の空間線量率に関する研究」では、セシウムの粒の大きさについて「0.3μm未満の粒子も含めると、バグフィルターの除去能力は80%前後以下である」と結論づけている。また、環境省の資料を分析した結果、鮫川村の仮設焼却炉に関しては「灰中回収率は53%から78%の範囲にある」としている。

 堀川さんらは、準備書面の中で「国は敷地内で測定された放射性セシウムの量は極めて少ないと主張しているが、低い測定値が出るような場所を選んだとか、低い測定値が出るような工作がなされているなどの原因が考えられる」と国に反論した。バグフィルターのセシウム除去能力は万能ではない。だからこそ、堀川さんは初めから建設には反対だったのだ。
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(上)仮設焼却炉の操業停止など、3つの裁判で闘う

鮫川村の堀川宗則さん
(下)10日、郡山市役所内の記者クラブで開かれた

記者会見は、総選挙取材で忙しいのか出席した加

盟社は皆無だった


【村役場も認めた「空間線量の急上昇」】

 昨夏、焼却炉内で起きた灰コンベア爆発事故についても環境省側は「爆発」と認めず、問い詰めると「爆発でないというわけではない。前回の意見書で示した通り」とはぐらかしたという。坂本弁護士は「爆発事故ということになると都合が悪いのだろう。お茶を濁す表現は国の常套手段だが、卑怯だ。原発事故にしても、国は当初『爆発事故』とは言わなかった。こういう横暴を国民が容認してしまっているのも問題。総選挙ではぜひ鉄槌を下して欲しい」と怒りをあらわにした。

 「爆発」か「破損」か。

 一見、大した違いが無いように思えるが、地元住民にとっては大きな違いがある。目の当たりにした事態と国の説明があまりにもかけ離れているからだ。

「近所には幼い子どもが3人いる家庭がある。高濃度の煙を吸い込んでしまったのではないかと心配です」。仮設焼却炉から約2kmの塙町に住む男性は話す。

 事故があったのは2013年8月29日午後2時半ごろ。男性は外出していて、帰宅するまで事故が起きたことを知らなかった。妻宛てに届いたメールで事故を知った男性は翌日、鮫川村役場へ出向き、説明を求めたという。

 「地響きがするような大音量が2回あり、煙が上がったそうです。煙は南西方向、つまり私の自宅方向に流れたとの目撃情報も寄せられていました。すぐに説明会を開き農家に謝罪するよう求めましたが無視されました。改めて役場に出向くと、モニタリングポストの数値が急激に上がったのを複数の住民が確認しているとのことでした。しかし、公表される数値は10分間の平均値なので数値の上昇が分からない。汚染が拡散されたのに、です」
 事実、山本太郎参議院議員が棚倉消防署鮫川分署から取り寄せた「火災原因判定書」(2013年10月30日付)には「爆発による破損損壊が起きた」「本火災は建物火災である」「消防への通報がなく、マスコミから鮫川分署に問い合わせがあり、村役場に照会後、覚知したもので事後聞知事案である」などと明記されている。

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(上)支援団体は村民の関心を高めようと、2回にわたり

焼却炉の問題をまとめたチラシを新聞折り込みで配布

した

(下)山本太郎参院議員が地元消防から取り寄せた

報告書には「爆発」「建物火災」と明記されている。

しかし、国側は「爆発」とは認めない


【検察官の暴言「検察審査会なんか無駄」】

 「検察審査会に申し立てなんかしたって無駄ですよ」

 堀川さんを聴取した検察官は、不起訴処分を下すにあたってとんでもない言葉を発していたという。

 仮設焼却炉建設の同意署名と捺印を偽造されたとして、有印私文書偽造罪で被疑者不詳のまま起こした刑事告訴。受理までに棚倉署で再三にわたって取り下げを求められた挙げ句、郡山地検は不起訴処分。堀川さんは処分を不服として今月1日、郡山検察審査会に審査を申し立てた。堀川さん本人が「同意も署名も捺印もしていない」と主張しているにもかかわらず、「不同意も署名・捺印の偽造も立証できない」とされたのだから当然だ。そればかりか、検察官が「検察官が不起訴にしたものを、検察審査会で起訴に持ち込むことは現実として困難だ」と言い放った。坂本弁護士は「検察審査会での結論が出るまでには数カ月かかるだろう。同意文書の偽造は仮設焼却炉の操業差し止めにも関わる問題だが、仮に起訴相当との結論が出なかったとしても問題ない」との見方だ。
 もう一つ、鮫川村の大楽勝弘村長が地権者の同意を得ることなく共有地内に搬入路などを建設したのは「不動産侵奪罪」に当たるとしている問題。郵送での告訴状は受理できないとされたため、今月2日に改めて坂本弁護士が棚倉署に持参して提出。現在、受理するか否か署内で協議中という。

 3つの裁判で闘っている堀川さん。「やっていることは犯罪行為なのに、時間稼ぎは納得できない。早く国も村も非を認めて欲しい。やっぱりテッペン(村長)が変わらないと駄目なのかな」と話した。「特に周囲からの圧力は感じない」と話すが、人口3850人の小さな村で国や村に反旗を翻すのは容易なことではあるまい。司法の賢明な判断が求められる。

(了)

【保養】送り出す側の苦悩、受け入れる側の葛藤~郡山で「いのちと希望の全国交流会」

放射線防護の基本は放射線から遠ざかることだ。「保養」は、その手段の一つ。福島県郡山市で30日に開かれた「いのちと希望の全国交流会」では、福島県内で親子を保養に送り出している側と全国で受け入れている側が一堂に会し、それぞれの苦悩や課題について意見交換した。原発事故からもうすぐ丸4年。連携を強化して保養を息長く継続することが、子どもたちを守ることになる。



【「保養に行くのを邪魔しないで」】

 わが子を放射線から少しでも遠ざけるための保養。送り出す側の福島の関係者からは、その選択を尊重して欲しいという声が多く出た。

 「保養に行きたいということすら口にできない」のは、原発事故直後から変わらない。意思表示を躊躇させるのは家族であり、友人。「自分の住んでいる街が汚染していると思われたくない人々」「放射線のことなど気にしていないと自分に言い聞かせている人」の存在が大きな壁となることがあるとの指摘が出た。二本松市の女性は「夫が初めて講演会に足を運んでくれた」と涙を流した。「郡山に住んでいる妹に保養や避難を勧めたことで、溝が生じてしまった」と打ち明けた人もいた。

 「行政は汚染をなかったことにしたいのだろう」「あえて外運動を推進するなど、学校側の安全アピールも障壁となっている」という意見も。「保養に行くのを尊重しなくても良いから、邪魔をしないで欲しい」という切実な声まで出た。放射線防護や被曝回避という親として至極当然な取り組みが、福島では人目を気にしながら行われているというのが実態なのだ。

 「実害が出ないと動かない」という意見もあったが、既に取り組んでいる団体もある。北海道の受け入れ団体は「保養の意義を見える化するため」に尿検査を実施した。福島と保養先で採尿したものを比較すると、保養することでセシウムの減少が確認できたという。

保養先の誤解もある。

 ある団体は、地元住民から「福島の人達が来ると放射線量が上がる」と言われたことを受けて、精密な線量計で測定することで誤解を解いたという。「当然、通常の数値なのですが、変な概念が出来上がってしまっている」。国や行政が保養を積極的に推進して来なかった結果が、これだ。
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福島から送り出す側、全国からは受け入れる側が

一堂に会して「保養」のあり方について意見交換した

=郡山市・小原田地域公民館


【「受益者」は卒業しよう】

 一方で、受け入れる団体の経済的・人的な苦労も浮き彫りになった。

 「何が大変かって、続けられるかどうかですよ」と男性は言った。「保養貧乏」などという言葉も。一方で、福島から参加する親の中には無料参加にこだわる人も少なくない。「いつまでも被害者・受益者でいるのはやめよう。当事者になろう」という声が、郡山の母親から出た。北海道で受け入れ団体を切り盛りしている女性は「福島の人はわがままで良いと思う。泊原発から比較的近い場所に住んでいるが、いつ同じ立場になるか分からない」と話したが、保養参加者は「お客さん」ではない。「受け入れ側が傷つき、参ってしまうケースもある」という。ニーズのずれがあるという意見も出た。

 行政をどう巻き込み、動かすかも大きな課題だ。福島県川俣町の女性は「活動の原点は怒りや哀しみだが、怒りだけでは行政は動かせない」と話した。須賀川市の女性が言うように「どれだけこの国が子どもを守らない国か」という怒りはもっとも。しかし、行政を巻き込むことによって、チラシの全戸配布、学校での配布など「情報格差によって生まれる保養弱者」を少しでも減らすことができるのも事実だ。リピーターばかりで、保養にすら参加していない親子の掘り起しが課題であるだけに、行政と対立ばかりしてもいられない。

 宮城県丸森町の女性は話した。「町の姉妹都市である北海道北見市にこちらから行かれるように働きかけたい」。
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保養についてありとあらゆる意見が出された交流会。

主催者側はこれらを冊子にまとめ、共有していく方針


【親のためにも必要な「保養」】

 交流会を主催した「311受入全国協議会」の共同代表・早尾貴紀さんは「保養には、これから長く取り組んで行かざるを得ない。どうしたら息切れせずに続けて行かれるか。送り出す側、受け入れる側がつながりながら一緒に考えて行く土台づくりができたのではないか」と振り返った。

 自身、山梨県で「いのち・むすびば」を運営し、福島などからの移住支援を続けている。「甲府盆地までは汚染が届いていないため、移住希望者がなくならない」と早尾さん。2012年11月から12月にかけて甲府市や大月市、北杜市などで土壌を採取したところ、ほとんどでセシウムが1kgあたり6ベクレル以下。100ベクレルを超えたのは124検体のうち2検体だけだった。早尾さんは「あくまで参考値」と話すが、保養や移住先としてふさわしい土地であることが分かる。

 福島大学の西崎伸子准教授は「保養は日本では未知の世界。水俣病は60年経ってもまだ終わっていない。原発事故から4年目のここでどう取り組むか」と問題提起した。前日に開催された保養相談会には、200組の家族が訪れたという。郡山の母親は言う。「お母さんは『反原発』ではない。今夜の食事のためにどうやって安心できる食材を手に入れるか、なんです」。福島などで必死に放射線防護に取り組む母親のためにも、保養プログラムは必要。だからこそ、送り出す側と受け入れる側の意見交換は持つ意義は大きい。

 参加者の一人が会場を見渡して言った。「全国からここに集まってきた人は、福島で必死に生きている私たちの希望なんです」。間もなく、原発事故から3年9カ月。 



(了)

「もう戻れないと言ってくれ」~浪江町民が語る「帰還」「再稼働」「総選挙」

住民の想いとは裏腹に進められる帰還政策。変わらぬ避難生活の中で遠のく政治。理解できぬ原発再稼働─。29日から始まった「復興なみえ町 十日市祭」の会場で、町民の方々に「帰還」や「原発再稼働」、「総選挙」について語ってもらった。そこでは望郷の想いと政治への怒り、あきらめが複雑に交錯する。「国がもう帰れないと言ってくれれば良いんだ」。


【「町ごと移転していれば…」】

 「国が『もう浪江町には戻れません』と言い切ってくれた方が踏ん切りがつく。あいまいなまま3年8カ月が過ぎてしまいました」

 浪江町に伝わる伝統芸能「請戸の田植踊」を披露した女子高生(16)は言った。震災時、請戸小学校の6年生。卒業式を一週間後に控えたあの日、未曽有の大津波で自宅は全壊した。今年3月、避難先の郡山市から初めて請戸地区を訪れたが、かつて海を眺めた自宅は土台だけになり、雑草が生い茂っていた。手元に残ったのは数枚の写真のみ。ほぼすべての物が波にさらわれてしまった。「将来、浪江に戻ったところで仕事があるでしょうか。もし結婚して子どもが生まれても、周囲に子どもたちがいるでしょうか。現実問題として、戻れるわけがないですよね」。

 請戸小4年生の時、田植踊の一員に加わった。安波祭で神楽やみこしと共に披露するのが楽しかった。だが、神社の社務所に保管されていた衣装や太鼓は津波に流され、太鼓だけが後に見つかった。本来は6年生で〝卒業〟だが、声がかかると2011年夏から再び活動に参加した。以来、明治神宮や出雲大社での奉納など、すべての公演に参加している。「震災後、皆勤賞は私だけなんですよ」と笑顔で話す。

 母親の実家がある郡山市に避難して3年。当初は側溝に近づかないなど放射線に気をつけていたが、最近ではほとんど意識しなくなったという。「だって、気にしていたら福島では生活できませんよ。何もできません。汚染も被曝の危険性も事実だとは思いますけど…」。

 「原発事故がなかったら、今でも請戸で踊れました。原発のおかげで、浪江ほどバラバラにされてしまった町はないでしょう。町ごと移転させてくれたら良かったのに」。踊り子の減少は深刻で、この日もギリギリの人数でなんとか披露できた。将来は踊りの師匠のような立場になるのが夢だが「自分が50歳になった時に、田植踊があるかどうか」と本音ものぞかせた。

 当面の目標は大学進学。心理学を学びたいという。「どうせ県外の大学に進学するなら、思い切って京都とかに行きたいな」。
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(上)震災後に生まれた3歳児も加わって披露された

「請戸の田植踊」。参加した高校生は「もう戻れない

と国に言われた方が踏ん切りがつく」と語った

(下)権現堂地区を再現した模型を見る浪江町民。

「ここは○○さんの家だよね」となつかしんだ


【理解できぬ原発再稼働】

 佐藤雄平氏は福島県知事時代、私の質問に気色ばんで答えた。「浪江町民が故郷へ戻れるかって?戻れるように一生懸命に取り組んでいるんじゃないか」。しかし、当の住民たちの想いは逆だ。「年寄りだけ戻ったって、若いもんが帰らなきゃしょうがないよ。ウチの仮設では、誰も帰れるなんて思ってやしないよ」。二本松市内の仮設住宅で暮らす男性(67)は話す。「総選挙どころじゃないよ。ふざけるなと言いたい。土地をすべて買い上げて、新しい土地での生活再建ができるようにしてほしいよ。俺たちが何をしたって言うんだ。浪江に戻した、という実績だけとりあえず作って、俺たちが死ぬのを待っているんじゃないか?」。

 別の男性(64)は長年、福島第一原発で働いてきた。「『絶対に事故は起きない』という中で俺たちは働いてきた。それがあの事故。俺は中の構造をよく覚えているが、制御なんて出来てはしないよ。使用済み核燃料だって山のようにある。どうしてそんな状況で川内原発を再稼働しようとしているのか?」。少しでも働こうと避難先のハローワークを訪れたところ「あなたは賠償金をもらっている。こちらの住民の雇用が優先だ」と断られたという。「じゃあ浪江に戻って働く?何の仕事があるんだ?政治家が仮設住宅を訪れるのは選挙の時だけ。遠くの人々の方がよほど心配してくれるよ。東電も以前のような丁重な姿勢でなくなってきているしね」。
 桑折町の仮設住宅に避難中の男性は「弱い人々を救済するのが政治なのに、自民党は大企業しか見ていない。票につながる所ばかり優遇している。政治家は苦労していないから避難者の生活が理解できないのだろうね」と話す。「町に戻ると言ってもね…。コンビニが数軒できたところで雰囲気が変わった町は寂しくなるよ。昔は小さいながらも個性的な商店がたくさんあったから」。ある女性は、中通りの避難先で「賠償金もらって良い車を乗り回している」と空のペットボトルをぶつけられたという。やむなく自家用車のナンバープレートを別の地域のものに取り換えた。「私たちが何をしたって言うの?」。女性の問いかけに政治家はどうこたえるだろうか。

 「私らは良いけど孫がね…。孫の世代が安心して遊びに来られるような町でないと、年寄りだけ戻っても仕方ないよね」とつぶやいた女性も。目の前には、大学生らが作った町中心部の模型が広がっていた。「ここでバスを降りて、高校に通ったものよ」。なつかしそうに、少し寂しそうに模型を指差した。
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(上)大地震の3日前、修行のため福島市飯坂町から

京都に向かった舞妓の恵理葉さん(右)が祭りに駆け

付けた。「京都にいと福島の様子が伝わって来ない」

(下)会場前を流れる六角川は、依然として0.5μSv/h超。

浪江町民にとって避難先も決して安住の地ではないの

が実情だ


【「町残し」の裏の葛藤】

 女性は言う。「これだけの事があって、それでも総選挙で勝ったら安倍さんは原発再稼働を進めるつもりなんでしょう?私たちの声を無視して自民党だけで物事を決めて行くのは本当に怖い」。浜通りでは国道6号の車両通行が解禁され、常磐道は12月6日に浪江IC~山元ICが開通する。「人の住めない所に車を通そうというんだから矛盾だらけよね。本当にお金の事ばかり。町に帰れ帰れと言われるたびにストレスを感じます」。
 40代の男性は、「なみえ焼きそば」を通して風化防止に取り組んでいる。これまでは「町おこし」の一つとして全国に発信してきたが、これからは「町残し」だという。「でも個人的にはね、県外に逃げ出したいですよ」。笑顔で町を盛り立てる役割への期待は大きいが、葛藤もある。

 「納得はいかないけど、一応は賠償金の方針が固まって、避難先で事業を再開するしかない。でも、避難先ではこれまでのように仕事のつながりもないから頑張りようがない。仕事をしないと気が滅入るし…」。妻子をいわき市に避難させ、自身は浜通りで事業を再開させた。「放射性物質による汚染は事実。親の責任として放射線を避けた生活をさせたいです」。
中通りでは、風評被害に苦しむ農家の声を多く耳にする。実害と風評被害のはざまで検査済みの食材をどうやって全国の人々に味わってもらうか。「きちんと検査をした結果を伝えながら提供する。後は消費者の判断ですからね」。検査結果さえ提示しない「食べて応援」には反対だ。
 十日市祭では、小学生から「がんばってください」と声を掛けられた。「ありがとう」と笑顔で握手をする一方で「何をがんばればいいのかな…」とポツリ。「除染の効果はあると思いますよ。次の世代が町に帰るかどうかは分からないけど」。バラバラな避難生活が始まって、4度目の正月がまもなく、やってくる。

(了)

【松戸市議選】「土壌測定の市条例をつくりたい」~「脱被曝」を掲げたラッパー・DELIさん初当選

任期満了に伴う千葉県・松戸市議選は16日、投開票が行われ、子どもたちの「脱被曝」のみを公約に掲げたラッパーのDELIさん(39)が1792票を集め、最下位ながら初当選を果たした。JR松戸駅近くの選挙事務所で支援者らの祝福を受けたDELIさんは「当選が目的でなく、ここからがスタート。土壌測定に関する条例をつくりたい」と抱負を語った。投票率は37.74%だった(前回比3.37ポイント減)。


【芽生え始めた「脱被曝」の輪】

 「立候補の届け出も最後、当選が決まったのも最後。最後の最後までハラハラさせるなんて、DELIさんらしいよ」。時計の針が午前零時を回った頃、ようやくDELIさんの最下位当選が決まり、JR松戸駅近くの選挙事務所には歓喜の輪が広がった。

 政党所属候補が組織力に物を言わせて次々と当選を確実にしていく中、午後11時半の段階でDELIさんの得票数は1700。同数の候補者が他に2人おり、残り2議席をDELIさんを含む3人で争う形になった。最終的に獲得した票は1792。次点候補とは48票差で初当選を決めた。日本共産党の候補者全員当選を阻む勝利だった。

 「でもね、当選したことももちろんだけれど、俺がこうして選挙に出たことで、地元で脱被曝の輪がつくられ始めた事の方が意義が大きいかな。公園の土壌測定を申し出てくれた奴が4-5人いるんですよ。30代でね」
 開票所での集計作業を見届け、選挙事務所に戻ったDELIさんは語った。ここがゴールではない。むしろスタート。松戸市にも、放射線防護に対するニーズは確かに存在する。他の議員や市職員を上手に取り込みながら、脱被曝を実現していかなければならない。「そうは言っても、被曝問題だけしかやらないわけにはいかないから、他の課題もきちんと勉強していかないといけないですよね」。中傷や妨害など承知の上での出馬だ。最後まで「脱被曝一本」を貫いた。有権者に耳触りの良い抽象的な公約を語ることはしなかった。

 「だって、脱被曝がやりたくて立候補したんですから」
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初当選を果たしたDELIさん。「土壌測定に関する条

例をつくりたい」と抱負を語った。「空間線量では駄目

なんです。8000ベクレル超でも、高さ1mでは0.23

μSv/hを下回ることもあります」


【ウグイス嬢もタスキもない選挙戦】

 選挙公約は「脱被曝」のみ。ウグイス嬢も、朝の駅立ちも無し。タスキをかけて候補者名を連呼することもしなかった。まさに異例づくめの選挙戦だった。

 名簿を基に、投票を求めるハガキを送ることもしなかった。「もうちょっと上手いやり方があったのかもしれないが、候補者の特性やスタンスを活かした選挙ってあると思う。それに、もし俺が従来型の選挙をしていたら『ああ、アイツはあっち側に行っちゃった』って思われちゃうしね」。選挙戦は決して楽ではなかったが「大変さを表に出したくなかった」とも話す。

 もちろん、有権者の中には「放射線」や「被曝」に対して抵抗感を示す人がいたという。だが、それも想定内。「俺の考え方を押し付けるつもりはありません。家に帰って寝る時に思い出してくれれば良いと思って話してました。『あいつ、アレ(脱被曝)しか言ってなかったな』と。いろいろな考え方があると思うけれど、俺は語りかけたんです。『本当に今のままで良いと思う?』ってね」

 高濃度汚染が存在しても、高さ1mで放射線量を測定して0.23μSv/hに達しないと放置される現状。市職員は「呼吸による放射性物質の体内への取り込みは一切、考慮していない」と語ったという。本当にこんな対応で子どもたちを被曝の危険性から守れるのか。「各地の放射線防護を見ていると、汚染度の低い地域ほど基準値が厳しく設定されているんですよね。汚染度の高い場所ほどゆるいなんて大いなる矛盾ですよ」。

 市内の土壌を隈なく測定し、少なくとも8000ベクレル以上の汚染は除染を施す。それを明文化した条例を制定するのが当面の目標だ。「根回しも必要だろうし、粘り強くやらなきゃいけない。公園の土壌を詳細に測定することで、汚染されていない公園も分かるんです」。脱被曝が進まないのは経済原理優先など構造的な問題─が持論。その歪んだ構造に松戸市から風穴を開けて行く。
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同じく「脱被曝」を掲げて当選した増田かおるさんと

談笑するDELIさん。選挙公報でも、有権者に「脱

被曝」を呼びかけた


【「脱被曝の初級者コースをつくりたい」】

 100人ほどのボランティアが支えた選挙戦。

 音楽仲間たちは「今日から〝先生〟だ」と当選を喜んだが、DELIさん本人は至って冷静。「立場は変わるが、やることはこれまでと変わらない」と話す。

汚染や被曝の「伝え方」にも注意している。せっかく、脱被曝の取り組みを進めても、市民に受け入れられなければ意味がない。「スキューバダイビングにも初級者コースがあるように、脱被曝の初級者コースをつくりたい」。独自に作成した市内の公園の線量マップにもさまざまな意見があったが、抵抗感を薄めるために分かりやすさを主眼に置いた。

仮に落選したとしても脱被曝の取り組みは続けるつもりでいたが、議員に選ばれたことにより、責任はより重くなった。単に文句を言う「カスタマー」(お客さん)から、子どもたちを守る当事者へ。支援者を前にした当選の挨拶の中でも「松戸市が脱被曝のモデルケースになれるんじゃないか」と力を込めた。

 「自分しか出来ない事って、自分がやらなければ誰もやらないじゃないですか」とDELIさん。全国のアーティストへ会いに行く事から始めた選挙運動が終わり、議会というステージが待っている。

「(祝福の)メールが40通以上も届いていて、全部に返信していたら夜が明けちゃうよ」。多くの人の期待を背に、〝政治家DELI〟が歩き始める。



(了)

「汚染と向き合い、松戸市を脱被曝のモデルケースに」~ラッパー・DELIさんが松戸市議選に出馬

9日に告示された千葉県松戸市の市議会議員選挙(定数44)に、1人のラッパーが「脱被曝」を掲げて立候補した。DELIさん(39)。告示日の9日は、JR松戸駅前で5時間に及ぶイベントを開き、ラッパー仲間の応援を受けながら「土壌の測定を」、「松戸を脱被曝のモデルケースに」と訴えた。「今は被害者だが、このままでは未来の子どもたちの加害者になってしまう」とも。「言葉を届けたい」と、配達を意味するdeliveryから名前を決めたというDELIさん。今度は議員として子どもたちに「脱被曝」を届けるべく、立ち上がった。投開票は16日。


【「脱原発」は「脱被曝」から】

 「脱被曝」─。選挙公約は実にシンプルだ。

 「街づくりとか、いろいろな課題があるのは分かります。でも、僕は脱被曝一本でいきます。脱被曝しか言わないで当選できたら、この街には脱被曝のニーズがあるということが分かる。〝1人争点〟にしたいのです」

 そこには、〝汚染地〟で暮らす子どもたちや親たちへの想いがある。

 「東葛地方は、関東の中でも特別に汚染されています。放射性物質が降ったのは事実。『放射能は危ない』という答えを押し付けるつもりはないが、放射線を気にするという選択は認めて欲しい。気にしちゃいけない空気、気に出来ない空気はなくしたい。今は俺たちは被害者です。でも、このまま汚染の事実に向き合わなければ、将来の子どもたちに対して加害者になってしまうかもしれない。将来、後悔したくないんだ」

 選挙ポスターでは、〝お客さん〟であり続けるのをやめようと「脱カスタマー」を有権者に呼びかけている。

 「俺たちは、いろいろなことを人任せにしすぎてきました。福島第一原発も、都会の電気をつくるための発電所だということを、あまり考えずに享受してきました。当事者意識を持ちたいんです」

 鹿児島県では、県知事が「やむを得ない」と九州電力川内原発の再稼働を容認した。松戸市議会は、9月定例会で「川内原発の再稼働はやめるよう求める意見書」を否決した。原発が未来の子どもたちの犠牲の上に成り立っているのだとしたら…。「一緒に脱被曝しませんか?一緒に知恵を出し合おうよ。放射能が降り注いだこの街で、俺は出来ると思う。脱原発は脱被曝からです。脱被曝は1人でも出来ますよ」。
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「松戸市を脱被曝のモデルケースにしよう」と市議選

に立候補したDELIさん。JR松戸駅西口で「一緒に脱

被曝しませんか」と呼び掛けた


【「空間線量でなく土壌測定を」】

 「俺はラッパーです」

 ヒップホップの音楽活動をする傍ら、原発事故後は「オペレーションコドモタチ」を設立し、松戸市内の放射線量の測定や、福島県内の子どもたちに避難や保養を呼びかける活動を続けてきた。「なぜラッパーが選挙に出るのか。市民活動では変えられないこともあります。俺に出来ることは何かな、と考えた答えが議員になることでした」。

 「土壌を行政に測らせたい」。市内を隈なく計測した結論がこれだ。松戸市は現在、環境省のガイドラインに沿って「公園は地上50㎝、それ以外は地上1mでの空間線量が0.23μSv/h」を除染の対象としているが「子どもやペットは1mの高さにすっぽりと入ってしまう。土壌に線源があってもこの高さでは見落としてしまう恐れがあります。土壌の汚染具合を測り、線源を取り除かないと子どもたちの被曝は防げないのです」

 実際、市の許可を得て市内の公園の土壌を採取し、市民測定所で計測したところ、「柿の木台公園」で1kg当たり最大1万4900ベクレル、松戸駅東口からほど近い「松戸中央公園」では同2万2080ベクレルの汚染が確認できたという。

 DELIさんは、ステージ上に密封線源と線量計を用意し、線源から離れた場所で空間線量を測定しても意味が無いことを示して見せた。きちんと土壌を測定して数値を公表し、線源を取り除いたり遮蔽したりする。給食も産地を公表する。「危険を煽っているのではありません。選択肢が欲しいのです」。甲状腺検査などの健康調査も、徹底して行う。そうやって汚染と向き合うことで、誰も責任がとれない原発事故を直視し、脱原発へ向かうと考える。

 「福島第一原発事故で学んだことは何ですか?松戸市が安定ヨウ素剤を用意しなくても良いということですか?」
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(上)DELIさんは、実際に線源や線量計を使って放射

線から離れると被曝の危険性が減ることを示してみ

せた

(下)詩人のアーサービナードさんや山本太郎参議院

議員も応援に駆け付けた


【「本当の事を言う人を市議会へ」】

 選挙には、本名ではなくミュージシャン名で出馬した。「ヒップホップというカルチャーのことも分かって欲しい。ドラッグとか暴力とか、そんなことばかりではないんです。色眼鏡で見ないで欲しい」。

 スーツにたすき姿ではなく、駆け付けた音楽仲間とともにステージに上がり、自らもマイクを握った。自身の当選はもちろんだが、若者に1人でも多く投票に行って欲しいとの思いから、ステージ上から期日前投票も呼びかけた。「市議会を傍聴したけど、俺を含めて傍聴していたのは2人だけだった」。前回市議選の投票率は41.11%。6月の松戸市長選挙は35.56%。若者の政治離れなどと言われるが「若者こそ、政治の方を向いているのか?」とも問いかけた。「一日のうち5分、10分で良いから政治のことを考えて欲しい」。

 応援に駆け付けた詩人のアーサービナードさんは、童話「裸の王様」を引き合いに出し「誰が松戸市議会に行って『王様は裸だ』と言ってくれるか。ヒップホップは『王様は裸だ』と叫んだ子どものような存在。本当の事を言う人を市議会に送り込まないと、民主主義は成り立たない」と語った。鹿児島県から駆け付けた山本太郎参議院議員も「DELIさんほど子どもたちの被曝を憂えている人はいない」と推薦した。「政治に参加するってめんどくさいけど、皆さんが払った税金がどのように使われているか、彼が教えてくれるんですよ」。

 「出来ない事を数えるとネガティヴになるけど、出来る事を数えるとポジティヴになる」とDELIさん。「金なし、コネなし、学歴なし」と自嘲するラッパーは、ステージから叫んだ。

 「自分たちの未来のことだよ」



(了)

〝コンビニのおばちゃん〟が見た福島県知事選~「内堀知事では子どもの命は守られない」

前副知事の圧勝で幕を閉じた福島県知事選。6人の候補者の1人、北塩原村でセブンイレブンを経営する伊関明子さん(59)は、後援会も組織も持たず、夫と二人三脚で県内を巡り、支持を訴えた。結果は2万4669票で5位。得票率は3.4%と惨敗。供託金を含め500万円ほどを費やしたが、「選挙のプロが入らなかった私たち4人への投票こそ民意」と笑顔で話す。〝コンビニのおばちゃん〟はなぜ知事選に挑み、何を見たのか。疲れ癒えぬ中、語ってもらった。


【夫と二人三脚の選挙運動】

 目は真っ赤。身長145㎝の小さな身体は、さすがに疲れていた。

 選挙期間中の睡眠時間は2~3時間。ベッドできちんと眠れたのは1日だけ。選挙運動を終え、22時すぎに帰宅してから、休む間もなく経営するコンビニの事務仕事や商品の発注を行った。化粧も落とさず、こたつに足を突っ込んで横になると、もう朝だった。選挙カーの運転やポスター貼りは、午前2時から7時まで店に立った夜勤明けの夫がやってくれた。その夫は、遊説から戻り車のエンジンを切ると、すぐに運転席で寝息をたてて眠ってしまうこともあった。まさに二人三脚での選挙戦だった。

 出馬にあたり、夫からの問いかけは一度きり。

 「君の評判は地に落ちる。『県知事選挙に出るなんて、なんて馬鹿な嫁なんだ』と一生、笑われるよ。それでも良いんですか?」

 自分の評判などどうでも良かった。ただ家族を巻き込み、場合によってはインターネット上で攻撃を受けるかもしれないことには心が痛んだ。「せめて県議選に立候補するなど段階を踏むべきだ」という声もあったが、出馬への意欲は衰えなかった。そんな妻に、夫は一度も愚痴をこぼすことはなかったという。

 「なんてすごい人なんだ、と思いました。未曽有の震災を一緒に経験したわけだし、もしも来世というものがあるのなら、またこの人のもとにお嫁に来たいですね」

 ポスター掲示板を見つけては、選挙カーを停めて夫が降りる。ポスターを貼る夫の横で、伊関さんは街頭演説を始めた。組織などない2人では、用意した7000枚のポスターのうち実際に貼ることができたのは4000枚ほど。面積の広い福島。足を運ぶことの出来なかった町や村が5-6カ所あったという。「夫は『有権者に申し訳ない』とうなだれていました」。9月下旬に払った300万円の供託金は没収。ポスター代などで合計500万円もの費用がかかったが、伊関さんは「お金では買えない物が得られた」と笑顔で振り返る。

 「私が出たことで、選挙へのハードルが下げられたのではないでしょうか。一石は投じられたと思います」
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夫との二人三脚で知事選を戦い抜いた伊関さん。

大物代議士からの激励などない。経営するコンビニ裏

の選挙事務所には、学生時代の友人たちからの激励

が貼られていた=福島県耶麻郡北塩原村


【「私だって、娘が幼かったら逃げた」】

 新しい県知事に選ばれた内堀氏とは、浅からぬ縁がある。

 2002年度から2006年度にかけて実施された「〝うつくしま、ふくしま。〟県民運動」の第Ⅲ期委員に応募。当時の面接官が、総務省から福島県にやってきたばかりの内堀氏だった。「福島県をプロデュースしませんか」というキャッチコピーがきっかけで応募したが、面接官としての内堀氏の第一印象は良くなかったという。「彼では子どもたちの命は守られませんよ」。
 県立病院の審議委員を務めていたこともある。だから「突然、選挙に出たように思われているけれども、自分の中では県庁は遠い存在ではなかったんですよ」。当時の知事・佐藤栄佐久氏は「国の原発政策に風穴を開けたい」と口にしていたという。「栄佐久知事が収賄容疑で逮捕されると、徐々に県庁内の雰囲気が変わってしまいました。最初は栄佐久知事を支持する職員が多かったのに、逆になってしまった。だから審議委員を辞めたんです」。

 その内堀氏を巡り、総相乗りの構図が出来上がることに違和感があった。佐藤雄平知事は、内堀氏を手助けするようにギリギリまで態度を表明せず、原発事故後の佐藤県政が総括されることのないまま副知事が後継者に名乗りを上げた。「原発事故後の対応を見ていて『雄平知事のキャパシティを超えているな』と感じていました。県民の命を守れないのなら、せめて最後くらい潔く退陣して欲しかった。他の候補者がフェアに戦える状況をつくるべきでしたよね」。

 原発事故の起きた2011年7月には、県の策定した「復興ビジョン」に対するパブリックコメントとして、こんな意見を寄せている。「今後の福島の人材となる若い行政マンが、放射線量の高い所にいるのはおかしい」、「正確なデータから始めないと、後世に(福島を)渡せない」。こうも書いた。「首相や霞が関の人達がご家族と一緒に移り住んで来ても安心して暮らせるならとどまるけど…」。そこには「私だって、娘が幼かったら福島県外に逃げていた」という想いがある。

 内堀副知事が正式に出馬会見を開いた9月11日、家族で出かけていた郡山市内から、旧知の県会議員に電話を入れた。「オール与党として復興を進めることに決まった」。県議の言葉が終わると同時に新幹線に飛び乗り、県選管に向かった。激動の選挙戦の事実上の始まりだった。

 他候補の支援者から「女性票が割れる。降りて欲しい」と迫られたこともある。公開討論会で「この人なら」と思える候補者がいたら降りてもいいと思っていた。だが「福島の人たちの命、生活、未来を守りたい」という初心を貫いた。それは今でも間違っていなかったと確信している。
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(上)7000枚用意したポスターのうち、実際に貼れた

のは4000枚。貼り切れなかったポスターを前に、夫は

「有権者に申し訳ない」とつぶやいたという

(下)選挙公報では「知事選を県民の心のデモにしま

しょう」と呼びかけた


【一番遅れているのがメディア】

 「安全かどうか分からないのに帰還を促す県政は大丈夫なのか?」、「チェルノブイリにエコー検査の装置が導入されたのは事故から4年後のこと。どうして、福島の子どもたちの甲状腺がんが原発事故と無関係と言えるのか」

 選挙公報や街頭演説では、「放射能汚染は風評ではない。原発災害です」と訴えた。だが、メディアからの質問は復興に関するものばかり。放射線防護に関して問うた記者は皆無だった。「メディアが一番遅れていますね。戦時中と何ら変わっていない。向き合うべきことがあるのに…。公開討論会だって、地元テレビ局が開くべきでした」。
 結果は惨敗だったが「あの投票率の中ではよくやった」と自己採点。「政見放送や選挙公報はあなたが一番でした」というはがきが婦人から届いた。後援会などないのに、「ぜひ後援会に入りたい」という連絡をもらったこともあった。若者たちの反応も良かった。

「(内堀氏、熊坂氏以外の)4人は今回、選挙のプロが入っていない。その4人が合わせて10万票を得た。この10万票こそ民意です。今回の選挙は、私たちが待ちかねていた知事選ではなかった。10万人がどういう想いで投票してくれたのか、ぜひ記者の皆さんには取り上げて欲しいですね」。
 県知事選が終わり、再び〝コンビニのおばちゃん〟としての平穏な生活が始まった。だが、今後も傍観者や評論家には絶対にならないと心に決めている。「2万5000票近くいただいた責任があります。この地でできることをやりたい。まずは内堀さんに〝ラブレター〟を出します」。生まれ育った東京から裏磐梯に嫁いで27年。今後も命や未来をテーマに行動していく。

 「夫がね、選挙カーの運転のしすぎで足に血栓ができてしまったの。落ち着いたらマッサージに連れて行ってあげたいわ。全身をもみほぐしてあげたい」

 優しい妻の表情に戻り、伊関さんは笑った。



(了)

【福島県知事選】「県民は〝放射線防護〟〝命優先〟を選択しなかった」~前副知事に完敗した熊坂氏

福島県民が選んだのは変革ではなく現状維持だった━。26日に投開票された福島県知事選挙は、副知事として大地震・原発事故後の県政を担ってきた内堀雅雄氏(50)が熊坂義裕氏(62)らに大差をつけて圧勝した。自民・民主、社民までもが相乗りした組織選挙の結果、放射線防護や避難者支援よりも経済復興・観光客誘致が加速することになる。投票率は45.85%(前回比+3.43)。これまでで二番目の低さだった。



【「放射線防護は後退するだろう」】

 「放射線防護が後退する?そうなるでしょうね。でも、それも福島県民が選択したことです。組織選挙であったとしてもです。『命を優先する』と言い続けた私ではなく、県民は内堀さんを選んだ。これからどうなるか、歴史が証明しますよ」

 悔し涙を流す支援者一人一人との握手を止めて、熊坂氏は私の質問に答えた。

 大方の予想通り、19時に投票が締め切られるとNHKが内堀氏の当選確実を報じた。13万票近くを集めたが、最終的にはトリプルスコア以上の大差をつけられての完敗。5人の得票を合計しても、内堀氏の得票(49万384)の半数にも達しない。一部でささやかれた「候補者の一本化」などというレベルではなかった。与野党相乗り、組織選挙の強さをまざまざと見せつけられた。

 福島市内の選挙事務所で早々に開いた記者会見では、「ひとえに私の力不足。政策が届かずに申し訳なく思っている」と支援者への謝罪に終始した熊坂氏。一方で「政策では負けていない自信はあるが、与野党相乗りということは大きかったと思う。政党っていったい何なのかな…」、「内堀さんが当選したことで、原発再稼働が加速するということはあり得るだろう。歴史が証明する」、「今日の今日まで『内堀優位』を肌で感じたことはなかった」と本音も。選挙戦を通じて投票率が下がるだろうと予想していたと言い、「どうしてなのだろう。あきらめというか、『選挙に行っても変わらない』というムードを感じた」と振り返った。
 実際、複数の投票所で「仕事上の関係で内堀氏」(郡山市、30代男性)、「県知事が替わって農業関連の助成金がなくなると困ってしまうので内堀氏」(本宮市、60代男性)などと、原発事故後の福島が抱える課題とは別の理由で内堀氏を選んだ有権者がいた。母親の一人は「放射線は気にはなるけど…。別の理由で選びます」と話した。公開討論会も、選挙の争点を浮き彫りにしようと開かれたシンポジウムも空席が目立った。「原発被災県」の新しいリーダーを選ぶ選挙だったが、これが現実だった。

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(上)19時ちょうどに内堀氏の当選確実が報じられ、

「すべて私の力不足」と支援者らに頭を下げる熊坂氏

(下)内堀氏の選挙事務所には、さっそく「当選御礼」

が貼り出された


【県外に自主避難した母親の涙】

 9月下旬、浪江町民が身を寄せる仮設住宅で開かれた熊坂氏のミニ集会。集まった町民からは「同じ町民でも、帰宅困難区域と居住制限区域とでは賠償金に差がある。道路一本隔てるだけで全然違う」、「どうせ帰れないのだから、町にも中間貯蔵施設を造ればいい。土地を提供すれば町にも何億という金が入る」、「放射線量が下がれば帰りたい。浜通りの復興について県はどう考えているのか」などの声があがった。

 これに対し、熊坂氏は「県がもう少し東電に強く言わないと駄目。賠償しなさいと」、「町民のせいでこうなったのではない。戻る人にも戻らない人にも補償しなければいけない。加害者に被害者が遠慮する必要はない」、「原子力発電は明確にやめるべき。人類は原発をコントロールできません」などと答え、支持を求めた。

 また、今月2日の事務所開き後に行われた地元記者クラブとの懇談では、「県外に避難した人に向かって『福島に戻って来てください』とは言わない。帰還しないことも含めて選択に寄り添う」、「原発問題や被曝回避が争点にならないと言うこと自体が信じられない」、「知事になったら当然、国や東電との対決姿勢は強くなる。それによって福島県への予算の確保が難しくなるなどということも無い」、「放射線防護と風評被害対策は矛盾しない。そこをごちゃごちゃにしてしまうから押し問答のようになってしまう。福島の中でも安全な場所はある。農作物にしても原発事故前より放射線量が低ければ風評被害ということだ」と、原発被災対策の総見直しを改めて強調。「医師は結果がすべて。言ったことに責任を持たなければならない」、「実行できるから政策として掲げているのに、行く先々で『本当に実行できるのか』と尋ねられるのは予想外。必ずやる」、「今回の原発事故は、戦後最大の環境汚染事件だ」と話していた。

 敗北が決まり、涙を流す女性たちの中に、福島市から山形県米沢市へ自主避難している母親の姿があった。「熊坂さんなら県政を変えてくれる」と避難先から選挙事務所に通い続けた。前副知事の勝利に「子どもたちの被曝の問題はますます取り上げられなくなる」と表情を曇らせた。
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与野党相乗り、県内労組の大半が内堀氏を支持。

被曝回避や避難者支援などの課題は覆い隠された


【内堀氏を支持した政府や電力労組】

 公開討論会で、内堀氏は「(福島市や郡山市などの)中通りは住んでも健康に影響が出るような放射線量ではない。観光客誘致にも力を入れて行く」と話していた。応援に駆け付けた福島選出の国会議員は、与野党とも口を揃えて「内堀氏は出来る限りのことは尽くしてきた」と、原発事故後の放射線防護策を評価した。選挙事務所には、被曝回避に消極的な伊達市長からの激励が掲示されている。壁一面に貼られた各種団体からの「推薦決定書」には、電力系労組の名前も多く見られる。安倍晋三首相からの激励も届いた。新しい知事は、本当に原発被災に遭った県民に寄り添うことができるのか、東電に毅然と物を言えるのか、大いに疑問が残る。

 地元メディアは、内堀氏が出馬を表明した直後から優勢と報じてきた。

 「地元紙の記者に会うたびに言い続けて来たんだ。『アンタらが白けさせてるんだ』ってね。初めから『内堀優位』と報じ、ロクに課題も提示しないで『政策論争が深まらない』とばかり書いてきた。挙げ句の果てには、公開討論会の翌日の紙面が『原発は争点にならない』だからね。酷いものだよ」

 支援者が帰り始めた事務所で、熊坂後援会の幹部はまくしたてるように言った。会見では、地元二紙の記者は一切、質問しなかった。

 原発問題に嫌気がさしている県民と、放射線防護を前面に打ち出したくない国。そして地元メディア。それぞれの思惑が都合良く絡み合って選び出された新知事。熊坂氏は今後も福島市内に住み、内堀県政を見守りながら自身の政策が少しでも反映されるよう行動していくという。



(了)

【福島県知事選】一致したのは「廃炉」のみ。「尿検査」「水利権」など違い明らか~公開質問

26日投開票の福島県知事選に向けて「ふくしま希望会議」が6人の立候補者に送付した公開質問の回答が、18日に開かれたシンポジウムの席上、発表された。全員が明確に賛成したのは「県内原発の即時廃炉」のみ。質問の多くは放射線防護や健康管理に関する内容だったが、圧勝すると言われる前副知事の内堀候補は抽象論に終始。子どもたちの被曝回避に前向きに取り組む姿勢は示さなかった。

【抽象回答に終始した内堀候補】


 違いは明らかだった。
 同会議が6人の立候補者に送付した10項目の公開質問。16日までに全員から回答が得られたが、「賛成」で全員一致したのは1問目の「福島県内のすべての原発について即時廃炉を宣言し、実行行動をとります」のみ。2問目の「避難者の市民的権利を守るため二重住民票など具体的な法制度を立案し、国へ提言するとともに、国が実現しない場合は県で同様の効果が認められる制度を具体化します」では、熊坂候補が「法制化も可能と考えるので国に対して提案する」、伊関候補が「大賛成。安全でない所には住まわせない」と答えたのに対し、内堀候補は「個々人の事情に配慮しながら、生活再建支援や十分な賠償実現などを丁寧に進めて行く」とするにとどまった。
 7問目の「全県民の生涯にわたる健康管理と医療支援を実現するために「ふくしま健康手帳」を発行し、県内市町村と協力して運用します」では、熊坂候補が「もっと早い段階から発行するべきだった」、井戸川候補が「子ども・被災者支援法の理念は県条例で実現する」と賛成。金子候補は「福島県民への差別的な見方が出ることを危惧するので一部保留」。内堀候補は「県民健康調査における外部被曝線量値やホールボディカウンターによる内部被曝線量値などを総合的に管理し、将来にわたって県民の健康をしっかり守っていく」と答え、賛否は示さなかった。
 8問目の「県民の内部被ばく検査のため、尿放射線測定を実費で行える体制を県内市町村と協力して構築・運用します」でも、熊坂候補が「検出限界値が高く精度の低いホールボディカウンターよりも、尿測定検査を導入すべき」としたのに対し、内堀候補は「様々な御意見を頂きながら(県民健康調査の)充実強化を進めていく」と賛否を示さず。五十嵐候補は賛成ながらも「ただし、被ばく検査はこれだけではないので、費用対効果を見ながらより良い内部被ばく検査に改善と発展を柔軟に試み続ける」と回答。金子候補は「希望する県民には有効と思います」と答えた。
 全10問のうち、7問が原発や被曝、被災者支援に関する質問。地元紙の世論調査でも「圧倒的優位」が伝えられる内堀候補の回答に注目が集まったが、明確に賛意を示したのは「即時廃炉」のみ。他はすべて賛否を示さず、議会答弁のような抽象的な回答を記入するにとどまった。唯一、明確な姿勢を示したのが6問目の「福島県民の財産である猪苗代湖の水利権、県内の水力発電所・火力発電所、送電線の所有権を東京電力から分離させ、たとえ電力を首都圏へ供給してもそれに見合った税収が県民に還元されるよう県内に本社を置く会社設立をさせるべく県として具体的に行動します」。これには「財産権等に関わるものであり難しい問題」とやんわりと否定した。

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18日に開かれた「ふくしま希望会議」のシンポジウム。
県知事選の候補者から寄せられた回答では、スタン
スの違いが浮き彫りになった=福島市




【「新知事は放射線の正しい情報を」】

 新しい県政に向けて、13項目の政策提言をまとめた「ふくしま希望会議」。シンポジウムで飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所長)は「原発事故以降、いろんなことが合意形成なしに進められている。一旦、立ち止まろう」。「除染一辺倒が本当に意味があるのか検証もされていない。全体として議論する場をつくりたい」と会議の意義を語った。
 「福島は街には活気があるが、健康的にはまったく駄目。希望が持てない」と放射線防護に対して激しい口調で語ったのは西尾正道氏(北海道がんセンター名誉院長)。「モニタリングポストの数値は4-5割低い。嘘を言っている。新しい県知事には正しい情報を出すというところから始めてもらわなければ駄目」、「ストロンチウムもベータ線も全部測るべき」、「情報が隠され過ぎている。フェアじゃない。御用学者とディベートしたいが、呼びかけても応じない。それで甘んじているのは民意が低いのではないか。正しい知識を分かりながら住み続けてほしい」と話した。
 藤本典嗣氏(福島大学准教授)は「現在のモニタリングポストは2㎢に1台で足りない。もっと増やすべきだ」と指摘。除本理史氏(大阪市立大学教授)は、原発被災者への損害賠償について「加害者である東電主導で進められている」「故郷を追われた『喪失感』が慰謝料に全く考慮されていない」などと批判。「これまでの福島県は『陳情・調整型』だった。もう少し当事者として賠償支援に取り組んでほしい。この知事選が良いきっかけになれば良いと思う」と県政に注文をつけた。

二つのMP
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シンポジウムでは、西尾氏がモニタリングポストの数
値など正確なデータが示されていないと指摘。福島市
内では0.5μSv/hを超す個所が珍しくないが「福島県
民は、一番低い見積もりのデータだけを与えられて安
全だ安全だと言われている」と強調した



【「既に電力は自給できている」】


 与野党相乗り候補の圧勝ムードの中、低投票率が懸念されている今回の県知事選。「ふくしま希望会議」の理事であり、会津電力株式会社を設立した佐藤彌右衛門氏(大和川酒造会長)は「原発事故から3年以上が過ぎたが、問題が解決したようでしていない。どう福島を創造するかというところまで至っていない。そういう中で、新しい福島県のリーダーを選択するが、課題があまりにも多すぎる。何を基準に選べば良いのか、有権者は五里霧中の状態で進んでいる。今日のシンポジウムを機に課題を県民と共有したい」と語った。
 再生可能エネルギーの観点から同会議に参加している佐藤氏は「2013年7月のピーク時で、福島県内の使用電力は154万kw。2011年に会津の水力発電が生産したのは500万kw。既に自給できている。なのになぜ原発を造ったのか…。自分たちの電力は自分たちでまかない、電力会社には金を払わないということは可能だ」。「規模は小さくて良い。みんなで金を出し合う『市民ファンド』でエネルギーをつくっていくのが理想」と話した。
 会場には制服姿の中学生の姿も。「僕らの意見も聴いて欲しい」と大人に注文をつけたが、未曽有の原発事故後の知事選というのに空席が目立った。これには西尾氏が「重要な選挙。会場は熱気にあふれていると思ったがガラガラ。自腹で来る会議では無かったなと反省している」と皮肉を言う場面もあった。
 週明けには新しいリーダーがかじ取りを始める。放射線防護策はさらに後退するのか。「ふくしま希望会議」が示した政策提言や、各候補者の直筆回答書は
 http://www.fukushima-kibou-kaigi.jp/#proposal
 で読むことができる。






(了)