毎週土曜日14時から放送している、SBCラジオ

「佐々木秀実のちょっと聞きなさいよ!」に、

加藤登紀子さんが出演して下さいました。


登紀子さんとは、もう長くて、そして濃いと言ってもいいくらいのお付き合いになりましたが、その精力的なパワーには、いつもこちらが元気をいただきます。


まずは登紀子さんのファンになったのは、楽曲の素晴らしさ。

何度もコンサートに行っていたし、アルバムもほとんどと言って良いほど、マニアでもある私です。


私が。「生きてりゃいいさ」をシングルとして発表しようとなった時、その曲は河島英五さんが登紀子さんに送られた曲でしたから、ご挨拶に伺ったのが初めて。


ニッポン放送の収録も兼ねていたので、ラジオ局の方や、事務所のスタッフやレコード会社の方もいたのですが、登紀子さんが「二人にして欲しい」と言ったのが、そもそもお近づきになるきっかけでした。


その日、一緒にお酒を飲み、「秀実さんにはラブソングを書きたい!」とすぐさま出来上がったのが、「嵐の夜に」。


その後は、「焦がれ星」、「あなたを愛さないために」も書いていただきました。


いつも同じなのは、いつも酔っ払って結局は恋の話しになる私に、「歌」として書いて下さいます。


時には登紀子さんは、鉛筆とメモ用紙もって、道中書きながらお店に行っても書いていたり、


歌で私の感情を奮い立たせてくれる、大切な先輩です。


今回、信州でイベントがあり、その合間を縫って、ラジオに出てくれました。


私が聞きたかった事は、二つに絞りました。


コロナにはじまって、ウクライナの戦争はあるわ、地震や災害はあるわ、この時代が唸るような中で、何を感じておられること。


そしてもう一つは「ふるさと」について伺いました。


登紀子さん(私はトッキーと呼んでます)は、生まれがハルビンです。

その町は本当に幼い頃過ごされたところでうる覚えとおっしゃっていましたが、


トッキーのお母さん、お父さんに言わせると「流浪の人の移住者の町」だったそうです。

「どこかの街に生まれた人が集まった場所」だそうです。

日本人も、ロシアの人も、ウクライナの人も、ユダヤの人も、ポーランドの人も一つの場所に住んでいたという事をお話しなさいました。


ロシアの音楽が好きだったトッキーのお父さんは、ロシア料理のレストランとして、新宿に「スンガリー」、京都に「キエフ」というお店をはじめ、今もあります。


とても現場、名前として複雑なとこがありますが、天国のお父さんが「仲良くしてほしい」とのメッセージと感じているそうです。


私が好きなトッキーの歌に「遠い祖国」という歌があります。


最後の詩の中に、

「秋のはじめに雪降る街、それが私のふるさと

たとえそこが祖国と呼べない 見知らぬ人の街でも

私の街と呼ぶ事を許してくれますか」


と締めくくられています。


一体、私たちはどこから来た人間なのでしょう。


それは、もしかしたら、遠い昔から、人は誰しも「流浪」なのかも知れません。


どこにいても私。


そう生きていきたいと、私はトッキーのまっすぐな瞳を見て改めて感じました。


今、私はこうして日本という小さな島国にいます。


ずーーーーっと遡れば、どこからか来た人間なのかもしれません。


私にもわからない。


でも、


今、この「場所」で生きている。生かされている事は確かな事。


命のバトンを受けた今世の生き方。恥じないように、生きていきたいです。


radikoでは全国、遡って聞くことが出来ます。


今、皆さまに聴いて欲しい事。


お時間ありましたら、ぜひお聴き下さいませ!


佐々木秀実