困っていない「ヒキコモリ」 | 学白 gakuhaku

学白 gakuhaku

精神科医 斎藤学のコラム

毎日の外来で相変わらず多いのは、40歳だの38歳だのという良い歳をした「我が子」たちに家を乗っ取られたという親たちの訴えである。所謂「ヒキコモリ」だが、中には兄弟そろって大卒で、数年の職歴があるのに引き籠ったままという場合もある。私を頼られても魔術があるわけではないが、憔悴した老婦人たちと会話すること自体に意味がないわけではないと考えているのでお話を伺っている。そのうち話題のヒキコモリ当人が自分の悩みについて相談してくれるようになるかも知れない。事実、私の外来を訪れる男性の多くは、当初母親の相談に応じていた人々である。ただ、母親に会ってすぐに当人が登場という場合は、今回紹介する例のようにうまく行かない場合が多い。何事も「好機」という時があるもので、これは無理をして作れるものではない。

ヒトは婚姻して家族を作り、その中で子生みし、子育てし、そして我が子たちを社会にランチする(launch=新造船を海に向けて進水させる、ロケットを発射する、新製品を市場に出す、産み育てた子を社会に出す)。こうして私たちはこれまでの歴史を紡いできたのだが、
20世紀に入って、こうしたヒト固有の次世代作りが滞りはじめた。日本の場合、戦後30~40年たって、親にあたる世代がそれまでに無いほど豊かになった頃から、その豊かな親が子どもたちのランチを焦らなくなってきたのだ。

ヒキコモリは20世紀型市民社会の基盤であった核家族が産み落とした奇形児である。彼らが増殖すると社会からは新婚さんや新生児が居なくなり、結果として核家族社会の解体が促進されることになる。その結果今や、両親と彼らの血を分けた子どもからなる核家族世帯は日本の全世帯の3分の1以下になった。代わりに急増しているのは高齢単身世帯や中年単身世帯で、これらの一部はヒキコモリのなれの果てである。

彼らの多くは少年期ないし青年期に生産者ないし生活者としての訓練を受けていないので、一人前の稼ぎがない。そのため親の年金を横取りするか、生活保護を受けるしかないから、消費者としての価値も低い。とは言え、我々の社会の一定割合は彼らに占められているのだから、彼らを活用するしかない。これという単一の解決法はないので、事例に合わせて工夫してみるしかないだろう。職業訓練のシステムを使ったりして。

今朝来たのは60代前半の母に連れられた30代半ばの男。母親とは以前に数回会っていて、当人がその気になったらお会いしましょうと伝えてあった。しかし直接会った息子は、治療の必要も感じていなかったし、そもそも現状を危機的なものとは考えていなかった。サラリーマンと聞いていたが、どことなくだらしなく、全体の雰囲気がすさんでいた。数年にわたってIT系企業数社を渡り歩いてから退職して引き籠もり、ここ3週間は横浜だか川崎だかのキャバクラでボーイを務めているそうで、「今の仕事は充実しているし、自分に合っている」と言った。要するに彼は困っていない。医師は困っていない人に対応出来ない。

この辺りから隣に座った母親が口を挟むようになったので、当人にはいったん退席して貰って母親の言い分を訊くことにした。ところが彼は明らかに母親を一人にするのをいやがった。母親とだけ話してみてわかったことは、彼女が息子の行動を殆ど把握していなかったことである。キャバレーのボーイ(というより客引きと思う)をしていることも知らなかったし、息子につきまとう「危険な感じ」にも無頓着を様子だった。「息子さんの将来は危ういでしょう」と言ってみたら、さすがに母親は動揺した。「息子さんは薬物か交通事故が犯罪か、何か問題があると思いますが、ご存じですか?」

「え!まさか」というのが母親の反応だったので、私は「治療の好機は今ではないと思います。そのうちやってくるから、じっくり待ちましょう」と言った。息子の行状に関する母親の無知は不思議だったが、そのうちわかるだろうということにして、次に息子さんとだけ会った。

前に述べたように彼の顔、というか全身から「気だるく、投げやりな感じ」が漂ってくる。口角には正体不明なニヤニヤ笑いがあった。違法薬物の使用歴について聞いてみると、「それはないが私は悪いことをいろいろしてきたんです」という。高校2年で部活を引退すると、3年からはコンビニでのバイトに精を出したが、この頃から万引きが常習化したそうだ。どういうわけかこのことを母親は私に言わなかった。知らないのだろうか。

「それだけ? 前科はないの?」と会話を揺さぶってみた。「あぁ、ありますよ。酩酊運転で。前科一犯です」。「あぁ、やることはやってるんだね。でも酩酊運転だけ? 万引きにしたって10代終わりの頃のことですよね。20代、会社員になってからのことを聞きたいんだけど」。この質問は無視され、彼は母親と私との面接がいつから始まったのかを問い始めた。そして「先生は母に何回か会ってるンですね?今日が始めてじゃないんですね?」。「だから言ってるでしょ。お母さんが、あなたのことを心配してここに来たの。それで、あなた自身に会ってくれないかと言われたので、〈いいですよ〉ということで今日の面接になったわけ。それより、あなた、今なにか困っていることないの?」「私は今の生活が合っていて、別に困ってないんですよ」。

話が噛み合わない。というか噛み合わせないようにされている。で、私はこう言った。
「あのさ、さっきから話が通じないで困っているんだけど、私は別に警察じゃないから、あなたに関する事実なんて知らなくてもいいの。ただ、あなたはそのうち私を必要とするようになるから、それがどんな形になるのか知っておきたいと思ったわけ。でも、あなたの方はこの会話を今日限りで打ち切りたいんでしょ。じゃ、止めるよ。ただ、〈あなたはそのうち自分でここへ来るようになる〉と私が言ったことを覚えておいてね。では、今日は終わりにしましょう。ここに来たいと思ったら予約の電話を入れてね」。

この後もう一度母親と会うつもりだったのだが、息子の方は母親と私が今日初めて会ったわけではないことを、もう一度確かめる質問を挟んだので、それを否定して退室させた。診察後の受付では母親が次の予約を取ろうとするのを阻止しようとしたそうだ。

ヒキコモリ症例への介入の初期には、この種の会話が多い。治療者側からみた会話の要点は、いずれ私(治療者)がヒキコモリ当人にとって必要な人になるという断言(予言)を照れずに入れ込むところにある。