私の出身は山口県の岩国ですが、山口県のはじっこで、広島のほうが近いです。
広島弁は語尾が~じゃけん
岩国弁は~じゃけえ
山口弁は~だホです。
父も広島市内の会社に通勤してましたし、私も浪人時代は広島駅前の予備校生でした。
山口県はダンス界的には九州総局なので、山口県の試合には出場できませんしね。
すばらしい秋晴れの下、新大阪駅で駅弁と「ボールルームへようこそ」の最新刊を買って一路広島へ向かいました。
たまたま新幹線の隣の席が、ビギンの小倉先生でビックリしました。
とまあ呑気なことを書いていますが、実は金曜日の朝の選手会会議が終わったあと、急に悪寒が来て、風邪の引き始めのような感じが出ましたので、急遽2日間レッスンをお休みしての強行出場でした。
生徒さんには申し訳ないことをしてしまいました。本当にすみませんでした。
ただ予選、準決勝の間はちょっとフラフラしましたが、ダンサーは現金なものでやっぱりフロアに立つと「負けるものか」と気合が入りますし、フロアが広くて良い音楽がかかって、そしてお客様からたくさん拍手を送っていただけると、「よし、もっといいパフォーマンスをして見てもらおう」と思えてきます。
この日は無事に決勝進出。よく考えたら去年の広島以来、ファイナルは1年ぶりです。なかなか結果に結びつかなかったので、嬉しいです。
体調イマイチでもダンスの中身に関しては、この日はほとんど迷ってなかったです。
この一か月、これまでとは立ち方やセットアップの方法を、ガラッと変えました。
それこそ、ダンスを始めて最初の頃から「こうしなくてはならない」と思っていたとある要素があり、以来20年間頑なにそれを信じ、その上にたくさんのものを積み重ねて自分のダンスを作ってきたつもりだったのですが…
9月、ある先生のレッスンで、一見それとは「真逆」の意識、いままでの自分の常識からはありえない、やってはいけないと思っていた位置に立ってみるように言われ、そこに重心を置くようにすると、なぜか最初に「こうしなくてはならない」と思っていた位置に今まで以上にハマることができる。バランスも良くなり、肩も脚も自由に動けるようになる。そういうコペルニクス的回転がありまして、それでそれまでの疑問点が一気に解消し、見違えるほどに踊りやすくなりました。
そして全関西、西部日本と試してきたのですが、まだまだ実戦には不完全で結果には結び付きませんでした。それでも少しずつ手ごたえを感じてはいました。
この日の決勝はなんだかそれが一番ハマった感じがして、音楽が自在に取れ、自分でも結構よく踊れたんじゃないかと思いましたし、観客のみなさまの反応も違う気がしました。
決勝の順位は結局のところ、準決勝通過順位と同じ第5位でしたが、あとでジャッジボードを見てみると、あれあれ。けっこう2位とか3位とか、たくさん入ってる!
理解力の問題というのもありますよね。レッスンで、こうしなさいと習って、自分は「はいわかりました」とその通りやっているつもりでも、コーチャーの先生の意図していることと100%一致するというのはなかなか難しいことです。学校の授業を受けるだけで誰もがテストで100点取れるわけではないのと一緒です。
わかったつもりになって安心するのではなく、その裏の意図や本質は何かを、自分なりに発見できるまでああでもない、こうでもないと探さなくてはならない。
結局のところ、早く結果を出せる人とか、若くしてチャンピオンになれる人というのは、天賦の才で何も考えなくても最初から正解にたどり着いている人か、そうでなければ、トライ&エラーをすさまじい数ほど繰り返して、人より早く正解にたどり着けた人であって、「ただひたすら努力したから成功した」と、口ではどのチャンピオンも言うけれど、それは何も考えずにぼーっと努力した人ではないとつくづく思うのです。
私なんぞは遅いほうです。受験勉強は浪人してようやくだったし、今回のは20年もかかった。
広島弁は語尾が~じゃけん
岩国弁は~じゃけえ
山口弁は~だホです。
全然違います(笑)
父も広島市内の会社に通勤してましたし、私も浪人時代は広島駅前の予備校生でした。
山口県はダンス界的には九州総局なので、山口県の試合には出場できませんしね。
なので広島大会は、私の感覚では「地元の試合」なのです。
それでも、広島の方からは、「岩国は山口県じゃん」と言われるのがオチでしょうが…。
それでも、広島の方からは、「岩国は山口県じゃん」と言われるのがオチでしょうが…。
すばらしい秋晴れの下、新大阪駅で駅弁と「ボールルームへようこそ」の最新刊を買って一路広島へ向かいました。
たまたま新幹線の隣の席が、ビギンの小倉先生でビックリしました。
すごい偶然です。山本耕史のプロポーズみたいな確率ですね。
とまあ呑気なことを書いていますが、実は金曜日の朝の選手会会議が終わったあと、急に悪寒が来て、風邪の引き始めのような感じが出ましたので、急遽2日間レッスンをお休みしての強行出場でした。
生徒さんには申し訳ないことをしてしまいました。本当にすみませんでした。
ただ予選、準決勝の間はちょっとフラフラしましたが、ダンサーは現金なものでやっぱりフロアに立つと「負けるものか」と気合が入りますし、フロアが広くて良い音楽がかかって、そしてお客様からたくさん拍手を送っていただけると、「よし、もっといいパフォーマンスをして見てもらおう」と思えてきます。
この日は無事に決勝進出。よく考えたら去年の広島以来、ファイナルは1年ぶりです。なかなか結果に結びつかなかったので、嬉しいです。
体調イマイチでもダンスの中身に関しては、この日はほとんど迷ってなかったです。
この一か月、これまでとは立ち方やセットアップの方法を、ガラッと変えました。
それこそ、ダンスを始めて最初の頃から「こうしなくてはならない」と思っていたとある要素があり、以来20年間頑なにそれを信じ、その上にたくさんのものを積み重ねて自分のダンスを作ってきたつもりだったのですが…
9月、ある先生のレッスンで、一見それとは「真逆」の意識、いままでの自分の常識からはありえない、やってはいけないと思っていた位置に立ってみるように言われ、そこに重心を置くようにすると、なぜか最初に「こうしなくてはならない」と思っていた位置に今まで以上にハマることができる。バランスも良くなり、肩も脚も自由に動けるようになる。そういうコペルニクス的回転がありまして、それでそれまでの疑問点が一気に解消し、見違えるほどに踊りやすくなりました。
そして全関西、西部日本と試してきたのですが、まだまだ実戦には不完全で結果には結び付きませんでした。それでも少しずつ手ごたえを感じてはいました。
この日の決勝はなんだかそれが一番ハマった感じがして、音楽が自在に取れ、自分でも結構よく踊れたんじゃないかと思いましたし、観客のみなさまの反応も違う気がしました。
決勝の順位は結局のところ、準決勝通過順位と同じ第5位でしたが、あとでジャッジボードを見てみると、あれあれ。けっこう2位とか3位とか、たくさん入ってる!
全員の先生に認めていただくにはまだまだでしたが、それでも、今回トライしたことがこれまでと比べて少しでも良く見えたのでしょうか。そうであればとても嬉しいことです。
これまでも毎試合、外からは同じに見えても中身では何か新しいことを試して、だけど「自分では手ごたえがあるけど結果は変わらなかった」みたいな積み重ねだって、数えきれないほどしてきています。まあ、要はトライしたけどエラーだった、という状態ですね。
これまでも毎試合、外からは同じに見えても中身では何か新しいことを試して、だけど「自分では手ごたえがあるけど結果は変わらなかった」みたいな積み重ねだって、数えきれないほどしてきています。まあ、要はトライしたけどエラーだった、という状態ですね。
でも、その先にはいつか、どんな人が見ても「ああ、それが正解だ。すばらしい」と認めざるを得ないような共通した真理が待っているのでしょう。そうやってダンスと真摯に向き合って、ほんとに技術が向上していけば、絶対に評価を変えることができるのだと。それは結局のところ、今も昔も変わらないし、変えることができるのは結局、自分次第だと。改めてそう思ったのです。
理解力の問題というのもありますよね。レッスンで、こうしなさいと習って、自分は「はいわかりました」とその通りやっているつもりでも、コーチャーの先生の意図していることと100%一致するというのはなかなか難しいことです。学校の授業を受けるだけで誰もがテストで100点取れるわけではないのと一緒です。
わかったつもりになって安心するのではなく、その裏の意図や本質は何かを、自分なりに発見できるまでああでもない、こうでもないと探さなくてはならない。
結局のところ、早く結果を出せる人とか、若くしてチャンピオンになれる人というのは、天賦の才で何も考えなくても最初から正解にたどり着いている人か、そうでなければ、トライ&エラーをすさまじい数ほど繰り返して、人より早く正解にたどり着けた人であって、「ただひたすら努力したから成功した」と、口ではどのチャンピオンも言うけれど、それは何も考えずにぼーっと努力した人ではないとつくづく思うのです。
私なんぞは遅いほうです。受験勉強は浪人してようやくだったし、今回のは20年もかかった。