更新遅くなってごめんなさい。一週間、抜け殻のようになっておりました。今回は多くの読者の方が待望されていたのではと思います。
というわけで。
先日の第51回スクリブナー杯争奪ダンス選手権大会にて、片山智彦・佳奈組は、現役引退を発表させていただきました。
皆さま、長い間本当にありがとうございました。
充実した人生、すばらしい青春の日々を送らせていただきました。
たくさんの方に応援して頂き、また、志を同じくする仲間とともにともに夢を追いかけた、ほんとうに充実した競技生活でした。
「まだ早いのに」という声もたくさん掛けて頂きましたが、この1月でプロ登録選手になってから15年になります。
また、1996年の1月末に守谷先生にダンスを習い始めてから、丸20年です。
加えて試合の翌日が私の誕生日で、ちょうど○○歳になりました。
いろんな意味で、人生の区切りになる時期だと判断させていただきました。
ただ実は、試合の一ヶ月前、いや一週間ほど前まで、こうなるとは思っていませんでした。
去年教室を辞めたくらいからばくぜんと、自分の選手生活もそう長くはないなあとは思い始めていたのですが、このスクリブナーでと決めていたわけでもなく、年が明けてからも、これまでどおり頑張るつもりで一年間の試合のエントリー手続きをし、遠征の宿の手配もしておりました。
しかし、スクリブナーに向けて準備していく中で、例年とは何か違う違和感が自分の中にあるのに気がつき、なんだろうこれはと戸惑っていました。
それは精神的なものと、体調的なものでしたが、パートナーと相談すると、奇遇にも同じことを考えていたようで、驚きました。
それは、おそらく私のプロ競技選手としてのコンディションは、今がピークなのではないか、という直感。
技術や知識を増やし、「上手になる」ことはきっと今後も可能です。しかし、スタミナや集中力というのは減っていく可能性があります。
しかし、スクリブナーに向けて準備していく中で、例年とは何か違う違和感が自分の中にあるのに気がつき、なんだろうこれはと戸惑っていました。
それは精神的なものと、体調的なものでしたが、パートナーと相談すると、奇遇にも同じことを考えていたようで、驚きました。
それは、おそらく私のプロ競技選手としてのコンディションは、今がピークなのではないか、という直感。
技術や知識を増やし、「上手になる」ことはきっと今後も可能です。しかし、スタミナや集中力というのは減っていく可能性があります。
特に私の場合は数年前からケガが増え、無理しないように練習量を減らすこともまた増え、そのマイナス分を、試合に間に合うようになんとか直前で調整したり、「技術」と「負けん気」でカバーしているというジレンマがありました。
スクリブナー杯は思い出深い競技会です。
私が駆け出しプロのころ、初めて出たオープン戦が2001年「梅田ワールド」で最後に開かれたスクリブナー杯でした。私はおそらく「梅田ワールド」でデビューした最後の新人の一人だと思います。
それに、私は長年選手会を通じて
「西部でも5種目総合戦ばかりではなく、ブラックプールやスーパージャパンみたいな、単科戦を開催してほしい」
と訴えていたのですが、西部連盟の先生方のご尽力によりそれが実現し、昨年、スクリブナー杯がベスト24から単科戦形式で開催されました。
この形式は今年も開催されたことにより、今後も続いていく流れができたのではないかと思います。
同時に、もっと競技会をこうしてほしいという意見を実現するために、選手側と主催者側が反目ではなく、協力して作っていく。そういう体制がないと、将来がありません。
でも、今回の事で、そのめどが立ってきたのではないか、そういうきっかけ作りに少しでも力になれたのなら、このスクリブナー杯こそが自分の幕引きにふさわしいと思えてきました。
選手生命とは、その上昇線と下降線のせめぎ合いとも言えますが、今回、あ、ついに自分は下降線に入ったな、と感じ取ったのです。
今後もデモを踊ったり、レッスンを受けてより技術を向上することはできるし、「試合に出続ける」とか「A級を維持する」レベルで良ければまだまだ競技を続けることも可能でしょう。
しかし、私たちはもっと高い目標に向かって勝負するために生きてきました。そして、勝負できる状態というのは、ただ単に技術が上手ければ大丈夫というようなものではありません。
ならば、ここが引き際ととらえて、最後の真剣勝負をしたい。
「引退試合」の雰囲気であたたかく見送られるのも素晴らしいのですが、(私も今までお世話になった先輩が引退されるときは、声援を送り、胴上げに参加しよう!としてきましたし…。)でも、自分たちはそういう終わり方ではなく、いつも通りの試合として戦い、全力を出しきって、潔く身を引きたい。
そう考えて、身内などごく一部の方を除いてはほとんど誰にも言わずに、最後の勝負に臨ませていただきました。
ならば、ここが引き際ととらえて、最後の真剣勝負をしたい。
「引退試合」の雰囲気であたたかく見送られるのも素晴らしいのですが、(私も今までお世話になった先輩が引退されるときは、声援を送り、胴上げに参加しよう!としてきましたし…。)でも、自分たちはそういう終わり方ではなく、いつも通りの試合として戦い、全力を出しきって、潔く身を引きたい。
そう考えて、身内などごく一部の方を除いてはほとんど誰にも言わずに、最後の勝負に臨ませていただきました。
申し訳ないのですが、いつも応援して下さった生徒さんにも明かさずでした。驚かせてごめんなさい。
スクリブナー杯は思い出深い競技会です。
私が駆け出しプロのころ、初めて出たオープン戦が2001年「梅田ワールド」で最後に開かれたスクリブナー杯でした。私はおそらく「梅田ワールド」でデビューした最後の新人の一人だと思います。
このときは見事一次予選落ちで、プロの洗礼を受けました。
それから12年後、2013年の大会でようやくファイナルに進出することができました。
それから12年後、2013年の大会でようやくファイナルに進出することができました。
それに、私は長年選手会を通じて
「西部でも5種目総合戦ばかりではなく、ブラックプールやスーパージャパンみたいな、単科戦を開催してほしい」
と訴えていたのですが、西部連盟の先生方のご尽力によりそれが実現し、昨年、スクリブナー杯がベスト24から単科戦形式で開催されました。
この形式は今年も開催されたことにより、今後も続いていく流れができたのではないかと思います。
たとえ私が身を引いたとて、今後も「24まで行けば、1種目でも決勝のチャンスが」と目の色を変えてチャレンジする若い選手が、次々出てきてくれるでしょう。
とにかくダンス業界というのは常に競争し、新しいスターが誕生しないと成り立って行かない業界です。そのきっかけがあればあるほどいい。夢があるから皆頑張れるのです。
とにかくダンス業界というのは常に競争し、新しいスターが誕生しないと成り立って行かない業界です。そのきっかけがあればあるほどいい。夢があるから皆頑張れるのです。
同時に、もっと競技会をこうしてほしいという意見を実現するために、選手側と主催者側が反目ではなく、協力して作っていく。そういう体制がないと、将来がありません。
でも、今回の事で、そのめどが立ってきたのではないか、そういうきっかけ作りに少しでも力になれたのなら、このスクリブナー杯こそが自分の幕引きにふさわしいと思えてきました。
結果の方は、ウインナワルツをベスト24で落としてしまい、準決勝進出はWTFQのみ。これもまた単科戦の厳しさであり、身を引く良いタイミングということなのかもしれません。
そして決勝には、残念ながらどの種目も進出できませんでした。ワルツがあと1点でしたが、残りの種目はエネルギーのすべてを使い果たし、最後のクイックステップは踊り抜くのがやっとでした。
結果は残念でしたが、すべてを出しきり、一片の悔いも残っておりません。
完全に燃え尽きました。真っ白な灰に。
叶えられなかった夢もたくさんありますが、悔しくはありません。
プロになってから長い間一緒に戦ってきたたくさんの仲間たち。今、その中から素晴らしい好成績を出したり、新しくセグエ選手になったカップルも次々出ています。今後もさらに全国や世界で活躍してくれるでしょう。
もう、私たち世代は「強い先輩世代と強い後輩世代に挟まれた、はざまの世代」ではありません。下位級のころから10年以上にわたり、皆で切磋琢磨してきた中からようやく、関西、いや日本を代表する選手がどんどん出てきている。それが何より誇らしいのです。
西部連盟の皆さま、当日はお時間のない中、引退発表のお時間を頂き、ありがとうございました。
これまで応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
守谷先生、国内外のコーチャーの先生方、本当にお世話になり、ありがとうございました。
選手の皆さんの今後のご活躍をお祈りいたします。最後は胴上げして頂きありがとうございました。今年一年は選手会役員は続けますから、仲良くしてね。
お父さん、お母さん、ありがとう。
皆さま、ありがとうございました。幸せな競技生活でした!
あ゛~~、終わった!!