しかし私はプロになったばかりの15年前はパートナーがおらず、10年前は会場が中之島グランキューブに移ってしまい、5年前は守谷先生が頑張って府立体育館に戻してくださいましたが、気合が空回りして10年前よりも悪い成績でした。切ない思い出とともに、それほどまでにここで踊って成功したいと願っていた場所です。
二年前からJBDF内に混乱状態が起き、本部の立てた方針に対して多くの選手が反対し、昨年のJBDF選手権は静岡で開かれましたがわずかな選手しか出場しませんでした。
混乱を招いた本部のトップ役員の方や、そちらに賛同する一部選手はアマチュアのJDSFが立ち上げたプレミア部門(プロ部門では無いそうです)に移りましたが、JBDF選手権は元の通り全国の選手のもとへ、日本一を決める大会として戻ってきた感じです。再出発です。
今回、連盟の先生からお声をかけて頂き、JBDF選手権1日目のお客様案内係と、オープニングパレードの旗持ち係を勤めさせて頂きました。本当にありがとうございます。
実は片山、パートナーがいなくて出られなかった15年前、この旗持ち係を経験しました。本来なら出場できなかった若手プロあたりがやる役目ですが、身を引くまでのあいだ少しでも大会のお役に立ちたいと志願させて頂いた次第です。
会場入りは役員の先生方と同じく朝6時50分。現役時代は気がつきませんでしたが、改めて、競技会は毎回、運営側のOBの先生方が本当に身を粉にして頑張られているから成り立っていたのだと思いました。
選手会の会議で議論してると、よく「上がもっとこうしてくれたら」という話題になり、連盟に対してマイナスイメージを持ちがちでした。しかし実際お手伝いの立場で入ってみて見えたのは、つい最近まで選手会で一緒だった西部の先輩方と、ベテランの連盟の先生方が、一致団結して大会を成功させようと頑張っていらっしゃるポジティブな雰囲気でした。
会場の案内は朝の9時から夕方5時まで、ロビーに立ちっぱなし。府立体育館は少々館内の構造が複雑で、階段も多く、自分なりに一生懸命ご説明させて頂いたつもりですが、皆さまちゃんとお席までたどり着けましたでしょうか。未だに心配しています。
お客様や選手の通り道におりますと、「片山先生ですか?」「ブログ読んでます」と、たくさんの方にお声がけして頂きました。皆さまありがとうございますm(_ _)m
結果論ですがもうすぐ去る身として、いろんな方にご挨拶できて良かったです。
東京の先生方からは名札を見て「??なぜ役員ではなくアルバイトなの?」と聞かれてしまいました。
去る身ですから役員になんておこがましいです。
バイトでも関われるだけ十分名誉です。
夜6時から始まった準決勝パレードは、フロアに入った瞬間、15年前の光景がフラッシュバックして、実は涙目に。
せっかくプロになったのにパートナーがいなくて選手として出られなくて、僕はなんで旗持ちなんてやってるんだろうと思った15年前。その後、パートナーが出来て全日本に毎年挑戦するも、選手として準決勝パレードを歩くことは叶わなかった。
でも今回、大会を支える側として再びパレードに出させて頂いたことは、心から誇りに思います。
長かったようで、あっという間だったな。でも、選手の数だけそれぞれの終わり方があるにしても、このスタート地点に戻って違う気持ちで同じ景色を見る、なんて贅沢なキャリアの終わり方だと。
粋な計らいに、心から感謝です。
5年後、またこの場所で全日本が開催され、盛り上がりますように。
選手にとっても、JBDFにとっても、西部連盟にとっても、ここからが再出発なのでしょう。
私にとっても、再出発です。
2日目に続く。