前回の続きです。
大阪滞在二日目は、10年住んだ谷町九丁目へ。
ビギン教室の道向かいのエレベーターは、試合のたびに大きなトランク引いて出陣した場所。
私たちが住んでいたマンションの部屋には、もう新しい住民の方が入居されていました。
家のすぐ裏にあった高津神社。
民を思い、仁政を行ったと伝えられる、仁徳天皇を祀った地域の氏神様で、厄払いや安産の祈願もさせて頂いた場所です。
なので今回、出産のご報告をさせて頂きました。
さゆり先生は一年の間に黒髪になってて、驚きました。
試合前日なのに、ありがとうございました。
夜は木下先生、森田先生と飲み会。
10年、この三組でYMで切磋琢磨し頑張ってきました。
強い絆で結ばれた三兄弟です。
ちょうど木下先生のお誕生日でした。
都代先生がケーキを用意してくれました。
本当にありがとう!
最終日は五月山体育館へ。
ちょうど西部日本ダンス選手権の日でした。
お世話になった役員の先生方に、ご挨拶させて頂きました。
試合は「前期、後期西部日本」が統合され、初のスタンダード・ラテンが同日開催。
観客席は満員。晩秋のこの時期には珍しい光景です。
試合進行もたくさん工夫がなされ、観客が飽きないアイデアがたくさん盛り込まれていました。
私の最後の仕事となった、昨年の秋の選手会パーティーを機に、たくさんの選手が分裂して新しくできた団体に移っていきました。
そのため、この日の試合も正直、私が現役の頃に比べて、オープン戦は20組前後少なくなったように思いました。
でも、それによってようやく、JBDF西部の中に、
「このままではダメだ、変わらなければ」
という改革の機運が高まってきたのではないでしょうか。
本来なら私も今ごろ、新人役員として、場内整理か何かお手伝いさせて頂いていたはずです。
来年あたりから、ジャッジ研修が始まったり…。
それが出来なくなりましたので、代わりに少しでも、外から応援させて頂ければと思い、今年も協賛広告を出させて頂きました。
バルカー工業さんの何百分の1でしかありませんが、あのような立場は雲の上の大企業だけでなく、誰でも志次第だと証明したいのです。
私の転職理由は、まず家庭内の事情があり。次に、地方活性化に関わる仕事が夢だったのもあり。
もう一つ大事なのは、果樹を理想通りに育てるというのは、ダンスのコーチャーとして生徒さんを育てるのと同じだと思ったのもあり。
そして最後に、それなりにダンスの世界で実績を作った人間が、協賛企業になって外部からご恩返しする、そんな道を目指す人間がいてもいいんじゃないか。
そう思ったのがあります。
人間は無限の可能性があると思います。
苦手なことには必ず解決策があり、やり方次第で、成長し続けることができると思います。
それは私自身もそうだし、生徒さんもそうだと。
そこに意義があると信じて、長年、ダンスの指導業を行ってきました。
組織だって人間の集合体です。
いつも順調とばかりとは限りませんが、きっと変わって行けるはずです。
そういう組織を応援したいです。
今回一番大きな収穫のひとつは、かつて自分が人生を賭け青春を賭けた舞台が、人数が減ってずるずると衰退しようとしているのではなく、何とかより良い方向に変わっていこうという方向途上にある。この事が確認出来たことです。
お客様もたちどころに反応して、満員御礼。
選手にとっても励みになるでしょう。
そして事実今回、新しいチャンピオンやファイナリストが誕生しました。
たくさんの選手が互いに切磋琢磨するから、全体がレベルアップし、そこに魅力を感じるからまた新しい選手が入って来てまた成長する。言うなれば、スターを作ろうとするのではなく、スターが誕生する土壌を作る。
土作りは大変です。でも、このサイクルが働くことがダンス競技会の意義なのだと私は思います。
今後のご発展をお祈りします。
あ、娘がこの旅行中に、急に立てるようになりました。成長って、すごい。