うっとうしい裁判ネタですみません。
時間が経って、少し冷静に考えることができるようになりました。
受け入れ難い和解案であるという思いは変わらないのですが
裁判官のサイドに立って今回の事件を考えることによって
ある程度見えてきた(つもりになった)ことがありますので書き残します。
今回は簡易裁判所で裁判を行ったのですが
名前が「簡易」であるから簡易な案件ばかりを扱うというわけではなく
今回のようにレアケースと呼ばれる判例のない案件もあり
むしろ簡易な戦力で裁かねければならないということはすごく大変なことだったと思います。
もしかすると過去の判例にそぐわない判決を下すのは職分になかったのかもしれません。
駐車場に飛び込んできた車と、駐車場内の車の接触事故の判例はないけれど
駐車場内同士の事故なら判例がたくさんあるわけで
駐車場内に進入した事実は覆せないなら(相手側もタイヤ一本分の進入の可能性はあると証言)
批判は覚悟の上で駐車場と駐車場の間にある公道を「駐車場内通路」とみなすことで駐車場内の事故として取り扱おうと考えたのではないでしょうか。
大きなミスは(上から目線でスミマセン)
それならそれで通路上を走行していた車同士の接触事故とみなせば良いものを
当方を駐車区画内の車両とみなしたことです。
駐車区画内にいないのは100%確実なことはもとより、通路上走行中同士の事故とみなすなら
接触位置がどこであれ過失割合にして1割前後する程度の軽いもので済んだものを
双方の立場を異なることとしたことで、結局事故の位置の特定が重要になったということです。
通常、駐車区画内に収まっている車は停止しています。つまり駐車区画内の車に接触するということは100%通路上を走行している車に非があるとみなされます。おそらく判例もそうでしょう。
それでは相手側が絶対納得しません。
逆に通路上に飛び出しての事故とするなら今度は当方が納得しません。
少し調べました。裁判官とは判決を下すのは嫌なことだそうです。
公務員の失点を恐れる気質と言えばそれまでですが
過去の判例として残されるなら、和解を推し進めて穏便に終わらせたいという気持ちがあるそうです。
でもそれは悪いことではなく、民事裁判とは本来トラブル解決の手段、「仲直りするため」にするものであり
裁判官とはそのために存在するんだと思います。
この事故、先方と保険会社を通じて話し合いをしていく中で
ドライブレコーダーの画像による事故位置の特定ができた際ですが
6:4まで譲歩する(相手の責任割合が6)という提案をされたことがあります。
その時は、「事故の責任は半々、でも終わらせたいので」という言い方が気に食わないためお断りをしました。(謝罪があれば過失割合はそれでも良かったんですが、謝罪がなかったんで)
双方、裁判沙汰を続けたいという気持ちがなく、ある程度譲歩の意思もあり、具体的な数字の提示も行われた経緯がある中で
ひとりの裁判官による不見識な和解提案。一番の問題点はここにあると思います。
本来、トラブルの仲裁役として機能すべき存在が、むしろ双方の溝を深める謎理論。
大変不幸な事だと思います。
裁判官からは、判決を待ったとしても、和解案の内容に沿った結果になると言われています。
法的に無茶苦茶な論理をどう法文化するのか興味のあるところですが、おそらくは相手側の主張を書き写したようなものが出来上がるのでしょう。
これで控訴確定です。
私が裁判官だったらシンプルに、「この裁判所では判例に沿ったものしか出せない」と前置きした上で
駐車場通路内の事故として考え、基本過失割合は5:5。
実際は駐車場内に進入していた事実は否定できないので6:4。でどうですか?って提案します。
その上で、しっかりとした判決を求めたいなら控訴してください。ですね。
私は今でも、上位の裁判所であれば6:4以上の有利な判決が下ると確信していますが
一番の目的は駐車場内の事故であると認定され、相手がその事実を受け止め、大いに反省することである以上、もしこのような提案であれば受け入れてただろうと思います。
今更ですがね。残念です。