ハリウッドランチマーケット③
1975年頃、西海岸ブームで長髪全盛です。
そこでランチの方たちがいきなり坊主になります。
初期のおしゃれな坊主スタイル提示です。
★実際はハレクリシュナ、宗教だったようですけど・・・
しかしインパクトは大きくて真似した人もたくさん
いたようですね。
坊主頭に大きなドット柄のボタンダウンシャツ、そして501みたいな、
間抜けな大きさのドットなんてまず見つかりません。サイケデリックシャツ
ならまだしも、BDなんて・・・カッコよかったです。
この後古着が蔓延した後世の中はプレッピーブームに変わっていきます。
ランチも代官山に移ってメキシコ物やらなにやら古着屋とは
一線を隔して行きます。
この頃代官山には何もありません。
★バリのアルミ箔を編みこんだベーシックなスタイルのポロシャツには
やられました。 続く
MR.LEVIS スラックス
リーバイスはデニムと言うイメージしかなかった68年頃
スラックスの存在にビックリ、これはチェックのSTAプレスの
パンツです。
縦割りポケット、一本ダーツ、テーパードと当時の流行ど真ん中。
無地も人気でした。
ほかにも良いパンツメーカーは多々ありました。
ファーラー、HIS 、ディッキーズ(当時から認知)今のワークパンツに
近かった物です。当時¥2000くらい。
Dickiesは71年頃ストライプでLポケのプレスのフレアで人気を博します。
MANN、これはLポケ、バックヨークに切りポケとよいパンツでした。
このディティールでポリ混のプレスのデニムでフレアは名品です。
デニムのプレスはラングラーなどカウボーイスタイルですが
人気がありました。この頃ラングラ―はまだよく知られていません。
アメリカンが履いているWで始まるデニム、なんていうの?って程度。
71年頃にはジャパンラングラーが出来てガッカリ・・・全然違う・・・
また、76年頃にリーバイスで#646のプレスのフレアデニムが
出てマニアに話題になりました。
★やはり当時もリーバイスは一番人気です。
まだLeeはポピュラーではありません。あることはありましたが・・・
贋物で似ても似つかないReeなんてあったりして(やはりアメ横らしい)
★Leeが広く認知されるのはこの後のある事件があってからになります。(続く)
EXってEXPORT CLOTHING SHOP
駐留している軍人や家族向けの輸出用の衣類です。
完璧アメリカデザイン、安くて、でもクオリティはチョッと悪い。
SEARSなどにも輸出していました。
これはワンナップシャツ、開襟シャツのBD版というかんじ。
完璧なBDもありましたがオンブレチェックのボックスシャツ、
ちび衿ウェスタンシャツ、ベロアのスエットなども
(当時はまだ理解できず・・・70年頃) ¥500くらいでした。
横田は EXたつみ、六本木防衛庁前のEXアート?そんな名前。
飛田給スニーカーのマザーグースとEX、やはり有名だったのは
成増グラントハイツ入り口のHARADAです。
みんな木造の小さなつくりでHARADAは木枠のガラスの引き戸でした。
(後に西荻の朝日屋さんが木造のミントグリーンだったか白だったか
EXっぽかった。このころまだウェス系でアメリカ物は無かったような・・・)
HARADAはグラントハイツ撤退を期に竹下通り入り口に移ります。
当初アメリカブームで同じスタイルでしたけど今はレディスの店です。
★EXのアイテムを新宿歌舞伎町と銀座コアビルの中で売り出したのが
MOBY SHOP. 同じアイテムが高い・・・それって・・・
1,2年で閉店したような・・・こちらにいた方が後にミウラをSHIPSまで
引っ張っていったNKMR氏。
EXで本土やベースで大ヒットはハワイアン柄の生地に白ナイロンのシェルで
リバーシブルにしたビーチジャケット。連中は似合ってました。
私たちは微妙・・・女の子は似合います。
立ち衿のナイロンジャケットも薄物からボア張りのものまで重宝しました。
オリジナルはチャンピオン、カタリナ、マンシングなどですが、これで充分。
でも少しコンプレックス・・・おこづかいの少ない学生の味方です。
パンツもデニムはありませんでしたがストライプのフレアパンツ、
2カーゴパンツ、縦割り、Lポケのスラックスなど¥800くらい。
当時職能技術の高い日本が請け負って経済成長に貢献したのでしょう。
この後香港、台湾、韓国、中国と変遷していきますがEX物は日本製だけで
終わったようです。