Yoga therapy Prajna(プラジュナ)

Yoga therapy Prajna(プラジュナ)

山梨県南アルプス市
ヨーガ療法で、心身の健康を!

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ヨーガ療法では、内観的な瞑想を行なうことがあります。

クラスではあまりしませんが、折々自分を振り返るために個人的に行なっています。

 

思えばこの3年ほどは転職など大きな変化があって、記憶が時間的に前後したり世の中の変化には疎くなったりしていました。

前のように本を読む時間もないし、書く事も減って、そういう習慣の継続がしにくくなったことで心の変化も違った方向へ進んでいる感じがします。

 

クラスは現在ほぼパーソナルを細々と続けていますが、しっかり向き合って取り組める点で本来なのかもしれません。

誰かに教えるとか、伝えるとか、基本ソリタリーな私は苦手とすることを、カルマヨーガ実践として継続中です。

 

自分のおかれた環境が変わると、これまで自分が良しとしていたことや馴染んでいたものなど、自分にとっての価値観がいとも簡単にそうではなくなることに気付かされます。二極の対立での物差しは、とても儚いものです。

 

「これまでの当たり前や常識と思っていたことは、ほぼ全て思い込み」

それくらい私達の見る世界は、あくまで「私の見ている」世界でしかない。

 

色々な変化の渦の中で内観してみると、ふとしたことで「あの時の」失敗や後悔などが溢れ出てきたりします。

つい最近は、かつて人との距離感の取り方がうまくわからない時に、せっかく私のことを知ろうと働きかけてくれた方に対して、

ぐるぐる考えるあまり出てきた態度が「超絶素っ気ない」もので、そのまま怖くなって連絡できなくなったことを思い出しました。

 

私には私の事情があったんだから、と当時は思っていましたが、そんなことは伝えなければ相手もわからない。

今にして思えば、弁明することはいくらでもできたのに表面的なことにばかり気になって、一言も出なかったし、

日が経つごとに気まずくなって明日にしよう明後日にしようと先延ばしにしてそのままにしてしまった。

 

今更になってしまうけど、謝ってスッキリするのは私であってそれは自己満足にすぎないけど。

相手も不愉快な記憶の古い地層を、素手で掘り起こされるのはもっと不愉快かもしれない。

それでも、もし会うことがあったら、言い訳と捉えられてもいいから、きちんと話して謝りたい。

 

自分で台無しにしてしまった人間関係。

年齢や性別に関係なく育まれる出会いも、変化するもののひとつ。

それは、自らの働きかけで変化する「熟成」と外からの働きかけで変化する「発酵」の両方の美味しさとなって、豊かな関係になっていける可能性と、どちらの働きかけも失敗して「腐敗」する危険も孕む。

 

でも私達は「許す」ことができるし、「やり直す」こともできる。

それには自分の中の慈愛が育まれる必要があって、自分を誰かのために行為する利他の意識も要る。

 

私は昔の失敗の中で、自分の弱さやその裏返しとしての傲慢さの根っこについて考えました。

ほぼ全てが1つの根っこから生じている。

どうしても私がこだわりを手放せずにて、熟成も発酵もさせられずにいること。

 

こういうことは、ヨーガと出会ったから即解決するとかいうものではなくて、まず気付いて受け止めるところから始まる。

第三者的に自分を見て、自覚することから。

 

生きづらさを抱えてきた私は、いつも「こういう気付いたことは、生きづらさを感じていない人達は、もっと若いうちに気付いて

もっと早いうちに何とか乗り越えているのかもしれない」と、人と比べて卑屈になることもしばしばです。

 

ヨーガ療法を学んでから変わったのは「生きづらさの中で生きてきた自分に気付いた」のと「生きづらい、シンドイと全身で

感じながら、そうである自分を、あたかも他人を見るかのように見ている自分がいつもいると気付いた」と気付いたことです。

自覚なしに感情に飲まれているのと、感情に飲まれながらも「今感情に飲まれている」と自覚しているのとでは、同じようでもまったく異なるのだと知りました。

 

これまでは「生きづらさから逃れたい」けど出来なくてしんどかったのが、「生きづらいながらも、できる努力をして、

生きづらいことも受け止めていく」努力のしんどさへ変わっていきました。

 

今生のテーマは、私が手放せずにいるこだわりを、最後の瞬間までにどのくらい手放せるか、でもいい。

見ないでいようと思えばいられる。でもそれこそが私の抱えるものの根っこ。

 

記憶に刺さったトゲを抜いて自分がラクになりたいというのも含まれるけど、

自分が見ないでいようとして見なかったことは、「なかったこと」にはならないのだから、心を尽くして謝りたい。

出来事の大小に関係なく、心を尽くしているかどうか。

 

内観をしていると、時にとりとめなく、時にピンポイントで浮かび上がる様々なことと向き合います。

たくさんの課題を抱えながら、今の自分を知り、この先へと繋げていくために、ヨーガはエクササイズ面だけではなく

メンタル面での取り組みをしていきます。