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音楽・読書・映画

 大晦日のNHKのTV番組「クラシック・ハイライト」を見て、行く年を振り返るのが好きです。1年間の日本の(主に東京の)クラシック音楽で話題が著しかったものを司会者が映像つきで紹介してくれるのを見て、ああこれは良かったとか、これは聞きにいけなかったけれど惜しかったなあと思うのが私の年越しのひとつです。ただ録画して見る(大晦日は私のもうひとつの年越しである、恒例のベートーヴェン中期後期弦楽四重奏曲連続演奏会に行っているので)ため、この作業をするのは新年になってからです。

 

 番組の録画を見ていて、行けなくて残念に思った演奏会は、キリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団の演奏会形式「ワルキューレ」第1幕でしょうか。次期ベルリン・フィル音楽監督のペトレンコが初めて日本人の前に登場したもので、興味深々です。TVではフロリアン・フォークトが歌うジークムントの「冬の嵐は過ぎ去り」のあまりにも甘い歌声にびっくりしました。パンクラトヴァのジークリンデはまずまず、ツェッペンフェルトのフンディングはこの人らしい知的なフンディング(知的なフンディングとはおかしなアナグラムですが)。時代が変わったのでしょう。このような「優しい」ワーグナーがもてはやされるとは。

 

 TVでは汚点も2割改善、感動も2割減、というのが私の持論です。実演のN響にたびたび接してきて、現場で悪しと思ったこともTVで見直すと、演奏者の真剣な顔に惑わされて2割ぐらいは許せる気分が増してきます。反対にものすごい感動を覚えた演奏会も、TVで見直すとのっぺりとした音響体に変わってしまっていて2割ほどつまらなく聞こえてきます。おそらくその場の空気のふるえが伝わってこないからでしょう。だからTVで演奏を論じるのは要注意と私は自戒しています。

 

 まあそのような点を考慮しても、この演奏会はたぶん良い演奏会だったのだろうと思います。初めて見るペトレンコはひげだらけで神経質に細かい棒を振るヘンなオッサンという感じですが、後半の音楽の加速ぶりが好ましかったので、TVで見ていても演奏が盛り上がったのが分かります。行った人によれば、すさまじく盛り上がったそうで、NHKホールが興奮の坩堝になったそうです。まあ惜しいことをしました。何とか都合をつけて行きたかったものです。

 

 しかし私が驚いたのは、私も知らなかった上演で、笈田ヨシ演出の歌劇「蝶々夫人」です。2017年2月に行なわれたそうです。舞台を昭和中期(戦後すぐの貧しい時代)に置き換えた演出だそうで、映像がいくつか流れましたが驚異のリアルな舞台でびっくりしました。

 

 中でも「ある晴れた日に」は映像が全曲流れましたが、極貧の服を着たチョウチョウサンが占領した米軍のピンカートンを待つ切ない心を歌うのが、同じ日本人としてぐっと心に迫り、涙が止まりませんでした。

 

 チョウチョウサンを歌ったのはウィーンの歌姫、中嶋彰子。彼女の高名は知っていましたが、確かフォルクスオパーの歌姫で、もっと軽い役しかやってなかったような気がしていました。ドラマティコのチョウチョウサンを歌うとはびっくりですが、彼女の可憐な容姿が昭和のモンペ姿の貧しい少女にぴったり。けなげな彼女が最後に後ろ向きで肩を震わせる演技は名演で、なおさらに涙が出ました。これは、ナマで観たかったと心から思いました。

 

 

 

 

 昨秋、東京でメンデルスゾーンの交響曲第2番「讃歌」の名演を聞きました。プログラム前半はベートーヴェンの合唱幻想曲、後半はメンデルスゾーンです。長い演奏会となりました。


 


 ベートーヴェンの合唱幻想曲は、ナマで聞くのは2回目。大変申し訳ないのだけれど、この曲はやはりくだらないというか、合唱付きのピアノ協奏曲という変な編成もしっくりこないし、メロディも魅力無く、何よりベートーヴェンらしい生きる魂や荘厳さの無い残念な曲です。


 


 それに対して、メンデルスゾーンの素晴らしいこと。指揮は私淑する河地良智先生。オケと合唱は在京のプロを集めたものらしいです。前半のシンフォニアも見事だったのですが、後半の合唱付きの讃歌の部分は実に深く壮大で、改めてこの曲の素晴らしさに感動し、演奏の見事さにも感心したものです。


 


 河地先生から「合唱作品ならコルボという指揮者が素晴らしいよ」と教えていただきました。


 


 ミシェル・コルボは私にとっては懐かしい名前です。1970年代にフォーレのレクイエムのLPを散々聞きました。この曲は当時、クリュイタンスの指揮とコルボの指揮で評価が分かれていましたが、クリュイタンスのは甘く切ないのが魅力ですがよく聞くとオケと合唱の荒いのが目立ちます。それに比べるとコルボは地味で目立たないものの、まるで中世の教会音楽を聴いているような静謐でていねいな演奏が魅力的でした。また後年出たデュリフレのレクイエムも名演でした。


 


 しばらく忘れていた名前でした。私は合唱作品が嫌いでないものの、最近の音楽傾向はオケとオペラと弦楽四重奏に偏っていて、ここ20年ほどは合唱作品を真面目に聞いていないかもしれません(バッハのマタイ受難曲とロ短調ミサだけは例外です)。


 


 さて、懐かしい名前に出会ったところで家にあるはずのLPを探してみましたが、どこにいったのか分からない始末。新しく別なコルボを聞いてみようと思いネットで調べましたが、21世紀になってからは新録音も出てないようです。生没も不明。生きていれば83歳でしょうか。


 


 20世紀終わりごろの録音で、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」のCDを見つけたので購入しました。聞いてみて、静謐さというよりはその徹底的なまろやかさに新鮮な感動を覚えました。


 


 「ドイツ・レクイエム」は好きな曲です。古くはカラヤン(1947年)とショルティで親しみました。最近の演奏ではカラヤン最後の1987年頃の演奏が気迫と哀切に満ちた演奏で好きでした。しかしコルボの演奏を聞くと、カラヤンにしてもショルティにしても、合唱作品というよりはドイツ風のがっちりとした交響作品として表現されていたのだなあと思います。


 


 コルボの演奏はオケはかなり後ろに下がり、合唱が前面に出てきます。しかし彼らしく押し付けがましいところのまったくない合唱です。優しく語りかけてくれるような歌に、目が開かれる思いがします。こんなドイツ・レクイエムもあったのだなあと。


 


 コルボ、今の人にはまったく忘れられているのでしょう。CDもほとんど無いのが残念です。たぶん今後、その名声は復活してくるとは思いますが、意外なところでのコルボの演奏と私との再会を、今は素直に感謝しています。


 


 


オーケストラの話題は私のもうひとつのブログへどうぞ


 


 


 

図書館でCDの新譜、小野明子のバイオリン独奏で「ロマンス」というのを借りてきて聞きました。

実は私は名前も初めて伺う方ですが、オビによればメニューヒン最後の弟子とかで、メニューヒンコンクールで入賞している方とか。推定30代ぐらいの美しい女性。

普段はこの手の楽器の小品オムニバスCDは好まず買わない借りないことが多いのですが、なんとなくピンときて借りてきました。ピンときた理由は選曲です。

私の嫌いなクライスラー小品なども入っているのですが(クライスラーの演奏は好きです。彼が作曲した甘い小品たちは嫌いです)、メインはドビュッシーのバイオリン・ソナタとストラヴィンスキーのプルチネッラ(ペルゴレージの主題による)。これを大胆にも選曲してくるとは、相当に自分に自信がないとできないことです。

もうひとつピンときたのは、野平一郎がピアノ伴奏をしていること。彼は藝大教授の作曲家としても知られますが、伴奏ピアニストとしては世界最高の1人でしょう。私もなんども彼の伴奏技術に耳が釘付けになったことを思い出します。仕事?とはいえ彼が才能の無い人の伴奏をするはずはないので、おそらく小野明子は優れているはず、これが私のピンときたところです。

一聴して驚きました。どれも血がほとばしるような鮮烈な演奏です。しかも音が汚くなるぎりぎりのところで抑え、美しさも保っている。至難の技です。

そして、野平のピアノともども、実に深い。私は仕事の手を止めて聞き入ることしばし、でした。クライスラーのウィーン奇想曲も、実に深い!稀なことです。

こんなすてきなバイオリニストがいたんですね。一昨年だかに発見した佐藤俊介といい、この小野明子といい、素敵な日本人バイオリニストがまだまだたくさんいることに嬉しい気持ちでいっぱいです。

発売はナミ・レコード。別稿のエルガーのバイオリン協奏曲(漆原朝子)もナミ・レコードです。いい仕事をしているCD会社ですね。多くの人に聞いていただけますように。