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 神尾真由子のバイオリンは、コンクールで1位となりTVでそのプライベートな生活がドキュメンタリーになった頃から知っています。当時のチャイコフスキーの協奏曲はまるで鋼のような強さを誇る演奏であり、その豪腕にあっけにとられたものです。

 その数年後、TVでベートーヴェンのソナタを見ました。その豪腕を生かして新しいベートーヴェン像を打ち立てようと苦労したのはわかりましたが、もはやそれは音楽とは言えない曲芸のようなもので、しらけたことを覚えてます。

 今回、図書館で「アンコール集」なるCDを発見したので借りて聞いてみました。ロシア系やラテン系の小品で、技巧を誇るような選曲がされています。26曲も入っていておとくなCDとも言えます。

 一聴して「ハイフェッツだな」と思いました。それぐらい技術的に優れたものばかりです。ハイフェッツよりも高音の美しさが映えますが、逆に低音の美しさは欠けているような気がします。ハイフェッツ編曲のものが多いです。

 しかしハイフェッツという私の言葉は褒め言葉ではありません。ハイフェッツは豪腕でしたし、その演奏には何ともいえないニヒルさとエスプリが同居していて多くの人にまだ「芸」よりは「芸術」を感じさせることが多かったわけですが、今回きいた神尾のCDは「芸」と「技術」だけが聞こえてきて、ジプシーの女芸人としか聞こえてこない瞬間が多すぎます。彼女の心の声が聞こえてこないのです。

 ベートーヴェンを聞いたときにも思ったのですが、神尾はこの路線なのか、これを変更するつもりはないのかということです。だとしたら、商業的には成功している彼女の演奏も、私には縁遠いと思える残念なことです。私は古くはクライスラーやティボーのような温かい演奏、近年ではムターのようなふくよかな、心のこもった演奏が好きですから。

 

 

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 往年のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー。高貴な音とされますが、まだ私はほとんど聞いたことがなく、最近購入したCDでわずかに聞き始めました。

 

 曲はラロのスペイン交響曲(今は確かヴァイオリン協奏曲第2?番とかいうのでしたっけ)。若い頃からおなじみの曲ですが、何となく第1楽章の雄渾さに比べて残りの楽章がつまらない感じがして、好きになれずにいる曲です。

 

 ティボーのソロは確かに豊かで高貴です。それは確認できました。ただ往時の習慣なのか、ある場所でぐいっとアラルガンドするのがあまり聞き慣れなく、何となく最高点にはなりません。

 

 またこのCDがたまたまそうなのか、SPからのトランスファーがうまくいかないのか、オケのトゥッティがやたら割れて聞こえて、古い録音が好きな私でもちょっとこれはねえと思うような感じでした。

 

 というわけで、私のティボー体験、今回はくもりのち雨みたいな感じ。また別の録音で試してみようっと。

 

 

上野範子のピアノ・リサイタルに行ってきました。(2019年5月3日、聖徳大学香順メディアホールにて)

 前半は名曲コンサート風で、ドビュッシーのベルガマスク組曲から第1・第3曲、ベートーヴェンのソナタ「月光」。後半がアルゼンチン音楽でグァスタヴィーノのソナチネとヒナステラのアルゼンチン舞曲集から。

 ベルガマスク組曲は透明感あふれる演奏で、素晴らしい。コンサートの始まりに演奏するにはあまりに緊張する曲だが、ホールの響きと合った演奏だと思いました。

 ご本人は「このメディアホールも悪くないが会議・講演用のホールでもあるので響きがもしかしたら気になるかも。前に使っていた同じ大学内の奏楽堂の方がピアノも響きも好きでした」と述べてましたが、私はこのメディアホールのもわもわした響きが結構好きです。同じ大学内の奏楽堂は響きが私には硬すぎるし、椅子も最悪。このメディアホールの椅子はふかふかしていつも気持ちがいいです(どうでもいいことですが)。

 ベートーヴェンはリクエストがあって取り上げたとのことですが、第3楽章の扱いが難しい曲ですね。第1楽章があまりにも有名で、第2楽章も軽やかで、しかし第3楽章が突然疾風怒濤の世界に放り込まれるような、そんなバランスの悪さを曲に感じます。

 上野の演奏も模範的な演奏でよかったのですが、第3楽章での迫力が少しがんばりすぎだったかも。まあがんばらないと弾けない、形になりにくい曲だとは思いますので、がっちりとしたベートーヴェンになったのはさすがです。

 後半は彼女が最近熱心に取り上げているスペイン・南米音楽から。私は昨年のベヒシュタイン・サロンでの上野の「ゴイェスカス」にすっかり魅了されたので、今回も楽しみにしていました。

 グァスタヴィーノは初めて聞く作曲家。19世紀終わりから20世紀前半のアルゼンチンの作曲家とのこと。旧世界のグラナドスともアルベニスとも微妙に違う空気感。しかし終楽章の豪快さは19世紀的です。見事な演奏。

 ヒナステラは20世紀のアルゼンチンの作曲家。たまにハープ協奏曲や弦楽四重奏曲を聞くこともあります。交互に現れるダイナミズムと静謐さの間がいかにも南米風で面白い曲です。上野の演奏も万全。

 アンコールはゴイェスカスから。これも安心して聞ける演奏。

 私は上野がスペイン音楽を演奏し始めてから音楽が実に深くなったと感心しています。CDにも録音したとのこと。今後がますます楽しみです。次の楽しみは11月のベヒシュタインかな(仕事が入っていて行けないかも涙)




児玉さや佳・佐藤智孝 リサイタル
(2018年3月25日 国分寺スタジオ花音にて)

 児玉は桐朋を卒業した後ヨーロッパで、特に最晩年のラローチャに師事したピアニスト。スペイン音楽やショパン、そして即興演奏を得意としています。パートナーの佐藤はチェリスト。藝大を卒業後、やはりヨーロッパで特にウィーンで長年研鑽を積んだとのこと。

 今回は国分寺スタジオ花音というひなびているがお洒落なホームコンサート会場でのジョイントリサイタル。バッハのフランス組曲第6番とショパンの24の前奏曲(以上、児玉)、サン=サーンスの白鳥とベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番(以上、佐藤+児玉)。

 児玉の演奏を久しぶりに聞きましたが、バッハの最初の一音からその厚めの響きに引き込まれます。自然で穏やかに流れる大河を思わせてくれます。続くショパンは、それぞれの調に合わせた多彩な音色を駆使しながらも、過剰な刺激を回避しながら大きく円環を描くような演奏を聞かせてくれました。素晴らしい。

 後半の佐藤の演奏は、怪我のあとの復帰ということで多少苦しそうな部分もありましたが、何よりこれをもって生きようとするベートーヴェンらしい意志の強さをたびたび感じ取りました。演奏者の執念というものが感じられます。

 児玉は10年ほど前に聞いたときに、ラローチャ直伝というスペイン音楽を聞かせてくれ、あまりの素晴らしさに圧倒されたのを覚えています。今回はホームコンサートなのかスペイン音楽が含まれなくて残念。しかしバッハとショパンを聞きながら、私の記憶するラローチャの素晴らしさを確実に引き継いでいる、優秀なピアニストだと改めて感じました。
 
  この5月12日には、彼女の本拠地のアミュゼ柏にて、毎年行なっているリサイタルがあるとのこと。グラナドスなどの含まれる重要なリサイタルのようです。私は残念ながら仕事で行けませんが、さらに豊かな音楽を紡いでくれることでしょう。